第41話「空中の悪魔」


「医療班! こっちに来てくれ!!」

「こっちにもお願いします! 誰か、他に回復魔法が使える奴はいませんか!? 回復薬又は魔力回復薬を持ってる方でも構いません!」

「すみません、退いてください! 通ります!」

「うっ……ぐはっ!」


 担架に乗せられた兵士達が目の前を通り過ぎていく。


 そこはまさしく別の戦場と化していた。


 担架で運ばれる兵士達の誰もが横たわる頭や腕、腹部から血を流し、元々白かった包帯が真っ赤に染まっている。


 私はあまりに痛々しい姿に思わずグッと息を呑んだ。


「た、大佐……」


 すると、目の前を通り掛かった一人の兵士が満身創痍な身体に鞭を打って私に顔を向けた。


「あっ、駄目です! これ以上動いては!」

「待て! 待ってくれ!」


 私はすぐに兵士の身体を動かさないようにとする従軍看護婦を止め、兵士の口に耳を傾けた。


「大佐……俺……おれ……」


 顔半分を包帯で覆われていながらも、涙がボロボロと零れ落ちていく。


 そこにあるのは悔しさ、悲しみ、そして憤り。


 兵士達がここまで頑張っている中、最高指揮権を持つ自分が戦場に出る事が出来ない歯がゆさが胸を締め付ける。


 自分が死ねば指揮系統は混乱を来し、士気も下がる。


 そして何より、自分達を信じて大佐はどんと座っててくださいと笑みを浮かべた彼等の信頼を無下にする事になる。


 上に立つ者の義務だと言うことは分かっている。


 だが、あまりにも悔しく、耐え難いッ!


 私は震えるながら差し伸ばされた手を握り、彼を鼓舞する。


「良くやった! お前は良くやった! だから、今はゆっくりと眠れ。後は私達に任せるんだ!」

「は……い、はい!」


 私は運ばれていく兵士の姿を眺めていると「大佐。お手を」と、そっと僅かに体温が低い手が私の固く握りしめた事で血で滲んだ手を解いていく。


 横に顔を向けると、そこにはこのガルス砦で私の副官を担ってくれているヌルス・バミィ少佐がいた。


「大佐は熱くなると自分の事を二の次にする悪い癖、治した方が宜しいようですね」

「すまない」

「いえ、これは私含め、皆の総意です。それに、大佐は後ろにいてくれた方が安心できますから」


 ヌルス少佐が僅かに離れ、自身の掌を見ると白い包帯が綺麗に巻かれていた。


「大佐、私にも出撃許可を下さいませんか?」

「それは……」


 瞳は真っ直ぐに此方を向いており、逸らすことは無い。


 彼女が来た時、薄々と感じていた直感が見事に当たっている事に、少し言葉に詰まった。


「門が破壊された以上、このままでは、街や負傷兵にも更なる被害が出てしまいます。最悪、全滅もありえます。それだけは避けなければなりません」


 思わず思い出すのは、彼女がこのガルス砦に来た当初の事。


 正義感に溢れ、サボっている兵士を見つけては指導を繰り返していた時期だ。


 無論、そんな事をしていれば兵士達から嫌われ、自身の信じたことだけに真っ直ぐで周りに無頓着な彼女が孤立していくのは時間の問題だった。


 ある時、食堂に行った時、兵士達が賑やかに食べている端でポツンと一人、食事をしていた。


『皆んなと一緒に食べないのか?』

『いえ、それよりも午後の訓練を効率的に行う方が大事ですから』

『だがな、少しでも身体を休めないと』

『食べ終わりましたので、失礼します』


 此方から近付けば猫のように逃げて行き、かと言って兵士達や自身には狼の如く厳しい統率を求めていった。


 まるで自分一人で何もかも背負っているみたいに思っていたが、今は——————


「大丈夫です」


 ヌルス少佐は固い表情を僅かに和らげ、薄らと笑みを浮かべると「あの頃の私ではありませんし、私は一人ではないですから」と柔らかくも強い言葉を呟いた。


 それが私に電流を走らせた。


「大佐?」


 目を閉じ、深く息を吸う。


「分かった。良いだろう」


 すると、僅かに表情が明るくなったように見えた。


 確かに彼女の言う通りだ。


 ただでさえ戦力が足りない今、これ以上減らす事は出来ない!


 脚を前へと伸ばし、急いで外壁へと向かって歩き出す。


「ヌルス少佐、状況はどうなっている」

「! 現在、赤竜が放った極大のブレスはユリアさんによって殆どの威力は相殺されました。しかし、それでも相殺出来なかった暴風が前線に出ていた者、外壁上で援護射撃を行っていた者達を直撃。難を逃れた者達もいますが、被害は拡大しています。加えて、魔法学園の生徒であるノースさんとラフシアさんの両名が赤竜と交戦を繰り広げています」

「まず優先すべきは戦力の立て直しだ。それは分かっているな?」

「はっ」

「そこで、私もこの場で直接指示を出す」

「なっ!? いくら何でも危険です!」

「何、後ろでのうのうと椅子に座っているだけは飽きたのだ。それに、若者だけに危険を負わす事はこれ以上出来ぬ!」

「……ですが」


 それでも不安なのか顔を落として考え込む少佐に戯けた口調で、


「なんだ、少佐? お前達が言ったのだろう? 私達の後ろにいろと。ならば、場所が少し変わるだけだ。それとも、私がいれば不安か?」


 と口に出した。


 そうして、ようやく決心が付いたのだろう。


 不安の眼差しは期待と覚悟の眼差しへと変わり、


「出過ぎた真似をどうぞお許しを。それで、どうすれば良いでしょうか。フィーリン大佐」


 力強く私を見たのだった。



「俺に続けぇッツ!! 断固として此処を通すわけには行かぬ!!」

『うおおおおおおおおおおお!!』


 赤竜の放ったブレスは門に致命的なひびを招き、弱い衝撃が一撃でも加わればすぐにでも破壊されてしまうまでに損傷していた。


 ガルス砦軍団長ティルソーは赤竜のブレスから難を逃れていたが、それでも逃げきれなかった者は多くいる。


 だが、そんな彼等に黙祷を捧ぐ事も出来無い状況に頭から血が吹き出そうな程に怒りを抱いていた。


「死ねぃッツ!! おぉぉぉぉぉッツ!!」


 門の前に半円形の陣形を作り、押し寄せる魔物達の処理に追われている中、ティルソーは先陣を切って魔物達に鍛え上げられた肉体から鉄剣を振り下ろす。


 誰も彼もが満身創痍だ。


 しかし、自分達が最後の防波堤。


 例え、骨が折れようと体の一部がもがれようとも此処を退く訳にはいかなかった。


 ティルソーの放った鉄剣が狼型の魔物の背骨を砕き、その息を絶命させた。


「はぁはぁ……っくッ!!」


 もはや、この戦闘が始まる前にあった切れ味はとうの昔に無くなっている。


 腕の力は徐々に無くなっていき、今では剣というにはあまりに重い鈍器を振り回しているのが現状だ。


 加えて、数時間にも及ぶ気を抜けば死ぬという極限下の集中と長い戦闘により、意識が朦朧としてきた。


 その時、目の前を何かが横切った。


 しまった!と思ったのも束の間、「うわぁぁぁぁ!!」と兵士の悲鳴が上がる。


 声のする方向へと急いで視線を向けると一人の兵士が『空中の悪魔』と言われるハーピーに肩を掴まれて宙を浮いていた。


 鳥の羽のような両翼に鋭い鉤爪が付いた細い脚。


 幼子の如き顔から想像出来無い、凶悪な魔物だ。


「そいつを離せぇッ!!」


 見れば、鉤爪が兵士の着ていた鎧を貫き、兵士が苦悶をあげている。


 他の兵士が声を出すよりも先にティルソーは地面を思いっきり蹴り上げ、鉄剣を片手で振りかぶった。


「ッ!?」


 直後、ハーピーが身体を兵士ごと回転。


 大きく振るわせると、自分に向かって兵士を投げつけてきた。


 体勢を僅かに崩しながらも受け止める。


 幸いにも命に関わるような怪我では無い。


「軍団長!」


 だが、部下の具合を見るためとはいえ、視線を少しでも外したのが行けなかった。


 ハーピーが何故竜種の血統にいるワイバーンを差し置いて『空中の悪魔』などという名で呼ばれているのかを思い出す。


 ティルソーの目の前で肉を噛み切る為に進化したギザ歯を剥き出しにした直後、耳鳴りの時に発生する不快な音を放った。


 刹那に脳裏を襲う頭痛と目眩や吐き気、加えて徐々にハーピーの声色が変わっていき、静かな夜に母に歌ってもらった子守歌の如き優しい声色へと変化する。


 見れば、兵士の一人が盾を構える事も忘れ、呆然と立ち尽くし始めた。


 それに続き数名の兵士達も焦点の合わない目でハーピーを見つめ出す。


 これこそがハーピーが『悪魔』と呼ばれる所以の一つであり、同時に攻撃力は低いもののAランク級の魔物に指定される理由である。


「くッ!!」


 なんとか意識を失わないように脚に短剣を刺すが、気を抜けばすぐにでも彼等と同じようになる。


 これを止めるにはハーピーの声を途切れさせるしかない。


 距離はそこまで離れてはいない。


 全力で駆ければ、すぐに辿り着く距離だ。


 ならば、ここで始末するまで!


「はぁぁぁぁぁぁッツ!!」


 力強く地面を踏みしめ、全力の一太刀を振るった。


 狙いは正確、速度は十分、威力も一撃のもとに沈める事が出来るだろう。


 けれど、『悪魔』はそれを待っていた。


 不意に上げた視線の先。


 視界に映るハーピーの目と口元が悪意に満ちた笑みを浮かべてた。


 直後に腹部に走った鈍い痛み。


 内からせり上がってきた何かが口内を濡らし、口の端から滴り落ちていく。


 下から上へと視線を上げれば、そこには自分よりも痛みで苦しげな部下の姿があり、顔を涙で濡らし、「違う、違う。だって、なんで……」と口走りながら一歩後ろへ下がった。


 『悪魔』達はその光景が見たかったのだろう。


 頭上から幾つもの甲高い耳障りな子供のような笑い声が響き渡り、それが周囲に動揺と怒りを生み出していく。


 他の兵達が怒りに任せて振るった剣は軽々と空中に逃げられる事で空振り、転がる石を投げても弄ぶように当たるスレスレを狙って避けられる。


 そんなハーピー達の前では自分達はただの遊び道具に成り果てていた。


 そして、笑い転げて満足したのだろう。


 ハーピー達は鋭い鉤爪を器用に両手で首を絞めるように動かすとティルソーの首元へと向け―――――、

 

「ティルソー軍団長! しっかりとなさい!!」


 一筋の煌めきが目の前に稲妻の如く走った。


 信頼を置く上司の声と直後に響いたハーピーのけたたましい叫び声によって、まるで夢から醒める様に脳裏がハッキリと澄み渡っていく。

 

 何か悪い悪夢でも見ていたみたいに。


「やっと正気に戻りましたか。ティルソー軍団長、もう大丈夫ですね?」


 確かに、先程まであった腹に空いた剣の刺し傷もなければ口の中も血の味がしない。


「あぁ。すまない、どうやらまんまとアイツらの術中に嵌ったらしい」

「反省は後です。それよりも、今は目の前の事に集中を」

「うむ。だが、一つ聞いても良いか? 何故、ヌルス少佐がここに? 確か、砦中の守りを任されていると聞いていたが」


 すると、隣に立つヌルス少佐が小さく笑い声を出すと、「それもそうでしょう。ですが、私独断の判断ではありませんよ」と言う。


 ますます疑問が深まるティルソーだが、「第一射、撃てェッ!!」と聞き慣れて最も信頼する上司の声が頭上から戦場に響き渡った。


 山形を描いた弓矢から放たれた矢は次々と魔物達に傷を負わせていく。

 

 すると、ハーピーがそれに気付いたのか高い声を発すると、どこからともなくハーピーが数匹現れ、フィーリン大佐の方へ向かっていく。


「マズイ! あれだけの数では!!」


 だが、そんな心配も数秒後には上空から降ってきたハーピーだった残骸が数匹分、地面に叩きつけられればすぐに消えた。

 

 悪夢から覚めた他の兵士達も大佐や少佐が加わった事で士気が高まったのだろう。


 先程までの疲れた表情など、どこに置いてきたのかと言いたい程にやる気に満ちている。


「それに、私達だけではありませんよ」


 そう言われて後ろを振り返ると、複数のローブが風にはためき、元リグラ魔法軍所属の魔導師ターム・ルーファンスが数人の魔導師を連れて先陣切って歩いてきた。


 外壁上空でも魔法が飛び交っている事を見るに、残りは大佐の所に配置したらしい。


 それでも十分に頼もしい戦力だ。


「さてと、そろそろ反撃と行くぞ? 若いの」


 言うや否やルーファンスは風魔法を発動し、上空で飛び回っていたハーピーを捉え、地面に叩き付けた。


 もう一匹は敵わないとみるや、更に上空へ逃げたが、放たれた魔法によって撃墜。


 あまりの手際に感嘆する他ないが、そうも言ってられない。


「私達が前衛を務めますので、後衛からの支援をお願いできますか!」

「無論、その為に来たのじゃからな」

「では私は—————」


 その時、赤竜の咆哮が空気を轟かせていく。


 正面に視界を向ければ、奥に真っ赤に燃える一体の竜の姿があり、誰かが此方に走ってきている姿が見えた。


 しかし、それも突如として降ってきたキングオーガに塞がれる。


「キングオーガじゃと!? 竜の魔力に釣られたか!」

「先行します!」


 少佐が身体を前に倒し、疾走するが、キングオーガの拳が一人の女子生徒に当たり、分断された。


「ラフシアさんをお願いします! 私は彼女を!」


 少佐の背が小さくなっていくのを視界の端に捉えつつ、ラフシアと呼ばれた女子生徒の元へ駆け寄ろうとする。


 その時、自分達の斜め後方。


 何かを呼ぶ雄叫びのような叫び声が響く。


 あまりの声に思わず耳を塞ぎ、なんとか鼓膜が破れる事は無かったが、ハーピーは咆哮の如き声を出した事で無傷では済まなかったのか、口から大量の血を吐き出した。


 しかし、急いで視線を動かした先には息絶え絶えの状態ながら、ハーピーが悪魔の笑みをして笑っていた。


「貴様ぁッツ!!」


 すぐに剣を突き立て、息を止める。


 まさか、魔法をモロに食らってそれでもまだ息があった事に驚くが、内心に渦めく焦りの方が強い。


 あの悪魔は一体、何を呼んだんだと。


 そんな素朴ながら恐怖とも言える不安が心中に広がっていく。


 しかし、それよりも先に目の前の窮地に立たされた女子生徒ラフシアを救う方が先だ。


「いいか! 軍団長、キングオーガは普通のオーガよりも全体的に筋肉が分厚く剣でも深手は負わせられん! 適度に撹乱かくらんさせるのじゃ! その間に儂等が魔法を唱えておく!」

「はっ!!」


 背後から受ける頼もしい援軍に感謝しながらも真っ直ぐに視線を前へと向けた。



 それは何かの声によってゆっくりと顔を持ち上げた。


 長年手入れもせずに放置して生えた古びた苔が身体を動かす度にパラパラと落ちていく。


 それが動く度に周囲の動物達の声と気配が遠ざかり、地面を持ち上げながらゆっくりと顔を宙に覗かせた。


 人々は言う。


「山だ! 山が動いているぞ!!」

「おぉ、山の神よ。どうか、その怒りを鎮めたまえ」

「あれが魔物だって……あんな化け物が……?」


 巨大な背中に複数の樹木を携え、地響きを起こしながらゆっくりと進む姿は山そのもの。


 ある地域では「山の神」又は「山神」と呼ばれる超巨大生物——————古竜種『種森竜しゅそうりゅう』が巨大な体躯を震わせ、


『——————————————ッ!!!!』


 宵の闇に咆哮を轟かせたのだった。

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