第37話「準備」


 ラウ達がユリアと廊下で勧誘される数時間前――――


「で? これも全てはお前達の計画通りってわけか?」


 仄かに明かりを灯す魔導具に小さな虫がパタパタと衝突音が微かに聞こえる中、重苦しい声が静かに響いていた。


 白いフードを目深に被った男は目の前に置かれた水晶に向かって、苛立たしいという感情を全面に出した声色を出してから、そう時間も経っていない。


 しかし、男が感情を抑えようと声を荒げているのは何も苛立ちの感情だけではなかった。


「いや、全てが計画通りにあった訳ではない。しかし、そのどれもが想定された範囲を超えられていないというだけだ」


 水晶に映った本をめくる手だけが相手が男――――、それも若い男だと言うことを知らせる。


「信じられないな」

「何もお前達に信じてもらう必要はない。信じる信じないは貴様達人間の得意分野だろう?」


 微小混じりに口に出された嘲りは男達のプライドを傷つけ、「なんだ? 人間擬きが随分と人間様に向かって楯突くじゃないか」と遂に吐いた。


「人間擬き?」

「あぁ、そうだろう? お前らは所詮、この世において人間の劣等種だ。そんな劣等種が人間様に歯向かうんじゃない」


 その言葉は自身が一番優れた種族だという驕りからくるものだった。


 人間の世界の中でも貴族という上級階民に加えて、親から与えられ、幼少期から愉悦の格差に浸っていた男達は放たれた言葉に笑みを溢す。


 しかし――――


「…………は……、あはっはははっはははは!!」

「な、なんだ!? 何がおかしい!」

「醜い。醜いなぁ。まるでこの世界のことが分かっていない。人間というものはこうも醜いのか?」

「それはどういう意味だ!」

「自分達で考えてみればどうだ? 我らより、優秀な人間様、なんだろう?」

「ちっ! それよりも、あれはどうなっている!」

「なんだ? 自分達が劣勢になれば、すぐにそれか? 人間様というのはつくづく――――」

「いいから、答えろ!! お前達が望むものが手に入らなくてもいいのか?」


 白フードの男は何処からか歪な鍵を取り出すと水晶の前に乱暴に叩きつけた。


「お前達は、何故だかは知らんが、これにご執心なんだろう? いいのか? ここで俺達の機嫌を損ねればせっかく掴んだチャンスも水泡と帰すぞ?」

「……分かった。お前達の望むものはガルス砦にある」

「は? なんで、あんな辺境に」

「それこそ、行って確かめれば良いじゃないか。お前達は強い召喚獣とやらが欲しいのだろう? なら、ピッタリな奴があそこにはいるさ」

「さっさとそれを言えばいいものを。おい、行くぞ!」


 白フードの男はすぐさま鍵を懐に戻すと、後ろに控えてきた白フード達を引き連れて部屋を出て行った。


 残されたのはまだ仄かに明かりを灯す魔導具と机に置かれた水晶。


 その水晶の向こうに映った男は片手に持った本を閉じると立ち上がった。


 そして、水晶を手に取ると覗き込む。


 反射される深紅に染まった瞳に鋭い瞳孔。


 その先には先程まで鍵が置いてあった机がある。


「リグラ魔法国か。まさか、あの連中も自国の生徒が我らと繋がっているとは思わんだろう。未来がこれでは、まるで浮かばれんな」


 言葉では憂いているように聞こえる会話も口角の上がった口元を見れば、それが偽りだと分かる。


「必ずだ。それは我らが手に入れる。近々、会いに行くとしよう。――――愛しの我が君よ」


 誰もいない空間には男の高笑いとガラスが割れるような音が誰の耳にも届かず消えていったのだった。



「戦争、ですか。なんだか、また重々しいのが舞い込んできましたね」

「他の教師が喋ってた内容だと、地上、そして上空から魔物の襲来があったみたい。最初は上空。次に地上だったから、上空の魔物を正確に狙い撃つのが困難だった為に、倒せた魔物が少数。加えて、地上から来た魔物が押し寄せた。その結果、ガルス砦は今血みどろの戦争になってるみたいだよ」


 メイとアミルから知らされた情報で廊下ですれ違った女子生徒達の会話の意味が理解出来た。


 あの後、ユリアからは作戦の指示書と現在のガルス砦の報告書を貰ったが、文面で見るよりかなり酷いらしい。


 いつも私達が食事をする大部屋には、メイやアミルを始め、クアンとミリア、ビクトリアにリィナもいる。


 その全員が難しい顔付きでガルス砦周辺の地図を見ては意見を交わし合っていた。


「ですが、どうしますの? 行くにしても、ガルス砦までは距離がありますわよ?」

「ここからだと、最低一日はかかりますね」

「一日ですか!? そ、それじゃああまりに遅過ぎるのではぁ……」

「一応、ユリアの計らいで馬車は出してくれるようだけど—————」

「間違いなく、事態は変化してるわよね。そうなれば、立てた計画なんてなんの意味もないだろうし」


 そして再び「うーん」と唸る。


 正直、手立てが無いわけでは無いのだが、あんまり乗り気じゃない。


 だけど、今回は仕方ないかなぁ。


「はぁ〜、しょうがない。じゃあ、ママに連絡するね」

「ママ、ですかぁ?」

「確か、ラウの御母様って……」


 私は席を立ち、グレアから渡されていた通信用の魔導具を取り出す。


 そもそも、遠くにいる誰かと会話する事が可能な魔導具は軍事的価値が非常に高いのに加え、作り出す技術が非常に難しいので量産は出来ていない。


 主に王家が管理している相当価値のあるものなんだけど、それをぽんと手渡すママ達もどうかと思うけどね……。


「それじゃあ、ちょっと行ってくるね」


 私は手にすっぽり収まる大きさの魔導具を片手に部屋の扉を閉めたのだった。



 ラウが先に部屋を出るとメイとアミルがラウを追っかけて廊下へ出て行く。


 そして、微かな声が聞こえるようになった時、「ミ、ミリア!? あれはどういう事ですの!? なんで、ラウがあの魔導具を!」と、内で溜めていた声を出した。


「はいはい、落ち着いて。ラウが許可を得るまで暇だし。んー、この際、二人には話しといても良いかな」

「私は賛成よ? 言えない事は言わなければ良いだけだもの。そこはミリアの判断に任せるわ」

「うん、そうだね。じゃあ、どこから話そうか。ビクトリアとリィナはベルクリーノ家について何処まで知ってる?」

「表面的な事だけで、詳しい事は知りませんわ。我が諜報部隊でも知り得ませんでしたし」

「私は何も知りません……」

「リィナ、そう落ち込む話でもないですわ! 私が知り得た情報なんて今のリィナと比べても微々たるものですもの」


 そんなビクトリアがリィナと良好な友人関係を築いている事になんだか微笑ましい気持ちになりながら、ミリアはラウの実家について語り出した。


「まず、薄々感づいているかもしれないけど、私とメイ、アミルの三人はラウの専属のメイド。それ以前に私達はラウの恋人でもあるの」

「メイドで恋人ですか?」

「もしかして、クアンもですかぁ?」

「わ、私は違うわよ!? ラウとは幼馴染みで友人ってだけ。それ以上でも以下でもないわ!」

「ふふっ。まぁ、クアンについてはラウなりの考えがあるみたいだし。まだ、ね」

「ちょっと、ミリア!? なに、怖い事言ってるのよ!」


 ミリアが笑みしか浮かべない事で半ば折れたのだろう。


 「まぁ、良いわ。いえ、良くはないのだけど。ともかく」とクアンが続ける。


「ベルクリーノ家の当主はグラン・ベルクリーノ様、そして奥方のラキ・ベルクリーノ様によって都市キミウは統治されてるわ」

「そして、そんなお二方をお支えするのが私達メイドの勤め。メイド隊っていうだけど、知ってるかな?」

「ベルクリーノ家を調べていた時、聞いた事はありますわ。先の王国を襲った事件の際、キミウを襲った百を超える盗賊をたった二人で討滅したメイドがいると。その時は単なる噂だと思っていましたが……」

「確かに、彼女達はメイド隊の二人ね。冠位持ちっていう、一人一人がSSランク冒険者と同等の実力を持つメイド。まったく、言葉にするだけで頭がおかしくなりそうだわ」

「その内の三人が私とメイ、アミルで—————」

「冠位持ちが三人もラウに付いているのですの!? あり得ませんわ!」


 ビクトリアが困惑の声を上げる中、先程から声が聞こえなくなったリィナへと視線を向けるクアン。


「リィナ~? 駄目だ。ついて行けなくて放心状態になってるわ。でも、ビクトリア。私達が言っているのは本当よ」

「だとしたら、いくら娘だからと言えどそんなメイドを三人も付けるなんて。こう言ってはアレですが、馬鹿なんですの? その当主は」

「ふふっ。まぁ、ある意味ちょっとね。でも、そんな私達が仕えるラウには必要な処置なの」


 そうして、ラウ自身が侯爵の爵位を得ている正式な貴族である事を告げた。


 あのラウが侯爵位を持っている事に心底驚いたようだが、急に黙り込んだ。


 もう一つ、ラウが得ている物があるが、それは今は言う事はない。


「確かに……、侯爵の爵位を持つ貴族を他国に送り出すならその処置も納得出来ますわ」


 ビクトリアが片手を顎に当て、考え込む中、『ユリアが戦争と言ったけれど、ラウが行く為にはまだ枷があるんだよ、ビクトリア』と内心で呟く。


「ねぇ、ビクトリア。キミウの昔の名前と由来は知ってる?」

「随分と勿体ぶりますわね。えぇ、知っていますわ。冒険者都市キミウ、その由来は周囲に巨大な森林地帯が広がっており、凶悪な魔物が住むからだとか」

「じゃあ、なんでその魔物達はキミウに攻め込まないの? 目の前に人が沢山集まる格好の餌場があるのに」

「っ! まさかっ!?」


 ビクトリアが驚きの声と共に答え終わった直後、扉が開き、「全く、詰め込み過ぎなんだよ……」「それだけ、ラウ様の事が心配なのですよ」「そうだよ〜。昨日、ラウ様が部屋からいなくなってたって、それをラキ様達に報告してるわけないんだから〜」「えっ!? ちょっ、アミルっ!?」と三人が帰ってきた。


「どうだった?」

「大丈夫だった。その代わり、ミリア達を連れて行きなさいって。あと、決して無茶しないでねだって」

「愛されてますね、ラウ様?」

「それは嬉しいけどさぁ……」

「何かあったの?」

「休暇に入ったら一度キミウに戻ってきなさいって。絶対怒られる気がする……。あっ、でもガルス砦までの足はもうすぐ着くって」

「もうすぐって……ラウちゃん? キミウからこのリグラ魔法国までどれだけの距離があると—————」


 直後だった。


 屋敷の周囲を覆う木々がざわざわと音を鳴らし、野生の動物達の声が急速に消えていく。


 それはまるで強大な何かが近づいて来ているのから隠れようとする動物の本能に近く、ラウは何処か懐かしい気配に思わず顔を後方上に向けた。


 そして、自分の想像が現実になるのではと険しい顔付きのビクトリアと、やっと放心状態から戻ったリィナがラウへと視線を向けた。


 どうみてもおかしい雰囲気の中、重苦しい空気は徐々に増えていき、遂にビクトリア、リィナは全身の毛が逆立つような圧倒的な魔力に気圧されたように思わず席を立っていた。


 そして、それは屋敷の前へと微かな揺れと共に到着する。


「やっぱり、あの子が育てた子達は速いなぁ」

「あの子というのは、もしかして……例の四人の?」

「まぁ、皆んなは会った事ないかもね。何せ、ミリアと会う前に私が拾った子だから」


 ラウが先頭に立ち、玄関へと向かう。


 ビクトリアは思わず立ってしまった席からグッと息を吸うとラウ達へと続く。


 その横にはリィナも付いてきているが、その手は白く震えており、そばに居る筈なのに彼女の存在が霞んでしまう程の威圧感が扉を隔てた先にある事に身体が思うように動かない。


 けれど、そんな私達を置いて、ラウがその扉を開けた。


 それがどれだけスローに見えた事か。


 一瞬にして足首までハマったような圧倒的な魔力に竜が持つ王者の威圧。


 黒い帷の様な鋭い眼光が私を氷柱で射抜くように感じられた。


 身体が震え出し、氷の如き冷たく粘ついた嫌な汗が流れ落ちる。


 呑まれると思った、次の瞬間だった。


「こら、駄目でしょ? 皆んなは私の友人なんだから」


 何事も無かったように威圧感や魔力が全て消え、視界が鮮明になる。


 溜め込んだ息を吐き出し、荒い息と共に前を向くとラウがソレを撫でていた。


 闇夜にも関わらずキラキラと輝く純白の身体と細く美しい身体に王冠の様に頭部に生えた数本の角。


 ただ美しいという言葉しか出てこないような見事な竜だった。


 そして、もう一頭。


 ラウに撫でられる竜に嫉妬したのか、頭を彼女へと擦り付ける真っ赤な真紅の竜。


 燃えるように紅く、触れただけで魔物を引き裂きそうな鋭い鱗は月夜に照らされ、炎のように揺らめく。


「きゃあ! もう、お前はいつになっても甘えん坊だなぁ! おりゃりゃりゃ!」


 だが、どう見ても普通のドラゴンではないのは明白だ。


「ラ、ラウ……この、ドラゴン達は……一体?」

「ん? あぁ、この子達は—————」


 そして、ラウが言いかけた時だった。


「ラーーウーーさーーまーーーー!!」

「え? うぎゃあ!!」


 フードを被った二人がラウに突撃したのは。

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