第36話「誘い」


 闇夜で冷やされた空気が僅かに登った朝日に照らされる頃、ラウ専属メイドの一人であるミリアは寝室から厨房へ移動していた。


 リズム良く刻まれる食材をわんへと移しながら、「ふふっ。本当に悪い子なんだから」と口に出す。


 彼女の側には使い魔であるクゥが台の上で座っており、器に盛られ、八等分に切られたリンゴを軽快な音を立てながら食べている。


「真っ黒なスライム……、魔物の身体にすら影響を与えるなんて。ラウはやる事が予想出来ないよ」


 クゥは嬉しそうに笑みを浮かべる主人ミリアを見ては、いつものことと視線を戻し、彼女が熱烈な愛を注ぐラウが眠る寝室へ視線を向けた。


 昨夜から現在に至るまで、ラウは迷宮で見つけた魔物を片っ端から狩りに狩り、その魔石を全て『スラ』と名付けた黒いスライムに食べさせていた。


 あまりの数にクゥ自身把握しきれていないが、広大な階層を五つも潜り、その行き帰りで遭遇した魔物全てを魔石に変えたと言えば、その異常性が分かるだろう。


 何故なら、普通の冒険者は間違ってもそんな事はしない。そんな事をすれば必要以上の体力を使い、倒せる魔物も倒せなくなる。


 そんな、探検どころか命の危険をおかす方がおかしい。


 けれど、彼女はそんな冒険者の中—————特に迷宮に潜る冒険者達の中では常識とすら言える事を軽々と超えてしまう。


 無論、それでラウの身に危険が及ぶと判断したのならミリア達が介入するだろう。


「にゃ、けぷっ」

「ふふっ、お腹いっぱいになった?」

「にゃー」


 皆んなが起きる前に戻らなくてはいけなかった為に、屋敷を出てからクゥの案内で戻ってくるまで、そこまで時間は掛かっていない。


 それでも、クゥは昨夜に見たラウの圧倒的な戦闘力と魔石を吸収して異常なスピードで強くなっていくスライムに内心、強い興味を惹かれていた。


 ラウが今の力を付ける前から知っている仲とはいえ、まさかここまで強くなるとは思ってもみなかったのも事実。


 しかし、それを言えばこの目の前の少女や真っ赤な赤髪の少女もその言葉に当てはまる、と区切った所だった。


「それにしても、まさかクゥの闇魔法を見破ってくる精霊ね。ラウの使い魔っていう話だけど」


 先程から何かを呟いては自分で解決しているミリアにとって、クゥに意見を求めた言葉では無いのだろう。


 しかし、クゥは昨夜のルーナとの会話を思い出す。


『護衛? ミリア、から?』

『にゃうん!』

『そう。でも、心配無い。ラウの護衛は、私がやる』

『にゃうにゃう!』

『それは、私とラウの秘密、だから言えない。でも、これだけは、言える。私は、貴女を信用して、ない』

『にゃう?』

『今は、ラウがいるから、争わない。でも、本来の貴女に、ラウを近付けるつまりは、全く無い。それに、猫被っても駄目。私には、分かってる』

『…………――――』

『私達は、貴女達がやった事、忘れてない』

『…………にゃあ』


 それを主人ミリアに言うつもりはない。


 言うべき事と言わなくても良い事、その判断はクゥに委ねられているからだ。


 誰か起きてきたのだろう。


 部屋の扉の開閉音と廊下を歩く足音が耳を打つ。


「やっぱり。おはよう、ミリア。早いわね」

「おはよう。朝食は少し待ってね」

「えぇ。それじゃあ、少し身体を動かしてこようかしら」

「リィナとビクトリアはどうしてるの?」

「寝てるんじゃないかしら? ラウの場合は…………まぁ、あの姉妹に任せるわ」


 そう言い残すと、クアンは片手に持った鞘付きの長剣を肩に担ぐと側に炎の獅子――――ラトラを付けて外へと出て行った。


 その後、ビクトリア、リィナの順番で一階へと降りてくる。


 しかし、肝心のラウが降りてこない。


「ラウは一体どうしたのかしら?」

「た、体調が悪いとかぁ……ですかね?」

「それは大変ですわ!」

「二人共、大丈夫だよ。いつもの事だから。それよりも、朝食が出来たから机に運んでもらえる?」

「勿論ですわ! 淑女たる者、礼節を慮らねば!」

「私も手伝いますぅ! 甘えてばかりではいけませんからぁ!」


 最初は彼女達の中に入る事に気後れしていたリィナだが、昨日彼女達と騒いだせいか随分と気楽に会話出来ている。


 それがラウの計算の内ならば凄い事だが……この先は言うまい。


 結局、ラウが起きてきた————正確にはメイ達に強制連行されてきたのは登校時刻の十分前だったとか。



「眠い……」


 「ふぁ~」と欠伸あくびをした後に思わずそんな言葉が出る。


「面前で欠伸とは、些か品がないですわよ? それにしても、ラウはあの後、何かしていたんですの?」

「な、なんにもしてないよ! 寝てただけ!」

「なんだか、怪しいですわね。クアン達程じゃないですけれど、わたくしもラウの考えてる事が段々分かるようになってきたのですよ?」

「なぁっ!? ビクトリアか強くなってくれるのは嬉しいけど、その能力は要らないかなぁ〜なんて——————」

「もしそうなれば、一人行動が出来なくなるかもしれませんわね?」

「本当にそれは要らないかなぁ!! そ、それよりもビクトリア! 今日、何か学園内が慌ただしくない?」

「それもそうですわね。何か上級生の方達の顔色が普段より険しい様な気が致しますわ」


 ビクトリアとの会話を私から学園内に移すことに成功した私は、内心安堵しつつ、昨日の夜の事を思い出す。


 結局のところ、昨日は時間の関係で魔法陣のあった階層から五階層までしか潜ってないけれど、それでも私は迷宮という不思議な空間に心底魅了された。


 外では無い筈なのに青空と風があり、草原や川、光があるのが面白くて、ルーナ達に止められるまで五階層まで潜っている事に気付かなかった程だ。


 皆と探索して色々なものを見たいという気持ちもあるが、偶には自由に一人行動をしたいので出来なくなるというのは非常に困る。


 その時、横に取り付けられていた扉がゆっくりと開かれた。


「二人とも、お待たせ」

「お待たせしましたぁ〜」

「先に行ってても良かったのよ?」

「そんな事言ってますけど、本当はチラチラ扉の方見てたじゃないですかぁ」

「ちょ、ちょっと、リィナ! 見てたの!? あっ、違うわよ!? 見てないんだから!」

「え〜、本当に? クアンは私達が先に行っちゃって無いか不安だったんだ~?」

「な、何よ。その顔は。ラウのくせに生意気ね! 待ちなさい!」

「きゃー!」


 私とクアンがいつものように戯れる中、ビクトリアが「それで、何の要件だったんですの?」と問を投げかける。


「私にも良くは分からないんですけど……。何か、余所であったみたいで、それに上級生含めて教師が対処に当たっているみたいなんですぅ。それで、次の授業は自習にするからそれを皆に伝えて欲しいとのことでして」

「上級生、教授含めてなんて、随分と大事ですわね」

「後でメイとアミルに聞いてみるつもりではあるけど、まずは――――クアン、ラウ。いい加減、廊下でイチャつくのは止めて」

「い、イチャついて無いわよ!」

「えっ!?」

「貴女は、なんでそこで驚くのよ!?」


 会話をしながら、私達は慌ただしい校内を抜けて教室へ移動を開始する。


 廊下から見えた外には使い魔召喚の時に出会ったルーファンス先生と数人の男性が忙しそうに何処かに向かっており、微かに見えた顔からも何か重要なことが起こったのだと確信した。


 とはいえ、今は何も分からな――――ま、まさか昨日行った迷宮で何か起こったとかじゃ無いよね……。


「ラウ? どうしたの? そんな青い顔して」

「なんでも無いよ! それより、自習って何やるんだろ?」

「次の授業は通常だとチィム先生だったから、迷宮環境学の復習とか、かしら?」

「環境学かぁ~。ふぁ~ふぁふ。暇そうだね~」

「ラウ。授業中寝ようかな、なんて考えてない?」

「うっ! な、なんでそれを!?」

「そりゃ、そんな大きな欠伸をすれば誰だって思いますわ」

「大きな欠伸でしたねぇ〜」

「は、恥ずかしいからそんな言わないで!」


 私達が喋りながら廊下を歩いていると、「ねぇ。あの子達って、初等部のオリジンの子達じゃない?」「わ、本当だ。って事はあの子達も招集されるのかな?」「可哀想に。あんなに幼いのに。それにまだ入ったばっかだよ?」「仕方ないよ。あのガルス砦があんな状態じゃ————」と、二人組の女子生徒が私達の隣を横切っていった。


 特段、彼女達に何か変なところがあった訳では無い。


 ただ、彼女達が喋っていた会話が気になったのだ。


「ねぇ、ミリア。ガルス砦って、確かこの国の北西に位置する交通都市じゃなかったっけ?」

 

 魔法学園に入学する際、読んだママ自作の教科書に書いてあったのだが、それは既に私達が最初に泊まった宿の娘さんであるミマちゃんに渡してしまったので見る事は出来ない。


 けれど、散々ママ達に叩き込まれた知識は私の頭に刻み込まれてしまっているので、鮮明に思い出せた。


「うん。ラウの言うとおり、魔法国でも屈指の交通都市とか、国境に建てられている事から城郭都市としても知られてる場所だね。帝国から魔法国への距離が一番近い都市って事もあって攻め込まれたものの、一ヶ月もの間、帝国兵を足止めしたって話もある程、堅牢な城壁を構える都市だよ。ね、ビクトリア?」

「えぇ! 流石、ミリア達は博識ですわね! ガルス砦は、昔こそいざこざがあれど、今では帝国と魔法国からの交易で栄えてる都市なのですわ!」

「でも、そんな凄い場所に何かあったんでしょうか? 話を聞く限り何かあっても、どうにかなりそうな感じがしますけどぉ。あっ」


 リィナが急に言葉を切ったので、思わず視線の先を見るとユリアが数人の生徒と何か会話をしながら廊下を歩いていた。


「あの人って確か、総務会の……」

「リィナとビクトリアは初めて会うんだっけ?」

「はい、入学式では遠目でしたからぁ」

「えぇ。でも彼女の事は知っていますわ。総務会会長にして高等部一年、ユリア・フォードロヴァナ。『魔の探求者』と知られるオリジン一位ですわ」


 すると、相手も此方に気付いたのか私達を見ると、何故か暫く考え込むような仕草をする。


 そして、「そうだ、君達にしようか」と言葉を出すが、私達は分からずハテナを脳内に浮かべた。


「彼女達を?」

「会長、何故です? そもそも彼女達は一体……」

「いや、待て。彼女達見た事あるぞ。あれは確か……あっ、初等部のオリジン一位と六位の子達じゃないか!」

「まさか、初等部の子達を連れていくつもりじゃないですよね!? 会長!!」


 ユリアの後ろにいる生徒達が騒ぎ出すが、「あーあー、聞こえない」とやる姿は本当に総務会の会長なのかと思ってしまう。


「あの?」

「あぁ、ごめんごめん。改めて、久しぶり。ラウちゃん♪ あの時以来だっけ?」

「むっ! 今度はちゃんと戦って!」

「あははははは、開口一番それか~。でも、あの時はちゃんと決着を付けられなかったし。いいよ。でも、その前に私にはやらなくちゃいけない事があるから、それが終わってからかなぁ」

「やること? もしかして、ガルス砦が何か関係あるの?」

「あれ、それ知ってるんだ。なら、話は早いや。ねぇ、ラウちゃん。貴女が輝ける場所を用意してあげようか?」


 ユリアが笑みを浮かべながら、言った直後――――、私の両隣からミリアとクアンが私を遮るように前に出た。


「いくら会長と言えど、ラウに危険が及ぶのなら止めさせてもらいます」

「残念だけど、そう言うわけなの。姉さんの後輩って聞いてるけど、私はユリア先輩。貴女をまだ信頼してないのよ」


 「モテモテだね~」とケラケラ笑いながらも、「だったら、貴女達もくれば良いよ」と意地悪そうに言った。


「そもそも、ガルス砦に何が起こってるのさ?」


 きっとこれは、私達の誰もが知りたかった情報。


 それを聞いた瞬間、ユリアの笑みが変わった。


 そして、静かに。


 けれど、はっきりとした口調で言った。


「魔物との戦争、だよ」

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