第9話 オバケ部の昼下がり。
「…まさか君がこの期におよんで部活に入りたいなどと言い出すとはな…あんなに私が頼み込んでもびくともしなかったのに、一体どういう風の吹きまわしだい?」
綺麗に整頓された広い部屋の奥にある重厚感溢れる机の上へとその両肘をつきながら、提出された書類へと目を落とす。
8対2でびっちりと分けられた白髪まじりの前髪の下にある眉間のシワが、彼の残念そうな表情と連動して、より一層深く刻まれた。
「…気が変わったんですよ、校長先生。僕もたまには高校生らしく部活にでもいそしんでみようかなぁ~って。」
彼の前に立っていた青年は、そう言って爽やかな笑顔を浮かべた。
「…にしてもまさかあの部に入りたいだなんてな…もったいないなぁ~…実にもったいない。君くらいの逸材なら、野球部でもサッカー部でもバスケ部でも、どの部活でも引っ張りだこだろうに…どの部活に入ってもゆくゆくはキャプテンか、少なくともエースを狙える位置くらいにはいけただろうに。 」
彼が提出した入部届を眺めつつ、皮張りの豪華な椅子にもたれながら、渋い声でそう語る校長。
「…ダメですよ、校長センセ。俺、平凡な世界にはとっくに飽きてしまったんですから。では、これから授業があるので失礼いたします。」
そう言って校長から入部届のコピーを受けとると、鼻歌まじりに軽やかな足取りで校長室を後にするその青年。
そんな彼の背中を静かに見送った校長は、彼の背中に向かってこう呟いた。
「…全く…あんなくだらん部に閉じ込めておくには実に惜しい人材だよ…」
そう呟いた校長の視線の先には、数十年以上も前にこの高校が甲子園に出場した際に撮られたであろう写真が掲げられていた。
「…やぁ~っとお弁当だねぇ~!」
長い午前中の授業を終えて、やっと迎えた昼休み。
今朝買ってきたコンビニ弁当を机の上に広げた俺の前で、同じく嬉しそうにコンビニ弁当を広げたのは、クラスメートではなく麻宮先輩だった。
本来なら共に過ごすはずのない昼休みを、何故一年生であるこの俺と二年生である麻宮先輩が一緒にランチをしているのかというと、もちろんここが例のオバケ部の部室だからである。
先輩いわく『オバケ部はどんな時でも一分一秒無駄にせずオバケの事を考える』というのがこのオバケ部の理念でありコンセプトらしく、その為には強制的に昼御飯もここで食べる事になるらしい。
「…もしかして先輩、一緒にご飯食べてくれる友達とか、いないんですか?」
「…ばっ…ばかな事言わないでよっ!私がひとたび皆に『お弁当食べよっ』なんて声を掛けようもんなら、それこそ10人や20人…いや!50人は軽く集まるわよ!」
そう言って勢い良く机を叩きながら抗議をしてくる麻宮先輩。
…1クラス40人しかいないというのに、一体どこからそんなに人が集まってくるんだか…それこそ残りの奴ら、全員オバケだろ。
「はいはい!オバケ部はそんなつまんない事で時間を無駄にしているほど暇ではないわっ!それは昼御飯の時だって同じ!さっ!今日はお弁当を食べながらこの未確認生物についてのお互い意見交換をしましょっ!!」
そんなその場をごまかす為だけに用意したかのような会話の方向転換を無理矢理かましながら、そう言って先輩はカバンの中から一枚の絵画を取り出し机の上に広げた。
先輩が広げた紙にでかでかと描かれていたのは…『モンゴリアン・デス・ワーム』というなんとも気持ちの悪いグロテスクな巨大ワームの姿だった。
「…先輩…こんなの見せられたら、全然食が進まないんですけど…。」
「…うぐっ!我慢よ、勇也くんっ!由緒正しいオバケ部の部員ならばこんな物には決して負けないはずよっ!うっぷ…!」
そう言ってやや青白い顔色をしながら口元を押さえる先輩。
…まだ弁当の蓋も開けてないうちから嗚咽がついてるじゃね~か…。
何をもって『由緒正しい』としているのかは不明だが、とりあえず部長がそれではダメだろう…
「…とりあえず食事の時くらいはコイツの事は忘れましょ。」
そう言ってさりげなくその絵を裏返して、近くにあったティッシュを数枚彼女に手渡した俺は、巨大ワームの絵を自分の弁当の下に敷き、まるでランチョンマットのようにしながら割りばしを割る準備をしていた。
俺からティッシュを受けとった先輩は、一通り自分の口元や目尻に溜まった涙を丁寧に押さえると、彼女自身も中断していた弁当広げる作業を再開しはじめた。
「…ありがと。そうね、とりあえず先にお弁当を食べちゃいましょ…って、あれ?あれれれ?」
そう言って急に慌てた様子で突然何かを探しはじめる先輩。
「…今度はどうされたんですか?」
お弁当の蓋を開けつつ、半ば呆れた表情で溜め息混じりにそう声をかける俺。
先輩は相変わらずお弁当の下や机の下などをキョロキョロしながら何かを探し続けている。
「…箸が…ない…。え~…あっれ~?おかしいなぁ~?コンビニの店員さん、入れ忘れたのかなぁ~?」
そう言って自分のカバンの中を探りながら呟く彼女。
「…やっぱりないや。まぁいっか、理科準備室に何かあるかもしれないし。」
そう言って理科準備室へと向かっていく先輩の姿を見送った俺は、急に厳しい表情となって教室の隅に目を移した。
「…オイコラ。それはお前のじゃあないだろ。」
そう言った俺の目線の先にいたのは、教室の隅で先輩の物と思われる割り箸を大事そうに抱きしめながら震えている例の物体の姿だった。
コイツは何が楽しいのかよく『あの店員め~、箸入れ忘れやがってぇ~』とコンビニで弁当を買った人を1日モヤモヤさせる為だけに箸を隠してまわるような不可解な物体だ。
よく置いたものがいつの間にかなくなっていて、あれこれ探しまわってるうちに結局元の場所で見つかるという経験が皆様にもおありであろうが、あれの原因も大抵はコイツらで、理由は不明だが何故か日々各々の家庭を渡り歩いて、あらゆる物を隠すという所業をこなしている。
また不思議な事に、何故かこの霊体に抱きしめてられている間は、その取られた物が人の目に写らなくなるという変わった特性もあるみたいだ。
俺が考えるに、よく心霊写真とかで体の一部が消えたり見えなくなるという現象があるが、多分あれと近い原理なんじゃないかなと思っている。
まぁ実際のところは分からないし、確かめようもない話なのだが。
ちなみにコイツらの見た目はあの黒い物体に酷似しているが、何となく少しだけだが彼らの方が奴らに比べて色素が薄いように感じる。
よくテレビ番組とかで、その日に限って車の鍵が見つからず、遅れて出掛けたら事故や事件に巻き込まれずに済んだといった体験談が寄せられているが、きっとそんな感じでコイツらの仕業で助けられた人の分だけ、体から邪気が失われていった結果なのかもしれない。
…だが、いくら良いことをしようが、悪い事を重ねようが、一般の人の目には見えない時点で俺にとっては悪は悪。
俺はこのオバケ部への強制入部が決まってしまったその日から、このオバケ部で活動しながらあらゆる霊をこの世から滅していこうと考えていた。
そしてゆくゆくはこの忌々しいオバケ部ごと光の彼方に消し去ってやる…!!
今まさに俺の心は妙な使命感と密かな私怨で熱く燃え上がっていた。
話は逸れてしまっが俺はその物体…そうだな、焦げ茶色をしているから『こげちゃん』とでも名付けようか。
俺は教室の隅へと移動すると、その場にしゃがみ込んで、そのこげちゃんから割り箸を取り上げた。
割り箸を取り上げられた瞬間から、返してもらいたそうにぴょんぴょんと床の上で跳ねているこげちゃんの事を華麗に無視して、俺が元の席へとついた瞬間、ちょうど理科準備室から麻宮先輩が出てきた。
「隣にちょうどいい物があったよ!!」
そう言ってとびきりの笑顔を浮かべながら嬉しそうに理科準備室から出てきた先輩の手に握られていたのは…
よく理科の授業の時なんかに出てくる、薬剤をかき混ぜる時に使うガラスの棒だった。
「ほら、しかもちゃんと2本あったし。これを箸に…」
「…って、それめちゃくちゃ危ないヤツじゃないですか!?それ薬品とかかき混ぜるヤツですよ!?そんなのやめて、とりあえずこれ使って下さいっ!!」
そう言って俺は彼女の手から『危険な薬品かきまぜちゃうぞ棒』をとりあげると、変わりに彼女の手のひらにこげちゃんから奪った割り箸を握らせた。
「…あれ?この箸どこから…」
「…あ!その…!あ、そうそう、お弁当箱の下にくっついてましたよ!」
「そんなところに…ありがとう。勇也君はいっつも私の事を助けてくれるね。」
そう言って頬をほんのりと紅く染めながらはにかむ彼女の横で、再び彼女の手からこっそりと箸を奪い取ろうとしている例の物体を見つけた俺は、バンっと強く机を叩きながらその場で立ち上がった。
その音に驚いた物体は、箸へと伸ばしていた手をひっこめると、そのままものすごい勢いで壁へと突っ込み、そして理科室の外へと飛び出していった。
これで邪魔モノはいなくなった。
…だが、この一連の騒ぎを知るはずもない先輩は、俺のそんな突然の行動に驚いてキョトンとした表情を浮かべている。
「…えっと…勇也君、突然どうしたの…?」
「…先輩…」
「…は、はい?」
とまどい続ける先輩に向かって、俺は真剣な表情で質問を投げかけた。
「…ヒバゴンって知ってます?」
なんとかその場をごまかそうと無理矢理放った俺の未確認生物の名前に、しばし理科室内に奇妙な沈黙が流れたが、すぐに先輩は我へと返り、俺からの質問に答えようとしだした。
「あぁ、ヒバゴンって確か…」
「昭和45年頃、中国地方の山地で発見された2足歩行をする猿型の未確認生物で、身長は150㎝前後で推定される体重は85㎏。一番はじめに発見された
まるで先輩の言葉を遮るかのように答えたその声の主こそ…
「…静馬!!どうしてお前がここに…!」
何を隠そう、あの北山静馬だった。
「どうしてって、俺もオバケ部に入部することに決めたんだよ。」
そう言ってケラケラと笑いながら、俺に向かって入部届をピラピラと見せつけてくる静馬。
これが『オバケ部ごとこの世からオバケを消しさってやる!』と俺が固く決意したその日に、俺の意に反してオバケ部の部員が増えてしまったという、何とも悲しい瞬間なのであった。
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