第7話 放課後のほんのひととき。

「…では、これにてホームルームを終わります。各自気をつけて帰るように。あ、それとまだ部活に所属していない者は、今週中に各部活に入部届を出して下さい。」


あの例の事務員さんともしや兄弟なんじゃないかと疑ってしまうほどにハゲちらかした頭を有する担任の岡田先生は、淡々とした口調で生徒達にそう告げると教室を後にした。


先生が教室から出ていくのを確認した生徒達は、一斉に溜め息を漏らしながら姿勢をくずし、そしてそれを号令に、教室内の空気は一気に雑談混じりの緩んだ雰囲気へと形を変えていった。


みんな俺と同様で、まだ慣れない新しい学校生活に多少なりとも緊張をしていたのであろう。


それはみんながみんな、終始どこかお互いの事を探り探り…といった様子で今日一日が過ぎていったという感じだった。


そんな最中…


「ゆうやん、部活何するか決めた?」


そう言って声を掛けてきたのは俺の席の前に座る北山きたやま静馬しずまだった。


もちろん彼と出会ったのは、昨日の入学式の時が初めてだったのだが、静馬はその人懐っこい性格からか、入学二日目にしてすでに俺の事を『ゆうやん』という愛称で呼んでいる。


「…いや、まだ部活は決めてないんだけど、なんか今日は体験入部に誘われててさ…」


「…ふ~ん、何部の?」


「…………オ……部…」


『オバケ部』というふざけた名前を口にするのが恥ずかしかった俺は、なるべく周りの人達に聞こえてしまわないように、その部の名前を小さくそう呟いた。


…が、何とも間が悪い事に、俺が口を開けたその瞬間に近くの女子達が一斉に笑い声をあげてしまい、俺の勇気ある一言は静馬の耳には届く事なくかき消されてしまった。


「ん?何?女子がうるさくて聞こえない。」


そう言って自分の耳に手を当てながら俺に体ごと近づいてくる静馬。


その瞬間に、静馬の柔らかそうでまっすぐな栗毛がさらりと揺れた。


仕方がなく俺は、静馬の耳に向かってもう一度あの恥ずかしい部活の名前を囁いた。


「……バ…ケ…部…」


「あぁ、バスケ部ね。」


…いやオバケ部だ。紛らわしくてすまん。


「そっか~、ゆうやんすでに部活決めちゃったのか~」


そう言って自分の席の椅子にもたれながらゆらゆらと体を揺らせる静馬。


その表情は、非常にガッカリとしたものだった。


「…いやでも今日はまだ体験入部ってだけで、その部活に入るって決めたワケじゃあないんだけど…静馬はまだ部活決めてないのか?」


「いや、もうバッチリ決めてるし、すでに入部も済ませておいた。このまま行けば、俺部長にでもなるんじゃないかな~」


そう言って椅子にもたれかかったままケラケラと笑う静馬。


男のクセに誰からも好感度が爆上がりしてしまいそうなくらいの爽やかな笑顔を浮かべる事が出来るのは、もちろんかなり選び抜かれた、神からも仏からも愛されているような有数の人間だけに限られている。


「入学早々に部長を狙える位置にいるだなんてマジですげーな!静馬、一体何部に入ったんだよ!」


「帰宅部!」


ウインク混じりにそう答える静馬の後ろで


「静馬ー!早くカラオケ行こー!」


とちょっとギャル目の女子二人が静馬にそう声を掛けてきた。


「おう!じゃあゆうやん、また明日なー!」


そう言って軽々とカバンを背負うと、静馬は勇也に向かって後ろ手でヒラヒラと手を振りながら、ギャル二人の間に挟まれて颯爽と教室を後にしていった。


女二人を両脇に立ち去っていく…


その男なら誰しもが憧れてしまうようなシチュエーションを難なくこなす静馬の姿は、さながらどこかの石油王かお貴族様かのような出で立ちだった。


…ありゃあ、間違いなく相当モテますわ。


自分とのあまりにもの生活の違いに、何だかガックリと肩を落とした俺だった。



「静馬ーぁ、あたし明日はパルコで買い物したいんだけどー」


「あ!あたしもー!パルコの中に新しいスイーツの店できたじゃん!あそこにも行ってみたいんだよね~!」


そう言ってギャル二人は静馬のすぐ後ろでテンション高めに騒いでいる。


…女とは、なんて愚かで単純で、バカな生き物なのだろう。


ギャル二人のそんな会話を優しい笑顔でかわしながら、静馬はそんな事を思っていた。


女友達ができれば、トイレにまで一緒に行くぐらいにまで群れたがり、SNSやメディアにひとたび話題の品とやらが取りだたされれば、我先にとそれへと群がり、またそれをSNSにあげる。


ファッションも、メイクも、すべて流行りの物ばかり…


その外見は所詮ただの器であり、その中には自分という個性が全くない。


静馬はその端正な顔立ちと、どこか気品溢れる物腰の軟らかさから、常に女には困らぬ生活を送ってきた。


だがそれがゆえにそろそろ女という生き物に飽きはじめてきたというのが正直なところでもあった。


そんな事を考えながらふと渡り廊下の窓に目をやると、窓に反射した自分の姿と目が合った。


もはや近くで楽しそうに話しているあのギャル達二人の声など、もうその耳には届かない。


窓に鏡写しとなった静馬の表情は、まさに感情などない、ただの作り笑いそのものといった感じだった。


…そろそろコイツらと遊ぶのも潮時かもな…


もちろんこのギャル二人と出逢ったのも勇也と同じ入学式の時であったが、静馬はすでに入学二日目にしてこの二人との関係にうんざりしはじめていた。


「…ちょっと静馬!話聞いてるー?」


「あぁ、聞いてる…よ!?」


ギャルの一人にそう声を掛けられて振り向いたその瞬間―――――…


ドンッ!


静馬は前方から来た女子生徒と肩がぶつかってしまった。


その衝撃で、女子生徒が抱えていた大量の書類が宙を舞い、そしてそのまま床へと散らばった。


「…あ!ごめん!前をよく見てなくて!」


いつも通りの愛想笑いを浮かべながら、床へと散らばった書類を拾いはじめる静馬。


「…ううん!…ごめんなさい…私こそちょっとボーっとしてて…」


か細い声でそう答える女生徒。


書類を拾うために反射的にすぐにその場でしゃがんでしまった為、静馬の位置からはその女子生徒の顔など見えやしなかったが、静馬の瞳は自然とまだ突っ立ったままとなっている女生徒の足元へと目を向けられていた。


決していやらしい意味などではなく、白くて細長い綺麗な足とその女生徒が履いているスニーカーのサイズから見て、その女生徒がかなりの低身長な女子であるということが伺える。


…めっちゃ足ちっちゃ!…ってか、細!!


この子の背が低いから、気づかずにぶつかっちゃったんだな…


そんな事を考えながら静馬は淡々とその女子生徒が落とした書類を拾い続けた。


静馬は昔から自分をよく魅せる方法を完全に熟知していた。


それがゆえに女にモテているのであり、入学早々に帰宅部を選んでも先生に怒られたりしないのは、静馬の立ち回りの上手さでもあり、そして静馬だけの特権でもあった。


静馬は無意識に脳内で書類を拾い集めた後は、飛びきりの笑顔で女生徒に手渡そうというプランを計算していた。


そうすれば例え相手が初対面であっても、相手に恨まれる事なくむしろ好印象を与える事が出来るという事が分かりきっていたからだ。


「はい、どうぞ。怪我は…なかった?」


「…あ、はい。ありがとうございます…」


飛びきりの笑顔を浮かべながら静馬がその女生徒にかき集めた書類を手渡そうとしたその瞬間…


書類の束の中からヒラリと数枚の書類が抜け落ちて、そしてそれらがそのままパサリと床の上へと広がった。


思わずその落ちた書類を何の気なしに覗き込む静馬。


見るとその書類には『チュパカブラ』と書かれた見るも恐ろしい血みどろの絵画が描かれていた。


「…って、怖!!何コレ!?」


何故か必要以上の劇画タッチで描かれたリアルで不気味なその絵の恐ろしさに、思わず体を仰け反りながら驚く静馬の反応を見たその女生徒は、すぐさまその場にしゃがみ込むと、急いでその書類達をかき集めはじめた。


その絵画のあまりの恐ろしさに、体が動かず立ち尽くしたままとなってしまった静馬は、その女生徒が必死に書類をかき集めているさまをただひたすらと眺め続ける事しかできなかった。


その瞬間…


そうそれは本当にほんの一瞬の出来事だった。


その女生徒が、最後の書類を拾いあげようと自分の横髪を耳へとかけた瞬間、あらわとなった彼女の横顔を見た静馬は、まるで全身に電撃でもくらわされたかのような衝撃を受け、更に体が動かなくなってしまった。


女生徒はそんな静馬に向かって軽く会釈をすると、再び大量の書類を抱えて走り去って行った。


「もぉ何?今のオンナー…って、大丈夫?静馬。」


一連の騒ぎが終わって、ようやく後方で二人のやり取りを傍観していたギャルの内の一人が、そう静馬に声を掛けてきた。


「…ヤバい…めっちゃ痛い…」


ギャルのその言葉に反応して、静馬はようやく自分の口から言葉らしい言葉というものを絞り出すことができた。


「マジ?あの女とぶつかったトコ?最悪じゃん!」


「大丈夫?どこが痛いの?」


口々に騒ぎだすギャル達に向かって、静馬は再び声を絞り出した。


「…胸が…」


そう言って自分の左の胸元を強くつかんだ静馬の顔は、今までにに体験した事がないくらいに、真っ赤となってしまっていた。

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