8.感情と求められる姿の対立

信頼関係を築くときにも当然常にこのフィルターが存在していた。

相手の言動一つ一つをフィルターにかけ分析する。

 

例えば

「若いのに、しっかりしているね」

という何気ない言葉一つとってもそう。


言葉通り、感心をあらわしているのか。

若いわりにはしっかりしているが、物足りないことをあらわしているのか。

好意的に「これからも頑張ってね」という意を含んでいるのか。

はたまた「今回はよかったけど今後もしっかりしてくれよ」という抑止力の意なのか。


……といった風である。その人の人間性や立場なども加味し、受け取った内容を分析、そしてこちらの言動を決定していく。



ときには相手の体調不良を信頼関係を築くチャンスだと思い、気の利いた一文をメールに添える。


気が付くと本心でも心配していたはずなのに、フィルターにかけることで一気にただの下心による一文になった。


全部自分の感情から出る言動より先にフィルターがくるのだ。


 


きっと営業なら当たり前のことであって、何も悪いことはしていない。それによって自社だけ利益を得てクライアントに不利益を与えるような詐欺まがいの営業をしているわけでもない。

むしろクライアントの求めるもの以上の成果をあげ、評価されることの方が多いくらいだ。



それでも、今までの学生とは違う社会という場におかれ、企業に属し、「営業」という役割を担ってからたった半年の”理論”だけが理解できてしまった頭でっかちの私には、"感情"がついてこなかった。



ビジネスはビジネス、自分は自分という割り切り方がわからなかった。


そしてフィルターにかける回数が増えるにつれ、どれがフィルターに通っていない「純粋な自分自身の言動」なのかわからなくなってしまっていた。

 


これが、もやもやの正体だった。


自分で自分の感情が見えなくなっていく。


それでも営業としての周りからの評価は上がっていく。


自分だけがどこかに取り残されてしまったような漠然とした不安。



それが、

「信頼してくれる人のために、自分がやれる精一杯のことがやりたい。」

という自我を自覚したことでより強まってしまった。


"自己の感情"と"営業として求められる姿"の対立である。

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