#15.2 Tellmore

 僕が目を覚ましたのは、それから一か月後のことだった。

「目が覚めたか?」

 視界の隅に父の姿を発見した。

「ここはどこ?兄さんは?」

「島の近くにある病院。幸人はまだ寝ている」

 退院手続きをとった後、僕は父に連れられて離島へ向かった。兄を病院に置いてきても良かったのかと尋ねると、父は素っ気なく「問題ない」と答えた。

 島に着いた後、父に案内されて辿り着いた場所は墓場だった。父は見晴らしのいい場所に建てられた石碑の前で足を止めた。石碑には、ハルの父親の名前が刻まれていた。

 沢山のプルメリアの花が飾られているのを見て、昨日も来たのかと尋ねると、父は煙草の煙を吐きながら静かに頷いた。

「雨が降って来たな」

 墓の周りに飾られたプルメリアの花が雨に濡れて萎びていくのを見つめながら、その場に立ち尽くしていると、父が墓場から少し逸れた道に向かって歩き始めた。崖下の小洞窟に辿り着くと、父はリュックサックの中からタオルを取り出し、僕に投げつけた。

「いつまで突っ立っているつもりだ。早く拭け」

「言われなくても拭くよ」

 タオルで顔を拭いていると、花の匂いとは違う、甘い香りが漂ってきた。下を見ると、なぜかシュークリームの箱が地面に置いてあった。

「なんでシュークリームの箱がここに?」

「嫌なら食うな」

「嫌とは言ってない。というか、僕の分もあるんだ」

 父から手渡されたシュークリームを一口齧ると、中から甘いクリームが出てきた。食べ物を美味しいと感じたのは、久しぶりだった。

「どうだ、美味いか?」

「美味い」

「そうか」

 雨音が強まり、洞窟の外が真っ白になった。父は岩の壁にもたれかかり、天井に向かって深いため息をついた。

「ルカが死んだ日も、ちょうどこんな雨の日だった」

 遠くで雷の音が聞こえた。父は煙草に火を点けると、ぽつりぽつりと昔のことを話し始めた。



 他人に興味がない父がはじめて興味をもった相手。それがハルの父、ルカだった。

 父とルカは大学の研究室で出会った。他人と深い関係を築こうとしなかった父と、周囲から異常に好かれていたルカは対照的だったが、父もルカも、心のどこかで孤独を抱えていた。

 誰も悲しまない世界を作りたい。そう決意した二人は、誰も悲しまない世界の実現を目指して、Tellmoreのアプリを開発した。やがてルカは結婚して家庭を持ったが、ハルの出産と同時に妻を失い、その後、音信不通となる。ルカが消えた後、父も結婚し、僕と兄が生まれた。

 数年が経ったある日、ルカから助けを求める手紙が届く。手紙を読んだ父は、急いでルカの元へ駆けつけたが、彼は難治性の病に冒され、息絶えようとしていた。

 ルカは死ぬ間際、父に二つの頼み事をした。残された一人娘が悲しまないように、自分そっくりのロボットを作って欲しい。そして、自分と同じ病気で苦しむ人が自由に動ける社会を作って欲しい、と。

「Tellmoreロボットは、ルカの発案だった。ルカそっくりのロボットを作れば、ハルが悲しまずに済むと思った」

「じゃあ、ハルが男の姿だったのは」

「ルカをベースに作ったからだ。俺はハルに、女の姿で作ってやると言った。だが、ハルはそれを断った」

「理由は聞いたの?」

「お前と対等でいたいからだと。あいつがそう言った時、俺にはハルの気持ちが理解出来なかった。お前たちを少なからず羨ましいと思っていたから」

 父が物憂げな表情で煙草の煙を吐いた。

「俺は家族よりも友を選んだ。最低な父親だろ」

「それを言ったら、僕だって出来損ないでごめん」

 父は地面に転がっていた石に煙草の先端を擦り付けながら、「どっちもどっちだな」と笑った。

「あのさ、父さん。僕は医者にはなれない。学力も才能もない、ないものだらけの僕だけど、大事な人を守れる人間になるよ」

 父の手が煙草の箱に伸びた。だが、その手が煙草を掴むことはなかった。

「お前の人生だ。好きなように生きればいいさ」

 父が洞窟の外へと目線を移した。いつの間にか雨が止み、洞窟の外は雲ひとつない澄み切った青空が広がっていた。



 翌朝。ホテルで遅めの朝食を済ませた後、僕と父は、再び離島に向かった。

 昨日、本島へ戻る船の中で、ハルが生前、海洋散骨を望んでいたことを父に話した。人間の骨の数と同じ数の紙ひこうきを用意して、それを海に飛ばしたいと言うと、父はわざわざ夜中に出掛けて、専用の用紙を買ってきてくれた。

 二百個を超える紙ひこうきを詰め込んだバスケットを手に、海が一望できる崖まで歩いた。バスケットに掛けていた布を取り、父と一緒に紙ひこうきを海に飛ばした。空を飛んでいく紙ひこうきは、まるで自由に空を羽ばたく鳥のようだった。

 紙ひこうきを飛ばし終えた後、無性に海に飛び込みたくなった僕は、全速力で崖の近くにある道を下り、靴や靴下を砂浜に投げ捨て、足を水の中に突っ込んだ。海水を強く蹴り上げると、そのまま海の中へ落ちた。

 陽の光を浴びながら、ゆっくり目を開けると、澄み切った青空が広がっていた。その景色を見て、僕は思わず笑ってしまった。

「冬の海に突っ込むとかあり得ないだろ」

「父さんも一緒に水浴びする?」

「するわけないだろ。それより、幸人が目を覚ましたと連絡があった。早く行くぞ」

 兄の名前が出てきた途端、急に現実に引き戻されたような気分になった。立ち上がろうとすると、父が僕に手を差し伸べてきた。

「海洋散骨の続き、するか」

「え?」

 あれで終わりじゃなかったのかと思いながら砂浜に向かうと、父はリュックから大量の花を取り出し、僕に預けた。重量のある花に身体がふらついた。

「父さんって、プルメリアが好きなの?」

「俺は別に好きじゃない」

 父はリュックから金箔入りの酒瓶を取り出しながら、そう言った。

「・・・・・・なに笑ってるんだよ」

「いや、何でもない」

 Tellmoreの画面を開くと、いつもプルメリアの花が映し出される。父にとって、プルメリアは特別な花なのだろう。

 花を海に流すと、辺りがプルメリアの甘い匂いに包まれた。海面を漂う花を見つめながら、僕は兄にかける言葉を考えていた。

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