番外編 高橋圭の葛藤

 佐賀内透が引っ越してきたのは、中学二年の秋だった。

 彼の母親は「もうすぐしたら同じ中学に通うから、よろしくしてやって欲しい」と俺に頼んできたが、彼は自分の苦手な陰キャタイプだった。

 彼の初登校日、俺は気まずさを感じながら、彼と一緒に登校した。

 教師から転入生の話を告げられ、彼が自分と同じクラスになることも驚きだったが、教室に入った直後に事故紹介をした彼にも驚いた。

 予想はしていたが、自宅に帰ると、佐賀内が玄関の前でうずくまっていた。俺に気づいた彼は「僕、やらかしちゃった。どうしよう」と寄りかかってきた。「今さらどうしようもないだろ」と言ったが、彼がわんわん泣くので、「困った時はいつでもウチに遊びに来い」と言った。

 学校で近づかれるのは困るが、誰にも知られないのなら、それでいいと思った。



 佐賀内は案の定、いじめの標的になった。そして、毎日のように俺の家にやって来ては泣いた。

 佐賀内は漫画やアニメが大好きで、よくその漫画を学校に持って行っては横山たちに破かれていた。その場面を幾度となく目撃したが、俺は知らないフリをした。佐賀内を庇うことで自分に何のメリットもないと、そう判断したからだ。

 日を追うごとにいじめがエスカレートしていき、流石にまずいと思った俺は、彼がいじめを受けていることを親や教師に相談した。だが、両親は「いじめを解決するのは教師の仕事だ」と言い、教師は「証拠がないと話にならない」と言った。

 次第に佐賀内は不登校になっていった。当然、ウチにも寄らなくなった。

 親が佐賀内の話をする度に、自分が悪いことを犯してしまったような気がしてドキッとした。だが、ある時から佐賀内が再び学校に通うようになった。

 数日経ったある日、佐賀内が家にやって来るなり、数千円を俺に渡した。

「俺、カツアゲしたつもりなんかないんだけど」

「違うよ。漫画の代金を返しに来たんだ」

 最初、彼の言っている意味が理解出来なかった。話を聞くと、どうやら破られた漫画が次の日の朝になると彼の机の中に入っているらしい。

 主犯である横山の顔が一瞬頭に浮かんだがと思ったが、それはないと自分でツッコミを入れた。

「圭じゃなかったんだ。じゃあ、これ誰の字か分かる?」

 彼から手渡された小さなメモには、『助けられなくてごめん。』と書かれていた。書道の先生が書いたのかと思うぐらい綺麗な字だったので、「きっとお前に好意を寄せている女子が書いたんだよ」と言ったが、彼は「それはない」と言った。

 佐賀内が帰った後、ふとメモ書きの字が頭を過ぎった。登校中に強風にあおられて傘を駄目にした日、下校時に憂鬱な気分で下駄箱を開けると、『もし良ければ使ってください。返さなくて結構です。』と書かれた紙と共に折り畳み傘が入っていた。その時の俺は、本当にどうしようもない馬鹿だったから、きっと自分に好意を寄せてくれているクラスの女子が傘を貸してくれたんだろうと思って、深く考えようともしなかった。筆跡からして同一人物の可能性が高い。そう思った俺は、真相を探るべく、眠い目をこすりながら朝早くに家を出た。



 朝六時の教室には、すでに先客がいた。深海渚が参考書を片手に勉強しているのを見て、内心ウワッと思った。

「こんな時間から勉強かよ」

 同じクラスで部活も同じ。彼との接点は俺が一番多い。だからといって、仲が良いわけでもない。深海渚は、誰にでも愛想笑いを浮べて、定期テストでは常に上位のランキングに入っている優等生だ。もし彼の性格を答えろと言われたら、彼を知っている人間は皆、口をそろえて真面目だと言うだろう。

 真面目が悪いわけじゃない。だが、いわゆる典型的な良い子ちゃんタイプは、俺の目には生きづらそうに映る。

 今日はハズレの日だな。そう思いながら、教室の扉を開けた。

「深海、おはよ」

「・・・・・・おはよう」

 反応はあるのに、彼の目線は依然として参考書に注がれていた。

「お前、学校に来るの早くね?」

「別に。学校の方が集中できるから」

 普段は愛想笑いを浮べているのに、いまは無表情だった。よほど難しい問題を解いているのか、もしくは、俺が愛想笑いを向ける対象外の人間として判断されているかのどちらかだ。

「確かに期末試験近いけどさあ。一体、何の勉強してんの?」

 視線を彼のノートに移すと、そこには例の書道先生の字が書かれていた。一瞬、自分の見たものが信じられなかった。

「なに?」

「・・・・・・いや、偉いなと思っただけ」

 止まっていたシャーペンが再びせわしなく動き出す。邪魔するなオーラを感じた俺は、速やかに教室の外へ出て、早朝の学校散歩へ繰り出した。

 家に帰った後、学校をサボった佐賀内に今朝のことを報告した。その話をした直後、佐賀内が突然わっと泣き出した。理由をいくら尋ねても、結局彼は最後まで答えてはくれなかった。



 深海が漫画を破った日、佐賀内は団地の近くにある橋の上に立っていた。橋の上に身を乗り上げるのを見て、慌てて止めに入った。

「止めないでよ。僕はもう死ぬんだから」

「早まるなよ。いつも横山から漫画破られたり、それ以上の事されてるじゃん」

「あいつと深海君とでは全然違うよ」

「何が違うって言うんだよ。漫画だって、深海が買ったものだし、どうせ明日の朝、同じ本が机の中に入ってるって」

「だから、そういうことじゃないんだよ!!」

 佐賀内が大声を出すのを聞いたのは、はじめてだった。

「僕は、深海君のことが好きなんだ」

 今にも消え入りそうな声で、彼はそう言った。

「僕は彼に恥をかかせた。彼はもう二度と僕の机に漫画を入れてくれはしない」

「そんなことないって。あいつ、ああ見えて、写真部の部室に置いてある漫画を隠れて読むぐらい漫画好きだしさ。本当はお前と漫画トークしたいって思ってるよ、きっと」

 泣いていた佐賀内が首を横に振りながら、ズボンからスマホを取り出した。

「圭、このアカウント知ってる?」

 見せられたTwitter画面には<来世はきっと深海魚>という名のアカウントが表示されていた。

「知ってるも何も、これ、深海のアカウントだろ?あいつ、まだTwitterやってたのか」

「じゃあ、こっちは?」

 佐賀内が今度はTellmoreのアプリを開いた。同じユーザーネームが表示され、ユーザーネームの隣には王冠が光り輝いていた。

「彼はSNSでも現実でも僕のヒーローだった。だけど、彼はもうヒーローをやめてしまった。SNSでも現実でも、僕は彼を傷つけてしまった。だから、僕はもう死ぬしかない」

「だったら、死ぬ前に俺と賭けをしないか?」

「賭け?」

「深海がお前を助けに来たら、お前は一生自殺してはいけない」

「もし深海君が助けに来なかったら?」

「・・・・・・その時はお前の好きにしろ」

 もし彼が助けに来なかったら、その時は俺が佐賀内を止めればいい。そんな自分の安易な考えが、後にとんでもないことになるなんて思ってもみなかった。



 佐賀内と共に家に帰った後、家族からかつてないほど叱られた。携帯の充電が切れていたこともあって、家族に状況を報告できなかったのだ。その後、学校へ謝罪しに行くことになったが、ちょうど深海と横山がふたりで歩いているところに遭遇した。

 なんとなく嫌な予感がして、彼らを動画で撮影した。階段の途中で止まったかと思うと、突然横山が深海を階段から突き落とした。近くを通りがかった教師に助けを求めた後、横山に問い詰めた。

 佐賀内をいじめた理由。なぜ深海を異様に嫌うのか。その理由を彼から聞いた。

 横山の家族のこと。生徒会長選のこと。深海を憎む理由。横山から深海兄の話を聞いた時、彼の写真部の入部理由を思い出した。

『生きた証を残したいと思ったから』

 その時はナルシストかよと思ってスルーしたが、今になって腑に落ちた。

 生きた証を残したい。それは自分以外の人間も含まれていたのだと、俺は後になって気づいた。

 全部聞いた後、俺は自分がどうすべきなのか分からなくなってしまった。だから、横山から聞いた話や階段での出来事すべて無かったことにした。

 何もしない。そう約束すると、横山も必要以上に俺に近づこうとしなかった。



 深海が壊れていく様を見て、本当はずっと助けたいと思っていた。何も出来ない自分が嫌いになっていった。だから、陰ながら深海を助けることにした。

 時は流れ、高校二年の始業式。外に投げ出された深海の机を教室まで運んでいる途中で、見慣れない男が正面から歩いてきた。運ぶのを手伝うと言ってきた男を適当にあしらおうとしたが、彼はそんな俺を見てふっと微笑んだ。

「渚のこと、大事にしてくれてありがとう」

 深海を下の名前で呼ぶ人間がいることに驚いた。それと同時に、ある予感がした。

「お前、誰?」

「僕は秋草ハル」

 秋草はそう言って、机の上に置いていた深海のカバンを手に取った。

「見慣れない顔だけど、深海とはどういう関係なの?」

「友達だよ。十年前に、ほんの数か月一緒に過ごした友達」

 十年。十年前というと小学生の頃の話か。

「そういう君は、渚のことをどう思ってるの?」

「俺?」

 さっきは咄嗟に友人と言ってしまったが、俺は彼のことを遠くから見ているだけで、直接的には何もしていない。こんなのは、きっと友人ではない。だが、彼を大事にしたいと思っている。

 ふと昨日テレビで見た女性アイドルグループが頭に浮かんだ。

「俺にとって深海は、推しなんだよ」

「おし・・・・・・?」

 秋草が首を傾げる。自分で言っておきながら馬鹿馬鹿しいと思った。だが、別に誰になんと思われようが構わない。

 そうだ、俺にとって深海は推しだ。だから、彼を大事にしたいと思っていいのだ。全力で応援してあげたいと思っていいのだ。

「そう、推しなんだ」

 鬱々とした気持ちが一気に晴れていくのを感じた。


 

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