第13話「引きこもりだけど、脱出する」
「……あーと、こちらひきこもり。今日自宅からの脱出を試みる。とりあえずルートは確保できた。多少奴らと対峙することはあるだろうが、状況はそれほど悪くないと思う。これを聞いてたら応答してくれ。できればお前も助けに行きたい。……オーバー」
翌朝だけど未明、日向より先に目覚めて無線に話しかける。この前と同じ時間だから応答してくれるだろう。無線の向こうの相手も日中寝て夕方起きて明け方に寝るライフスタイルなのかもしれない。
窓の向こうは昨日に引き続いて雲のない群青が広がっている。今日もいい天気になりそうだ。だからこそ成功する。そんな気がしてならなかった。
『……おはよう引きこもり君。とうとう出るんだね。幸運を祈ってるよ。それと……俺のことは助けに来なくてもいいよ。……やっぱ無理っぽいんだ。だから彼女連れて二人だけで逃げてくれ……どーぞ』
無線から聞こえた彼の声は先日よりも明らかに疲弊しているように聞こえた。
「……なんとかならないのか?マンションだってベランダからシーツを括りつけて少しづつ降りていったのをなんかの本で読んだことがある。俺がそっちに行ければそれを手伝うこともできるんだ。隣町のどこにいる?教えてくれ。どうぞ」
『……簡単に言ってくれるねぇ。奴らがドアの向こうで出す音がうるさすぎて下の方にも集まってきているんだ。仮に降りられたところでお食事が空から提供されたのと何も変わらないんだよ。……それに、飲まず食わずでもう三日目だ。……こうやって話しているのも結構つらいんだよ。あー……引きこもらなければよかったかも。とりあえずそんなわけで君たちの幸運を祈っている。通信終了だ。もうかけてこなくていいからな』
「……おい、ちょっと待て!諦めんなよ!……俺だって傍目からみたらかなりヤバい状況だけどルートはちゃんと見つけられた!……きっとなにかあるはずだ。壁に穴開けて隣の部屋から出ることだってできるだろ!なんのために今まで引きこもってきたんだよ!!生き延びるためだろうが!!」
無線からは何も応答がない。
「ああ……クソ」
「……朝からどうしたの?」
隣で寝ていた日向が目をこすりながら起きてきた。
「……すまん。なんでもない」
「……そっか。今日は頑張って海まで行こうね」
……今日中に海は厳しいだろ。それでも確実に命を危険に曝すような脱出作戦を前にして笑って見せた日向に心の平穏を覚えた。
無線を取りに行く際に金属バットは庭に置いてきてしまったので、木製のバットが今回の頼みの綱だ。正直頼りないような気がする。はがねのつるぎからてつのけんに装備を変えた気分だ。現実をみれば竹のヤリやどうのつるぎでもあれば大助かりなのだがこれはRPGじゃない。スライムを倒すのすら一苦労な木製のバットでこれからゾンビを相手にするのだ。あぁ考えたくもない。
「私も何か武器を持った方がいいかな」
「……何かあって逃げるのに支障がなさそうなら持って行け」
出来れば俺だって戦闘は避けたい。日向が奴らに襲われるようなことになるなんて論外だ。出来るだけバットは使わない。とにかく逃げる。そのことを胸に刻みつけた。
ベランダに出て隣の家のベランダに向けて武器を放る。これから屋根に飛び移るのにこれほど邪魔なものもない。結局日向は「奥村がなんとかするから」と言って何も持って行かなかった。まぁ、それでいいと思う。
奴らの注意をひかぬよう素早く屋根の上に上る。なんか、随分と慣れてしまったなぁ。
「奥村なんか木登りするサルみたい」
「蹴落とすぞ」
屋根に上るのは慣れていたが屋根から屋根に飛び移るのは慣れていない。安田家の屋根には飛び移ったが、前野家にはまだ一回も飛び移っていない。というのも前野家の屋根は安田家の屋根に比べて角度がエグかったのだ。着地時のバランスが少しでも悪ければ落下する確率が高い不安定な足場が俺の喉を鳴らす。
「……大丈夫かこれ」
飛び移るのは容易ではないが出来ないこともない。ベランダに接する屋根なので高さ的には問題でもないが、落ちたら待つのは死。そのことが踏み出す足を強く握って離さない。
「飛べる?梯子使った方がいいんじゃない?」
服の袖を掴んで日向が不安そうに俺の顔を覗く。
「でも……飛ばなきゃいけないしな」
梯子を使えばこの前のように容易に渡れるが俺らを追って奴らがなだれ込むように隣の庭に侵入してくるのは目に見えている。それでは隣の家から出る意味がない。
「……日向、俺を信じてくれ」
神に乞うなんてしたくもなかった。ただ隣にいる人に信じてもらいたかった。
日向は何も言わずに袖から手を放すと小さくうなずいた。
だから、飛び出すのは簡単だった。
前野家の屋根に飛び移る。酷く冷たい風が頬を撫でた。飲み込んだ息が喉の奥で破裂する。瓦が小さく音を立てて、地獄の底へと引きずる重心を強引に前に置いて、どうにか上手いこと着地できた。
大きくため息をついて日向の方を向く。次は日向の番だ。
彼女も屋根から飛び移ることに躊躇しなかった。普通なら誰だって躊躇する、そんな状況でただ俺の姿だけを見据えながら迷いなく日向は屋根から足を浮かせた。
ほんの数舜、それが何分にも感じられるくらい長い時間だった。息が止まる。背筋に氷が張ったような感覚を覚える。
「日向!!!」
日向は目の前から消えた。もうこちらに来ているはずの日向が視界から失せた。
すぐに屋根の縁に駆け寄る。汗がどっと噴き出し、不快な温度を示す血液が体中を駆け巡る。
視界の先、日向は前野家の庭で倒れていた。
「起きろ!!」
俺の声で日向が目覚めると同時に数体のゾンビがこちらに気づいた。抑揚なく首と目が獲物を視認する。
「奥村……!!」
どうしていいか分からずにただ泣きそうな顔で俺の顔を見ている。
日向はまだ俺を信じてくれている。彼女を救えるのは俺しかいないのだ。
すぐさま辺りを見渡し、屋根の下に室外機があるのを見つけた。高さは少し足りないが手を伸ばせば引き上げられる。
「そこの室外機に上れ!!」
日向がすぐさま室外機に駆け寄り、その上に上がる。塀の向こうでは何体かのゾンビが群がっている。背丈が足りないのが救いだろう。いずれにしたってゆっくりはしていられない。
「……手を伸ばせ。引き上げるから、しっかり掴めよ」
屋根の縁ギリギリまで寄ってそこから手を伸ばす。日向も背伸びをして手を伸ばす。あと少しで掴める。慎重に屋根の縁へ体を寄せて日向の左手へ右手を下ろしていく。
塀の向こうからうめき声が聞こえるが気になどしなかった。どうにか日向の手を掴み引き上げる。鍛えてもいない引きこもりが片手で人を持ち上げるなんて無理に等しい。だけど、そんなん知るか。
「あげるところまで引き上げる!なんか掴めそうなら掴め!」
「窓がある!!」
「開けられそうか!?」
一度手を放して日向が窓をスライドさせる。ガチャガチャと激しく音が鳴っている。
「鍵がかかってんのか!?」
「違う!開いてるの!!……でもこれ以上開かないよ!!」
「クソっ…」
しばらく開けていなかったのだろうか、ギシギシと窓枠が軋んでいる。もう一度顔をあげると塀を迂回しようとしているのか、あるいは定員オーバーなのか、おそらくは後者なのだろうがゾンビの群れが散らばり始めている。
「時間がない!開かないならそれでいいから足場にして!引き上げるから頑張ってくれ!!」
力の限り引っ張る。日向の右手が屋根の縁を掴むのが見えた。あと少し。
「があああああああああああああああ!!」
これからの一生でこんなに力を必要とすることがあるだろうか。というくらいに力いっぱい引き上げる。
日向が屋根の下から這い上がってきた。仰け反って力なく仰向けに倒れる俺を抱きしめる。
「……あぁ、良かった。マジで良かった。死ぬかと思った。」
語彙力のない安堵の言葉を並べながら日向の頭をポンポンと叩く。日向は鼻をすすりながら泣いている。
「もう大丈夫だ。あとはここから出るだけだから。……あとちょっとだから頑張ろうな」
肩に頭をうずめたまま、日向は小さく頷いた。
バットを手に取ってベランダから侵入する。相変わらず静かな家で、日差しに照らされた埃が宙を舞っている。暖かかった外とは違って、室内は随分冷え込んでいた。
日向を後ろにしてバットを構えながらドアの外へと出る。中にゾンビがいないのは前に確認済みだったが注意はしておいて損はない。
「下に降りたら一気に家から出て走り抜けるからな。用意はいいか?」
「うん」
先ほどまで泣いていたせいか声が上ずっていた。
階段を降りてまっすぐ玄関へと向かう。ドアに手をかけて日向を見る。
脱出のタイミングを確認するようにお互い頷く。……よし、
開けようとしたその時、向こう側から強くドアを叩かれた。すぐさまドアを引いてカギをかける。
「バレてたのか……!?」
ドアの覗き窓から外の様子をうかがう。すでに数体のゾンビがドアの前に群がっていた。
こちら側に移ったのを何体かにはバレたのは分かっていたが、こんなに早く出口をふさがれるとは思っていなかった。
明らかに動揺する俺を見て日向が怯える。
……突破できるのか?もう一つ隣の家に移るか?いや、できるだけもう屋根から屋根へと飛び移るようなことはしたくない。出るならきっと今だ。しかし、一つの出口に数体群がられている状況を無傷で切り抜けられるなんてかなり厳しい。
……殺されないようにではない、無傷でだ。改めてその事実を噛んで飲み込む。傷を負えば奴らの仲間入り。それも丸腰の日向を守りながらだ。なんて厳しい掟なのだろう。足は躊躇せざるを得なくなり、硬直する。
のぞき窓から再び外を確認する。少しづつではあるが前野家の玄関を激しくノックするゾンビの音に気付いてだんだんとその数を増やしてきている。もうここはふさがれたも同然だ。
「……クソ。また別のルートを探すしかないのか」
のぞき窓から目を離し、日向の方へ目を向ける。
「あ……」
瞬間、声を失った。とっさに声を振り絞って叫ぶ。
「日向後ろ!!!!!!!!」
いつどこから入ってきたのか分からない屍が日向の肩に噛みついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます