第12話「引きこもりだけど、家を出る決心をつける」
冬の西日は実に心地がいい。冷たくなった風に凍える背中を暖める光が永遠にそこにあればいいのにとさえ思うほどに。隣にいる日向も寝ぼけ眼をこすりながら「うぅん」と寝起きの鳴き声をあげる。そんなゆったり流れる時間の中でも、依然として家はゾンビに囲まれて、時間が経つたびにその数を増しているような気がする。っていうか増してる。
太陽も高く昇ってきたころ、俺たちはついに限界を迎え、屋根の上で寝てしまった。不安定な場所で落っこちでもしたら一瞬にして昼ごはんにされてしまうという考えはよぎらなかった。とにかく、眠かった。
そんなわけで高かった太陽も沈みかける黄昏時になってようやく目が覚めたわけなのである。のんきなのは重々承知だ。
「早く手を打たないと絶対出られないな……」
身体を目覚めさせる兼ね合いで屋根の上からぐるりと一周して辺りを見渡す。
玄関や雨戸側は既にゾンビで埋め尽くされて、いつか見たバーゲンセールを思い出す。狙われてる商品は俺ら二人だ。お客様どうかお帰りください。困ります。
ブロックを挟んで大通りに繋がる裏庭は比較的数が少ない。ただ裏庭に出るには玄関から出る必要があり、屋根から飛び降りるのも可能と言えば可能だが怪我を負わずに飛び降りられる確率は低い。
奴らの何人かは屋根の上にいる俺らをずっと見上げているので裏庭まで追いかけてくる可能性は非常に高い。ゆえに飛び降りて怪我を負ったまま対峙するのもなるべく避けたい。
……家からは出られない。引きこもりの宿命か。社会復帰しようと外に出るんだからむしろ歓迎してほしいね。もちろん食肉としてではなく、一人の人間として。
「脱出できそう?」
ぐるぐるとゾンビのようにうろつく俺を見て日向が尋ねる。
「……かなり厳しいな。自分の家から出られないってそんなことあるかよ」
「今まで出られなかったじゃん」
「言うねぇ」
ため息をついて頭を掻く。絶体絶命。しかし無線の相手の言う通り、おとなしく死を待つなんて考えられなかった。生きてここから出る。今まで散々こもってきた自分の部屋から…………
「……奥村なんでフリーズしてるの?」
ぽかんと口を開けたまま静止する俺を不思議そうに見ている日向。……そう、確かに俺は不思議だ。なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだ。
「家から出るのやめよう」
「えっ」
「それで隣の家から出よう」
「あっ」
力が抜けて膝から崩れ落ちる。何やってんだ俺。
隣の家には今のところゾンビの影はない。もちろん安田家の反対側の家だ。玄関側のゾンビたちに見つからないように身を屈めて渡ることが出来れば裏庭の奴らくらいなら隣の家との塀もあるのでゾンビを行き止まりにもできる。
ベランダが玄関側に面しているので前のように梯子を伝えはしないが、屋根から屋根へ飛び移ればいいだけの話だ。ベランダに降りてすぐ中へと侵入できれば見つからないかもしれない。まぁそこは運に任せるしかない。ただそれでも気づくのは数体だけだろう。玄関を出たら強行突破だ。ひたすら奴らの見えない場所まで走る。逃げられない相手ではない。
自分の立てた計画に身震いしていた。これなら助かる。これなら脱出できる。
「……まぁなんにせよそれなりに危険を伴う作戦だから気は抜かないで挑んでほしい。ここを抜けられたらあとは安全な場所を探していろんなところを回ろう。できれば無線の奴も拾っていこう」
日向に作戦内容を伝えるころにはもう日が沈んでいてあたりは暗くなっていた。
「分かった。頑張ろうね。絶対生き残ろうね」
暗がりで顔はよく見えなかったが、日向に不安や怯えという表情はないように思えた。俺と同じく自信に満ち溢れているのだと思う。
「じゃあ今日がここで最後の晩餐になるから……ちょっと贅沢するか」
自室に戻ってテーブルに缶を並べる。電気が切れてからは必要な時にろうそくを立てている。ぼんやりと淡いろうそくの明かりがとてもおしゃれな雰囲気だが、並んでいるのは缶詰でBGMはゾンビのうめき声と壁や雨戸を叩く音だ。台無しもいいところである。
最近は食料の枯渇を恐れて缶詰のサバ缶一缶とフルーツ缶を少し食べるような食膳だったが、今日は一人に焼き鳥缶が二個づつ。輪切りのパイン缶を二等分。主食とは呼べそうにもないがクッキーをひと箱開けた。一応携帯できる範囲で残りの食料もバッグへと詰めてある。準備は万全というやつだ。
「食が細くなってきたからこれだけでもお腹いっぱいになりそう」
「おかげで少しは痩せたんじゃないのか」
日向は俺を睨むと無言で俺の焼き鳥缶から一つつまんで口に入れた。
「うおおおい。何やってんだてめぇ」
「体重の事を女性に言うともれなく損をするという大事な教えです」
もぐもぐと咀嚼する日向の手前から焼き鳥缶から一つつまんで口に入れる。
「ちょっと。何やってるの。本気?」
「食べ物の恨みは恐ろしいという大事な教訓だな。これで貸し借りはなし。おーけい?」
のーのーのー。と否定する日向を横目に自分の食事を平らげる。延々とやってられるか。
「……食べ終わったらさ、また上に行かない?今日は晴れてたから」
食べ終わって一息つく俺に日向がそんな提案をしてきた。
「晴れてたから……?ああ、そういうことか」
今日は星が良く見える日か。
昨日ほどは寒くはないがそれなりに着込んで屋根の上へあがる。
「……ここでもこんなに星が見えるようになったんだね」
「ああ、なんせもう地上は真っ暗だしな」
いつか山の上で見た星空を思い出す。きっとここよりも綺麗に見えたのだろうけど、それと比較してもさほど変わらないくらい満天の星空が広がっていた。
「最後の晩餐だし、これやるよ」
最初の頃の食料補給で調達した缶チューハイを渡す。
「冷蔵庫の電気は切れていたから冷えてないけどな」
「……未成年の飲酒はよくない」
「今更誰が咎めるんだよ。それに十七歳じゃもう大人も同然だろ」
「それ親戚のおじさんが同じこと言ってた」
「……で、飲んだのか?」
「内緒」
差し出した缶チューハイを手に取ってお互いに向ける。
「乾杯しましょう」
「……そうだな、成功を祈って?」
「これからの二人に」
「げふっ」
思わずむせる。なんだそれ、なんか随分こっぱずかしいぞ。
「……大丈夫?」
「……とりあえずもうなんでもいいから乾杯」
カツン、とお互いの缶が触れる。コップに注いどけばよかったかなとか今更頭をよぎったが日向が飲み始めたので俺もそれに続く。
「美味しいねこれ」
「ああ、意外とすんなり飲めるな」
「あれ、初めてですか奥村さん」
「未成年ですので」
「ちょっとしか飲んでないからセーフです」
……量は関係ないだろ。
「オリオン座がどこにあるか分からなくなった……この前はすぐに見つかったのに……あぁ、たぶんあれだ」
「あっ本当だ。他の星もいっぱいあって分からなくなるね」
小さく輝く星が無数に広がっている。普段頭上にこんな空があったなんて思いもしなかった。
「……まだこの星空を見上げている人がいればいいな」
思いもかけず溢れ出た言葉。日向は静かに頷く。
「……うん。本当はもっといろんな人に見てほしかった」
何も言えずにただ空を見つめる。日向の言葉を聞いて頭の中では生きていてほしい人の顔を一人一人鮮明に思い返していた。……こんな俺でも随分いるもんだな。
「……日向は……ここを出られたらどっか行きたいところあるか?」
たまらなくなって話題を振ることにした。若干涙声になってしまったが日向はそれに気づかないようなフリをして答える。
「……奥村といっしょならどこでもいいけど、せっかくなら海に行きたいな。覚えてる?小学校のころ奥村の家族と海に行ったの。ここからそんなに離れてないのに、海がエメラルドグリーンで綺麗だったよね」
「ああ、なんとなく覚えてる。海か……案外この時期なら人が少なくていい隠れ家になるかもな」
「海岸沿いに住むの?」
「いいかもしんない」
やった!と小さく声をあげて喜ぶ日向。……海か。歩いて行けるもんかな。
「ねぇねぇ奥村さん」
「ん?なん…………」
何だ?と言う前に口をふさがれてしまった。……その、口で。
柔らかい唇が強く触れる。こんなに寒い夜なのに唇は暖かく、酒の酔いではなんともならなかった顔は燃えるように熱かった。日向の息がほぼゼロ距離で俺の唇にかかる。
「……酔ってる?」
日向の唇が離れて数秒、ようやく声を振り絞って尋ねる。
「酔ってないですよ。勢いのちゅーじゃないですよ。マジですよ!マジのちゅーですよ!マジのちゅー」
随分酔ってらっしゃるじゃねぇか。若干ケラケラ笑ってるし。
お酒と日向の所為で顔が大変熱い。汗が噴き出てきた。ああくそ。
「奥村。」
落ち着いたのか今度は静かな声で呼びかける日向。
「……なんすか」
声をかけられても恥ずかしさで日向の方を向くことができなかった。
「明日頑張ろうね」
「……ん」
明日、ついにここから出る。その先に何が待っているのかは全然分からない。ここから出るなんて前の俺は考えもしなかったからだ。
安息の地は無い。なんて日向に言い切った覚えもあるけど、今はどこかにありそうな気がした。無事ここを出られたらひとまずは海を目指そう。
眼前に広がる星空の海にむけてそう誓った。
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