第11話「引きこもりだけど、応答願う」

 ……明け方。時間は知らない。時計が手元にない。暗い青が頭上に広がっているから五時半過ぎか。


 無線を手に入れた代償として昨日からわが家を三十体ぐらいのゾンビに囲まれている。あれから玄関や壁、雨戸を時間帯関係なしにバンバン叩かれて、その音を聞きつけてきたのかゾンビは増える一方でストレスが限界に達し、雨が止んだのを見計らって掛布団とともに屋根の上にいる。


 春先とはいえ、夜になれば布団をコートの代わりにしたところで寒さに凍えるだけであったが、ゾンビによる迷惑を考えないノックの音に耐えられるような状況ではなかった。外に出ればうめき声がより大きく聞こえたが気持ちは幾分かマシだ。


 こんな状況であるとともに屋根の上という不安定な足場の上で寝れるわけもなく、互いに昨晩からまぶたを下ろすことなく空を見上げていた。


 肝心の無線は誰も応答せず。親父が使っていたままの周波数なのでこれであってるとは思うが昨日は誰の声を聞くこともなかった。


 ネットどころか電気が使えなくなって生存者としばらく連絡を取っていない。当然この目でその姿を見ることも無く、最近では本当にこの地球の全員が生ける屍と化してしまったのかと思うほどだ。


 絶対的な絶望。皮肉にも夜は明ける。


「……明るくなってきたね」

「……ああ」


 これから何が待ち受けているのだろうか。朝焼けとともにやってくるヘリコプター?雨戸を開けて窓を突き破りバリケードを超えてやってくる亡者ども?どう考えても後者の方が現実的だ。


「誰か起きたかもしれないよ」


 東の空を見つめたままで日向が言う。


「……え?」

「……無線」

「……ああ」


 夜が明けたら確かに出るかもしれない。だが昨日昼から夜にかけて何回か通信を試みたが誰も出なかったんだ。なら出る可能性なんて低いと考えるのが当然だろう。


 あまり乗り気でない俺に日向は「ほら」といって無線を手渡した。


 無線を手に取りしばらく見つめる。

 誰か出てくれないと俺がやったことすべてが無意味になるだけだろう。


「頼むぜ本当」


 んん、と軽く咳ばらいをしてから無線に呼び掛ける。


「あー、と。こちら〇〇市の自宅で籠城中。近くに誰かいないか。応答願う」


 昨日から思っているのだがこんなもんでいいのだろうか。映画で観たやつをうろおぼえで言っているだけなのだが。まぁ、伝わればいいよな。


 俺の顔を覗き込む日向と目が合う。明るくなってきたので顔がだんだんと見えてきた。……随分酷いクマだ。俺も同じくらい酷いクマが出来ているんだろう。


「誰か出るといいけど」

「出てくれねぇと困る」


 小鳥が辺りで鳴き始め、白み始めた東の空をカラスが飛んでいる。俺はお前になりたいよ。


 手に持った無線はうんともすんともいわない。


「なぁ、マジで頼むよ」

 無線に呼び掛けた。誰かがこれを聞いている、とは思わなかったのでもはや嘆きのようなものだ。

「確かに俺は引きこもりだったけどさ……こんな形で死にたくないんだよ。頼むよ。誰か助けてくれよ……」



『……あー、と引きこもり?引きこもり君?……ごめん、なんつーか今無線聞いて出ようとしたら急に君がしゃべり始めてなんて言おうか忘れちゃったよ。とりあえず他になんか言いたいことある?どーぞ』



 無線から聞こえた声に止まっていた心臓が動き出したような気さえした。


「……日向聞こえたか?俺の幻聴じゃねぇよな?」


 返事は聞かなくてもいいというくらいに日向の顔に現れていた。


「あ……あーと!俺は、俺たちは今〇〇市の自宅で籠城してる。無線のあんたはここから近いか?どうぞ」


『……隣町だね。籠城ってことは家から出られないってこと?どーぞ』


 声の主は若い男性のようだ。どことなく気だるそうだが声ははっきりと聞き取れる低音だ。


「ああ、この無線を取りに行く時に奴らを庭に入れてしまって囲まれた。今も大勢いる。どうすればいい?どうぞ」


『知らん。どーぞ』


 ……………は?


「そっちからは助けに来れないのか?どうぞ」


『……君は引きこもりだったのか?どーぞ』


 ……………は?


「質問の意味が分からない。何を聞いている?どうぞ」


『質問に質問で返すとテストで零点になるって先生とかテンガロンハット被った保安官に言われなかったのか?どーぞ』


 日向と顔を見合わせる。


「とりあえず俺は引きこもりです!って言えばいいんじゃないの?」


「お前に言われるとなおさら言いたくなくなるんだけど」


「いいから言って。無職の引きこもりですって」


 無線機を指して応じるように促す。なんでもいいけど一言多くないか?


「……引きこもりだ。どうぞ」


 数秒の間が空く。東の空はクリーム色に染まり、辺り一面に広がる乳白色の霧を昇りはじめた朝日が照らし、眩しいまでに輝く。……綺麗な朝だ。こんな綺麗な朝に何言ってるんだろう俺。


『生憎俺は救助隊でも銃を持ったごついおっさんでもなく君と同じ引きこもりなんだ。そんでもってだいたい君と同じ状況に置かれていると思う。五階建てマンションの五階の一室で廊下や下の階からうめき声や物音が絶えなかった。んで一昨日あたりから俺の物音に気付かれて激しくドアをノックされてるよ。……申し訳ないね。どーぞ』


 絶句した。


 色んなことで頭がいっぱいになったのか、ショックで頭が空っぽになったのか、とにかくなにも言葉が出てこなかった。


「……他に、誰か無線には出てないんですか?……どうぞ」


 口を半開きにしたまま力なくうなだれる俺から無線機を拾い上げて彼に話しかける日向。


『へぇ。さっき俺たちって言ってたけど女の子と一緒なんだ。随分いいご身分だね引きこもり君。……で、その答えなんだけど、通信が来たのがもう一週間ぶりなんだよね。みんな「外に出る」って言ったまま通信が来なくなっちゃったんだ。どーぞ』


「……そうですか、ありがとうございました」


 無線機の相手に礼を告げて無線機を俺に手渡す。


「……ああ、ありがとうな」


 受け取った右手をギュッと握ってきた。手の上に置かれた日向の指はとても冷たかった。


『……んで、君たちも外に出るつもりなのかい?どーぞ』


 二人の手の間から無線機が話す。


 ……外に出た奴はもれなく通信が来なくなった。言わずもがな死んだってことだ。彼らの状況は聞いていないが、今の俺たちよりはマシだったろう。少なくともドアを開けて外に出ようと思えるくらいの状況だったということだ。


 ドアを開けたら一発で奴らの仲間入り。けどいつまでもここでこうしてたってやつらの仲間入りは免れない。外に出ることだけが唯一の生存への道だ。


「……質問を質問で返すようで悪いがあんたは、外に出るつもりはないのか?どうぞ」


『今度はちゃんと断ってきたねぇ。その礼儀に重んじて答えると、その気はさらさらない。っていうか脱出は無理だろう。潔くここで死ぬよ。で、君は?俺と状況は変わらないはずだろう?どーぞ』


 日向の方を向く。朝焼けをバックにした俺が彼女の瞳に映っている。日向は何も言わず、ただ凛として俺を見ていた。


「……それでも俺たちは外に出るよ。どうぞ」


 無線機にそう告げて、今度は俺の方から日向の手を握った。


「全部分かってたよ」


 俺の手を握り返して微笑む日向。指先は相変わらず冷たかったが、手のひらはとても暖かかった。朝日に照らされた日向はとても綺麗で、儚げに咲く一輪の花を見ているようだった。 


『……そっか。まぁそん時が来たらちゃんと報告して。んで、脱出出来たらそん時もちゃんと報告してくれ。出来れば俺だって一度くらい吉報が聞きたいからね。どーぞ』


「ああ。分かった。絶対報告する。……久々に生存者と会話できてよかった。なんていうかその、ありがとう。……どうぞ」


『こちらこそサンキューな。脱出……頑張ってくれよ?じゃあこれで通信を終わる!』


 最後は随分威勢が良かった。でもその気持ちは分からないでもない。


 誰かが今生きていて、その人と単純な会話をする。

 それがなんだかとても有り難いことに思えた。


 通信が出来たからといってお互いこの絶望的な状況が変わったわけではなかったが、無線の向こうにいる見知らぬ彼が生きていたことがとても有り難かった。


 ネットで無数の相手と繋がっていた時にはこんなこと想像もつかなかっただろうに。


 そして何よりも、隣にいる日向の存在が有り難かった。


 こうして手をつないで朝日を見るこの時が、その中の一秒一秒がすべて有り難かった。


「……なんで泣いてるの?」


「え?……ああ」


 気づけば涙が頬を伝っていた。左手で拭って、目をこする。


「……たぶん、朝日が綺麗だったからだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る