第8話「引きこもりだけど、助けを呼ぶ」
「……起きた?」
呆然と見上げる天井。横から声が聞こえて首を回すと布団から出た日向の頭と腕があった。粘ついた口内に唾液を飲み込んでから答える。
「……ん、ああ、今起きた」
カーテンから白い朝日が差し込んで目をこする日向の髪を照らしている。時計は七時を指している。今日は随分早く目が覚めたもんだ。まだ寝たい。そうまぶたとはっきりしない思考が訴えている。
「二度寝していいか?」
「別にいいよ。……私もまだ眠たいし」
まぁ、お互い起きる理由も特にないしなぁ。
冬の朝は布団から肩を出しただけで寒くてどうしようもない。一瞬で総立ちした鳥肌、再び布団に覆いかぶさってもらう。二度寝とは世界の全ての幸福を一度に感じられる唯一の行為である。
「寝るの?」
同じく布団にくるまった日向が顔を少しだけのぞかせて俺に尋ねる。
「寝ていいって言ったのお前じゃん」
「……じゃあ私も寝る。昼には起こすよ」
「ん。よろしく頼む」
そう言って日向はすっぽりと布団の中に収まっていった。寝方は人それぞれとは言うが、なんかあのワニを叩くゲームを思い出すなぁ。
女の子が隣で寝ている。といったら誤解を招きそうなので言い換えよう。「女の子がテーブルを一つ挟んで隣で寝ている」……よし。
日向が来てから数日が経つ。結局何かと理由をつけていつまでも隣の部屋で寝なかった日向。最初はなんだこいつと思っていたが、この前の一件もあってようやく日向が隣の部屋で寝たくない理由が分かった。別にビビってるわけじゃないぞ。あくまで日向の気持ちになって考えただけのことだ。
なので仕方なく多少は狭くなるが母親の布団を持ってきて隣に寝てもらうことにした。狭いのでテーブルを挟むのは少々抵抗があったが、自分の清廉潔白をアピールすることのほうが重要な気がして窮屈な睡眠を送っている。
ゾンビとご対面したあの日からは特に何も行動していない。というか必要が無いなら動きたくなかった。俺だって命は惜しい。
寝ると宣言したものの、改めて女子が隣で寝ていると考えてしまうと妙に目が覚めてしまい、寝付けない不快さよりも冬の空気の冷たさを選ぶことにした。布団から這い出て、予感していた寒気に身を震わせながらパソコンの前に座る。
「前スレの引きこもりだけどまだ誰かおる?」
『おるよ』
『いい加減死んだかと思ってた。っていうか早く氏ね』
『なんだかんだ言ってお前が生きてて嬉しい俺がここにいる』
『ここまで引きこもりしかいない』
『ここからもひきこもりしかいない』
『ノアのマイホームwwwwwww』
「お前らって自分以外に生存者見た?」
『安アパート住みだけど物音は毎日昼夜問わずで聞こえる』
『お前それ絶対にドア開けんなよ』
『実家のカーチャンと連絡付かんくて毎日泣いてる』
『お前のカーチャン外で歩いてたぞ。迎えに行ってやれ』
『やめろ』
ため息とともに椅子に背をもたれて悴みつつある手を袖の中へと入れる。……なんだかスレもいよいよ悲観でいっぱいになってきたな。画面の向こうがここまで悲観的だとこっちまで精神やられそうだ。
視線を外せばいつの間にか日向は隣で安らかに寝息を立てている。顔こそ布団の中に合って見えないが、一定のリズムでわずかに上下する体を見ると画面を前にするよりずっと心が安らいだような気がした。俺も寝よう。
毎日の時間があっという間に過ぎていく。それはいつもと変わらなかったが、過ぎる時間に比例して焦燥も募っていった。どうすることもできない。それは分かっているがどうにかしたかった。足掻くことが許されるならばいくらでも足掻く気で、流れてくれば藁だってなんだって掴む気だ。
……まだ生きていたいんだ。もうどうにもならないんだろうけど、まだこんなにも。
「何回天空の城と神隠し見てるんだよ。あととなりのやつ」
「だってこれしかないじゃん」
「だからロメロのゾンビも」
「冗談でもやめて」
……なんでや、ゾンビ普通に面白いだろ。手に持ったDVDを棚に戻して映画に戻る。映画はもう終盤に差し掛かっていた。滅びの呪文はもう言い終わった後だ。
「……今日も何もしないの?」
画面を見つめたまま日向が聞いてきた。もちろんゾンビの対策や食料調達の事だ。他に何があるというのだ。
「……する予定はない」
同じくやけに騒がしい画面を見つめたまま返答する。
「……ずっとこのまま?」
痛いところを突いてくれる。確かに今更ながらこのままではまずいと思ってはいるが、他に何かすることがあるのだろうか。
「奥村は助けを待ってここに留まってるんでしょ?」
……考えたこともなかった。っていうか俺は助けを待っていると思われてたのか。まぁこの状況で引きこもりの継続なんて馬鹿らしすぎるよな。
あはは、と苦笑いを浮かべながら壁に貼られた「引きこもり継続」の半紙を見つめる。はい、あれも黒歴史。
「……少し前向きに考えてみるか」
この絶望的な世界で生きるために、自分の中で少しだけ変革を起こそうじゃないか。
「言われたものを集めたらだいたいこんな感じになりました」
「……まぁ、何とかなりそうだな」
テーブルの上にはガムテープが五個ほど。使い途中のものもあるがたぶん足りる。テープは隣の家からも拝借してきた。安田家は当然スルーだ。もしリビングのドアが割れて親子が出てきてたら二対一じゃ勝てっこない。
助かるためには籠城しっぱなしじゃいけない。今までは籠城出来たらそこで終了だと思っていたがやはり助かるまでが籠城だ。かといっておもむろに外に出ようものなら助かる術はない。なら助けに来てもらうしかないのだ。
先日、と言っても何日も前の事だが、ヘリコプターが頭上を通った。音にはゾンビのごとく敏感になっているので間違いない。あの音はヘリコプターだ。今思えば最大のチャンスだったのに何故逃してしまったのだろうか。ああ、もう後悔したってしょうがないだろう。
この際取材のヘリでも救助のヘリでも自家用ヘリでもなんでもいい。とにかく俺たちの存在を知ってもらえば助けに降りて来てくれるはずだ。
「『HELP』がいいかな。『ヘルプ』がいいかな。分かりやすく『助けて』がいいかな」
日向がテープを手に取って首をかしげている。
「助けてじゃ画数が多いからHELPかヘルプだろう」
「画数なら文字数からしてヘルプのほうじゃない?」
「だけど屋根の上に貼りつけるんだぞ。できるだけ曲線が少ないほうが分かりやすいし簡単でいいと思うぞ。HELPの方がいいだろう」
「……待って、どっちの方?」
「HELPの方」
「……ヘルプ?」
「HELP」
「……へるぷみー」
お互いの理解を得るために二分かかった。俺が「英語の方」と言うまでずっとヘルプの言いあいだ。誰か助けてくれても良かっただろう。
ここ何日か晴れの天気が続いていた。今日も春先を思わせる暖かな冬晴れだ。乾いた風が首元に吹きかかる以外は心地の良い日和だ。
ガムテープは布と紙と二種類なので出来ればこのまましばらく晴れが続いてほしい。もしくはさっさとヘリが上空を飛んでくれないものか。
二人でHELPの文字を作る。埃でテープが付かなそうだったので屋根の掃除から始まった。バケツに張った水の中に手を入れると手には刺すような痛みが走った。時間が経って、バケツの中の水が泥水と大差ないほど濁っていくと、着込んだ上着をその場に脱ぎ捨ててしまうほど暑さを感じた。冬なのに汗をかく始末だった。
文字作りに入ってしまえばあとは単調で十五分もかからなかった。
テープが微妙に、文字の間隔は丁度良く余ったので「!」も足しておいた。緊張感はどこかへ飛んで、頭の中では鑑定団のオープニング曲が流れていた。最初の方しか知らないけど。
「お疲れ様でした」
「おう、お疲れ」
屋根の上に座ってコップに注いだ麦茶を飲む。……冬に飲むのもなかなかいいもんだ。
「誰か見てくれるかなぁ」
青空を仰ぐ日向。俺も同じ方向へ頭を向ける。
「見てくれないと困る」
「ですよね」
視線を下に向ける今日はゾンビの数もまばらだ。出来れば視界に映らないでほしいが致し方ない。ゾンビと人間の比率は明らかに前者が勝っているのはなんとなく理解してしまっている。今日視界に映るゾンビの数が少ないだけマシだと思えば少しは気も楽になるはずだ。
「……大丈夫だよ。奥村が完璧にバリケード作ったんだもん」
俺の視線を追って日向が続けた。まるで俺の心情を覗き見たような物言いで、それは俺の心をざわつかせた。
「ねぇ知ってる?」その後で口元に微かな笑みを湛えながら彼女は俺に質問した「部屋はそこの人の心の中を映すんだって」
「……あぁ聞いたことあるな。で、そんな俺の部屋に住まう日向さんの見解は?」
日向は「んーとね」と宙を見上げ、考えるような素振りをしてからすぐに俺に向き直った。
「奥村には引きこもりの疑いがあります」
……いや、疑いじゃなくてもう引きこもりなんですけど。
「奥村はさ、私が来る前に完璧にバリケード作って、部屋にずっといても大丈夫なように食料も水も全部一人で貯めたじゃん」
「……そうだな」
「……私はそれ見て、もちろんすごいなって思ったけど、同時に奥村の心の中ってこんな感じだったのかなって思った。自分の敵を全部一人で跳ね除けて、自分一人でも大丈夫なように心の中の部屋を大きくしていったのかなって」
俺のほうに顔を向けた日向。微笑んではいるが少し悲しそうな表情にも見えた。
「どうしてそうなったのかはきっと奥村にしかわからないんだろうけど、私がもう少し勇気を出して奥村のそばにいてあげられたら、きっと、奥村は今でも学校に行けたのかなって……余計なお世話だよね」
言葉が出なかった。
再び視線を頭上に向けて物悲しそうに空を仰ぐ日向になんて言えばいいかわからなかった。
いつからか俺と日向の間に大きな差がついていたと思っていた。日向は人気者で俺は根暗の日陰者。
出会った時からそれなりの距離を置いてはいたが常に隣を歩いていた日向。そんな彼女がいつの間にか高みから俺を見下ろしていて、あまつさえ俺の取り柄でもあった勉強でさえ日向が追い上げてきた。
俺からすべてを奪うために。
……んなこたねぇだろ。
「……寂しかっただけだろ」
気づけば声になって漏れ出していた。
「日向が……俺の近くにいた日向が、みんなに愛されて、どっか行っちゃうんじゃないかって、寂しくて、嫉妬してただけだろ……。だから日向も、全部、何もかも突っぱねて一人で拗ねてただけだろ……」
嗚咽とともに自分にさえ嘘をつき続けていたその胸の内が零れだす。認めたくはなくてずっと張り続けていた最後の堅い壁。その壁を壊した彼女へと向き直った。
「日向はなんも悪くない……全部俺が……勝手に突っぱねただけなんだ。日向の事なんてなんも考えずに……」
ごめん、と謝ろうとしたとき俺は日向の腕の中に包まれていた。柔らかくて暖かい腕の感触が肩に伝わる。日向の体を伝わって自分の体が震えているのを感じた。
「……大丈夫だよ。私は、ずっとそばにいるから」
耳元で囁かれたその小さく力強い声に、もう言葉を紡ぐことはできなかった。
一方でただガキみたいに声を押し殺しながら泣く俺を日向は何も言わずに抱きしめていた。
空はまだ高く、時折冷たい風が吹く。何気ないはずの冬の一日。
世界はどんどん終わりに近づいていく。
大事なことに今更気づいた時に限って。
まだ生きてやる。胸の奥にその言葉を刻み付けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます