第6話「引きこもりだけど、呼んでもいないお客さんが来る」
ずるずる。
ぞぞぞ。
響き渡る麺を啜る音。普段は全く気にしないのに静かな部屋で誰かといると自分や相手の出す食事の音がすごく気になる現象に名前をつけたい。
締め切ったカーテンは日の光を遮り、わずかに自室に漏れる光とデスクトップの眩しい明かりだけがこの部屋の照明代わりだった。
不便だとは思わない。普段からこうだった。
「気になるからそうまじまじと見るのやめてもらっていいかな」
先ほどから人様の食事風景をガン見している彼女に言うと、そのままそっぽを向いた。だからといって食べやすくなるわけでもなく、容器に半分のラーメンを残したまま席を立つ。
「とりあえずまだあるから一個やるよ」
何があったか知らないが彼女が空腹であるのは容易に見て取れた。仕方なく再び湯を沸かしに下へと降りる。背を向けた彼女からは礼の一つもない。
やかんに水を入れて火にかける。今のところガスも水道も止まっていないようだ。
「しかしまぁなんでよりによってこんな時にあいつがくるんだ」
そんな「ベストオブぶつくさ」を垂れながら青い火を見つめる。
日向綾乃。自分の家の前の通りを挟んで斜め向かいに住むご近所さんであり幼馴染だった。家族はどうだか知らないが俺にとっては唯一付き合いのあるご近所さんでもある。いや、「付き合いのあった」か。
よくいるだろう?小学校のころまでは仲良くしていたのに周りが男女を意識し始めてから急に気まずくなるやつ。途中までは俺と日向も大体そんな感じだった。
俺と日向は考え方や人間が良い意味で違っていた。俺はもとから根暗で慎重で、どちらかというとそこそこ勉強もできていた。日向は勉強ができない代わりに活発でどこか楽天的でみんなから愛されるような人間だった。
俺は日陰者ではあったけれどそんな日向から頼りにされているのを少しだけ誇りに思っていたし、日向は俺を日陰者なんてまるで思っていないような、そんな奴だった。
……まぁ、全部昔の話だ。頭のよくなかった日向がどういうわけだか俺と同じ高校に入学していて、それから俺をただの日陰者として腫れ物扱いするまでの短い期間の話だ。俺の家にずかずかと上がり込んできた時点でお察しの通り、俺を人とは思っちゃいないらしい。
しゅーしゅーと昇る湯気が額を撫でたことでお湯が沸騰していたことに気づく。
「あーあーあーあー」
ガス台が水浸しだ。まぁ、あとで拭いとけばいいか。
自室に戻り、やかんの湯を注いで日向の前に置く。容器には唐辛子のイラストが描かれている。こいつがたとえ辛い物が苦手だったってそんなこと知ったことか。
「……ありがと」
小さい声で呟いて麺を啜りはじめる。こいつはまだ美味しい状態の麺を啜れるのに俺はスープを吸って若干伸びた麺をもそもそと口に運ぶ事実にいら立ちを覚えていたので「あぁ!?今なんて!?もっと大きい声でしゃべれよ!!」と絡みたくもなったが我慢してもそもそと麺を咀嚼する。……案外伸びてないもんだな。
お互い空腹を満たすと、部屋も気まずさで満たされた。同じ高校に入ったとはいえ、クラスも違ったしまともに話してもいない。トークアプリで不登校だったのをおせっかいにも心配されたのを除けば、面と向かって話したのなんて入学式の帰りに一緒に帰るよう勧められたが思春期ならではの恥じらいもあって断って以来じゃないか。
「……で、なにしにきたのさ」
日向はずっとテーブルを見つめたまま話すそぶりも見せないので俺が仕方なく話しかける。
日向はまた俺の顔を睨みつける。なんとなく理由は分かる。今のは俺も意地が悪かったかもしれない。
「まだ避難してないみたいだから声掛けに来ただけ」
「……ああそう。で、そういうお前は避難してたのか?」
俺が尋ねると日向は下を向いて口を閉ざしてしまった。再び静寂がBGMとして機能する。世の中には四分半の無音を一つの曲として取り扱った曲があったが著作権的に大丈夫ですかねこれ。
「……ママが、……お母さんが様子を見てくるからって、綾乃はここにいなさいって言うからずっと待ってたら、そのうち目の前の道路で人が人に噛まれ始めて……」
テーブルを見つめたまま不器用に日向が話し始める。言葉を選んでいるのか詰まっているのか俺にはよく分からなかったが黙って聞く以外にできることはなかった。
「……おばさんはまだ帰ってないのか」
こくりと頷く。だいたい俺と状況は似通っている。こいつも取り残された一人か。
「一人で待ってたら夜に車のクラクションが鳴ったりして、ずっと怖くて布団にくるまってた。その次の日もクラクションが鳴ったり窓ガラスが割れる音がして、強盗の人が近くにいるのかと思って窓から様子見てたら屋根の上に……奥村がいた。でも怖くて通りには出られなくて、そうしてたらまた変な人たちが戻ってきて……今日またクラクションが鳴ったから勇気を出して通りに出てきた」
「……そうか。通りに奴らはいたか?」
「……まだ何人かいたけど、駐車場の方へ向かっていったからこっちまでこれた」
「噛まれてないんだな?」
「うん……」
「……一応腕まくれ」
こいつが嘘を言っているようには思えない。ただでさえこんな状況なのに噛まれていたらきっと半狂乱だろう。確認のためにとりあえずパーカーの袖やジーンズを捲らせてみたが噛み跡はなかった。
「噛まれたら外の奴みたいになるわけ?」
「ゾンビ映画を観たことは?」
「……あるけど、あれは想像の話でしょ」
「……ありえない話じゃなかったみたいだがな」
外をもう一度確認する。自室から見えるのは狭い通りだけだ。今日は少し離れたところに一体いるくらいだ。むさぼられていた死体はいつの間にか無くなっている。綺麗に食われたか、移動したかだな。
「これからどうするの?」
「一階のバリケードは見ただろ?籠城するんだ」
「避難はしないの?」
「……避難ってどこへ?」
あえて何も知りませんよ?という調子で答えてみる。
「避難所が近くにあるでしょ?」
「あーはいはい、避難所ね」
おもむろに立ち上がってパソコンでとあるページを開いた。
「数年前に起きた地震のこともあって知ったんだが、自分が住んでいる地域を絞って情報交換ができる掲示板があるんだ。ここで自分の街に何が起こっているかをリアルタイムで把握できる。それで昨日試しに書いてみたんだ。『〇〇市の自宅で取り残されているんだけどどうすればいいですか』ってな」
まぁ、聞いておいてなんだが何かをする気は到底ない。
「運のいいことに同じ市に住んでた人から返答が来た。これだな。ちょっと読んでみろよ」
デスクトップに顔を近づけて文字を読む日向。
「『〇〇市の避難所は現在避難所に指定されていません。危険ですから近づかないようにしてください。市の中心も大変危険な状態なのでできるだけ郊外へ逃げた方がいいと思います』」
「どういう意味か分かるか?」
「……」
デスクトップを見つめたままだ。目の動きを見ると日向が何回も文章を読んでいることが分かった。
「じゃあ、……じゃあ郊外に逃げればいい。そしたら大丈夫だって」
「郊外は必ずしも安全じゃない。確かに都市部よりは数が少ないだろう。けど奴らがいないわけじゃない。倒しながら郊外へ逃げたとして一体何体倒していけばいい?言っておくが映画のように銃でドカンとはいかないからな。奴らに遭うたびに命の危険に曝されなくちゃならない。それで郊外へ逃げて絶対に安全な場所はどこだ?水は?食料は?」
押し黙る日向。顔には分かりやすいほどの絶望が浮かび上がっている。なんだか笑えてきた。その表情にも、自分がいま出した質問の答えがしっかりと把握できていることにも。
「幸いヘマをしなきゃあゾンビにも遭遇せず、豊かな食糧と水に恵まれた場所に俺はいる。現状引きこもるのが一番ってわけだ」
背伸びをしてそのまま背中から床に倒れた。少しだけ冷えた風がゆっくりと首にまとわりつく。やはり食べてすぐ寝るのが一番だな。これ以上の幸福があるか?いや、ない。
「私は……どうしたらいい?」
「……好きにしろよ。籠城が嫌なら外に出て安全な場所を目指せばいい」
「そんなことできないって分かって言ってるんでしょ」
「まぁな。悪いが俺はこのまま寝る。今日は朝から忙しかったんだ。出ていくなり居座るなりなんなりとしてくれ」
食糧の事も考えると出て行ってくれたほうが有り難いのだがさすがにその旨を伝えるほど冷酷にはなれなかった。
もう正直なんでもよくなっていた。きっと俺が目をつむって深い眠りにつくたびに外では毎日人が死に、蘇っている。状況はどんどん悪くなっていく。俺はその間、ただ引きこもることしかできない。きっといずれ食料や水が底をついて餓死するに決まっている。その時をひたすら待っているだけにすぎないんだ。
ゾンビとして死んでも徘徊するか、人として死ぬか。せいぜい選択出来てその二択だけだろう。
俺は人として死ぬぞ。だって、そっちのほうがかっこいいじゃん。
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