第4話「引きこもりだけど、食糧を確保する」
「たいむいずまねぃ」
時は金なり。
人生における一般則であり胸にとどめておくべき素晴らしい格言だ。……一般人にとっては。
引きこもりは膨大な時間を所有している。いわば時間富豪だ。制限されることのない時間は常に余剰を生み出している。俺にとって一日があっという間に過ぎるということは、何億という資産を持った金持ちが百万円をどこかに落としてしまう感覚と何も変わらない。
ゾンビパニックから二日目。あぁ違う、一日目を睡眠でスルーしたから三日目か。とにかく午前九時に起床してから一時間半ほど風呂場にいる。流れる水を眺めるだけの退屈な作業だが必要なことだ。
引きこもり継続のため、外部からの侵入経路はふさいだ。あと恐れるべきは渇きと飢えだ。食料の調達と水の確保を行う必要がある。幸い水道は通っていたのでペットボトルをかき集め水を入れた。一リットルペットボトルが五本。五百ミリリットルが七本。
小学校のころ入っていた少年野球で人間は一日一リットルの水が必要だと聞いた。野球やってたんだよなぁ……人間いつ道を踏み外すか分からないなぁ。
まぁそんなことはどうでもいい。単純計算でこの水は一週間ほどしかもたない。しかも飲用のみの場合だ。このほかにもきっと水を使う機会は出てくるだろう。水道もいつ止まるか分かったものではない。
あくまで引きこもり生活の継続が目標だ。毎日摂取する水分を管理して節約していくのか?冗談じゃない。出来るだけ今までの生活を維持するんだ。こんなものでは雀の涙じゃないか。
ペットボトルに水。この固定観念を捨ててバスタブに水を張り、さらにカラーボックスやバケツにまで水を張った。風呂場には足の踏み場がなくなった。
風呂に入る必要性は?ノーだ。シャワーの音ですら反応しそうな連中だ。風呂の水も蛇口を絞って出しているんだ。必要最低限のことしかしなくていい。最悪雨が降ったら全裸でベランダに出よう。想像したら結構気持ちよさそうだ。
「あとは食料だな……」
昨日はシリアルしか食べていない上に冷蔵庫にも棚にもロクに食べ物がなかった。食料は調達する必要がある。コンビニがここから数百メートル先にはあるが論外だ。ゾンビに襲われるリスクもそうだが、すでにほかの生存者が調達済みでコンビニに食料品が残っている可能性も低いというのに引きこもりが外出するわけがない。
「待てよ……」
下に降りて玄関にある戸棚を開ける。……あった。防災袋からいくつかの乾パン、飲用水を発見する。今更飲用水もいらないが有り難く頂戴しよう。
乾パンの缶詰は五個ほど。これで大震災を乗り切ろうと思っていたのか。我ながら恥ずかしい限りだ。まぁ俺が用意したわけじゃないのだけれど。
乾パンをむさぼりながら梯子を担いで上へと上る。まさかもうこいつの出番とは思わなかった。
外は今日も曇り空。昨日ほど寒くはないが室内と体感で五度くらい違いそうだ。体感温度にはあくまで個人差があります。必ずしも五度違うわけではないし、そもそも五度違ったらどれくらい寒いのかなんて知りません。ご注意ください。
ベランダの手すりにそっと梯子を乗せて隣のベランダへとたてかける。そう長い距離ではないが念のため紐とガムテープで固定しておいた。
「大丈夫。きっと大丈夫」
悴んだ手に息を吹きかけてこすり合わせる。隣の家までは二メートルと少し。およそ困難ですらない。室外機に上り手を梯子に手をかける。カタカタと手すりと梯子が互いに擦れて小さく金属音が鳴る。……震えるな手足。
四つん這いになって慎重に手足を前に送る。下を見たって屋根しかないがそれでもこれは怖い。
二メートルを五分かけて渡り切ることができた。案外簡単なものだ。そう自分に言い聞かせてはみたがガクガク震える手足がすべてを物語っている。情けないのは百も承知だ。別に今のところ生存者を見かけていないのだから何を恥じることがある。
さてお邪魔しますよと窓に手をかけた。が、恐ろしいことに気づく。
「……カギ閉めてやがる」
手を掛けたベランダの窓はがっちりと動かないままそこにあって、カタカタと揺れるのみだ。隣の家は前野さんとかいう老夫婦の家だ。老夫婦といってもまだ六十歳くらいだろう。話した回数は少ないが前野夫人が毎日庭の手入れをしている姿を明け方に見ていた。とても几帳面で優しそうな人だ。だが、
「ここまで几帳面じゃなくてもいいじゃないですか……!!」
下の階なら話は分かるが上の階から侵入しようなんて誰が考えるんだよ。……俺か。すべては振出しに戻った。泣く泣くはしごを渡り自室へと戻り布団にくるまる。簡単に言ったがこの工程で十三分を要した。なんで風が急に強くなるんだ。さっきまで無風も同然だっただろう。
ぐうぅ。と自分の腹の虫が静かな自室に響き渡る。
「腹減ったなぁ」
空腹は籠城生活の敵だ。頭の回転を緩め、イライラを募らせる。体はあっという間に動けなくなり、最終的には腹減ったどころの騒ぎじゃなくなる。死に直結してしまうのだ。どうにかせねば、どうにかして空腹を満たさなければ。すでにサバイバルは始まっているのだ。
しかし泥棒はあえなく失敗。次はどうする?
「……泥棒がダメなら」
ゴロゴロしながら周囲を見渡すと、昨日真っ先に枕元に置いた木製のバットが目についた。
泥棒がだめなら強盗になればいい。
映画なんかじゃ解決策を見つけると主人公の気持ちを表したように空が晴れるなんてことがよくある。実にくだらない演出だ。屋根の上に上って空を見上げると自分の頭上にはそんなくだらない演出が繰り広げられていた。
「あはは。馬鹿みてぇ」
昨日は二個の目覚ましで済んだので残りの二個は電池を抜いて取っておいた。あのまま二個投げておいたって問題はないが、よく考えれば大きな音が鳴るという自分の不利にも利にもなるアイテムだ。一個くらいとっておいたっていいだろう。
なら残りの一個はもういらない。投げるのは親父の古い目覚まし時計だ。適度に重く、メタリックカラーがなんともクール。チョイスが親父らしいや。この時計に思入れがあったらごめん。
電池を入れて、もしもの時のためアラームをオンにして昨日と同じ向きへ投げる。
迷いはなかった。上手くいく気しかしなかった。目覚ましは想定していた放物線を綺麗になぞって車のフロントガラスを割った。まるで雪の結晶のようなヒビがここからでも見える。フロントガラスの割れる音、車のアラーム音のダブルパンチにゾンビは昨日よりも反応良く駐車場へと誘導されていく。
足早にベランダへと向かい、隣の家のベランダにバットと手提げ袋を放り投げ、梯子をつたってバットの元へ。手足の震えはなかった。すべて上手くいく。今日、今この瞬間は無敵モードなのだ。
聞き耳立てずともアラーム音は未だにけたましく周囲数百メートルには鳴り響いている。今だ。
バットを振りかぶる。世界がこうなる前だったら一発で通報案件だが、こんな世界になってしまえばやりたい放題だ。まるで世紀末のバッドガイのような気分だ。頭はたぶんモヒカンで肩にはとげとげがついてる。「ひゃっはぁ」残念ながら若干の恥じらいがあったが窓ガラスは案外綺麗に割れた。手を伸ばし裏でかかっているカギを外して中へと侵入した。もちろん靴持参で。
侵入した先はベッドを見るにどうやら寝室らしい。ガラスが散乱している以外は綺麗な部屋の中に入る。寝室なので食料は置いていなさそうだ。泥棒じゃあないので金目のものなんて取りません。っていうか今の世界で金に価値なんてあるのだろうか。
下へ降りてリビングへと向かう。玄関は少し慌ただしかったのか、揃えてあったであろう靴が散乱している。やはり避難所へ向かったのだろうか。……避難所ねぇ。
リビングの戸棚にはパンやせんべい、クッキーが置いてあった。急いでどこかへ向かったのか玄関周辺は不自然に散らかっているがそれ以外はどこかに人がいてもおかしくないくらいだ。ここを拠点にしてもいいのだが再びバリケードを敷く余裕はない。それに引きこもりは自室以外を好まない習性さえもっているのだ。あくまで物資の補給に専念しよう。
……泥棒じゃないんだからね。補給なんだから。
「それにしても、我が国は誇らしいなぁ……」
大震災の度に「日本人は混乱に乗じて泥棒などの悪事を働いたりしない」と言われてきたがどうやら本当らしい。スーパーやコンビニなど公共の場は分からないが少なくとも個人宅から物資を頂こうとは思っていないらしい。
結局、手提げ袋はパンや菓子の他に冷凍食品や調味料、肉などで溢れかえった。調理に自信はないが食えればいい。焼けばなんでも食えるだろう。まだここに往復して立ち寄れば二週間くらいはなんとかなりそうだ。帰り際にさらに隣の家までの距離を確認してみたがこちらも侵入は可能らしい。梯子を固定せずに渡る必要はあるがなんとかなるだろう。
これで食料面も万全。引きこもり生活は当面の間守られる。
ざまあみやがれってんだ。
わざわざ屋根の上に上がって駐車場でたむろするゾンビに中指を突き立てた。
引きこもりだけど、外でゾンビがうろついている。だがなんてことはない。終末世界ですら引きこもってみせるぞ。
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