第3話「引きこもりだけど、完全に引きこもる」
ところで……引きこもりってどこまでが引きこもりなんだろうか。俺は家から出ないだけで食事はリビングで済ませているけど、自室にこもりきりの人たちからしたら俺はまだ引きこもり予備軍?
たとえばそう、今は訳あって屋根の上に居る。ここは外だけど家でもある。今の俺は外出したことになるのだろうか。
引きこもり生活の継続を宣言。だからといって何もせずただ家にこもっているだけでは何かの拍子にゾンビが襲い掛かってきて目標は達成できなくなる。
まず一番にすべきことは外部からの侵入を防ぐこと。これに尽きる。ただ、行動に移す前に敵を知っておく必要がある。窓から見るだけでは情報が足りないので、引きこもり生活ですっかりなまった手足を限界まで使い、屋根の上に上った次第だ。
冬の午後、日照時間は実に短い。今こうしている間にも日はゆっくりと沈んでいく。足元に気をつけながらぐるりと屋根を周り、辺りを見回す。
都会でもなければ田舎でもない。そんな住宅地にある俺の家から辺りを見回しても障害物だらけであまり有益なものは見つからない。
南側には車二台がすれ違えない狭い道路が一本。玄関に面している道路だ。幸い家の前にゾンビはいないが何軒か隣の家の前に数体いる。お手本のように体をゆすり、小さくうなりながら時折壁に激突したりして前に進んでいる。
北側は大きい通りに面している。大きいといっても二車線の道路だ。ゾンビ以外は人の気配なし。道路を挟んで反対側には月極駐車場。読み方はげっきょくじゃないぞ月極だ。いつまでげっきょくって読んでたんだっけ。
駐車場と視認できる範囲の道路に居るゾンビはざっと二十体。一人一人の間隔は広いがこれが一気に集まってきたら洒落にはならないだろう
西と東は両方とも民家だ。屋根から屋根には飛び移れるかもしれないが確実とはいえない。梯子が家にあったからもしもの時はそれを使って隣の家にお邪魔するかもしれない。
以上が家の周りの様子だ。ちなみに何か飛び道具で攻撃してきたり何かの液体とかをぶっ放すような個体は今のところいなさそうだ。
夜になったら感覚が鋭敏になるかは分からないが用心に越したことはない。まだ明るいうちに籠城の準備をしなければ。
玄関のカギをそっと閉める。ついでに普段はしないチェーンもかける。まぁ防犯とは訳が違うのだがこれも用心だ。
問題は窓だ。ひょっとしたら割って侵入なんてことがあるだろう。そのままにしておくにはいくまい。
窓をそっと開けて雨戸を引こうと手をかけたその瞬間自分の中で「待った」がかかった。
雨戸さえ閉めてしまえばそのままにしておくよりはずっといい。だが、引くときに鳴るあの音は大変よろしくない。気づいてよかった。安堵のため息をつく。
しかし……このままというわけには。
ゾンビは大抵音に敏感に反応し、音のした方へと向かっていくものだ。これは割とどの作品にも共通していた。今起こっているのはノンフィクションだが例外はないはずだ。……さてどうする。
太陽は沈んでしまった。かろうじてまだ周りは見える。まぁ電灯はとっくについているのだけど。
冬の夜風がとても冷たい。ダウンジャケットを着込んで俺は再び屋根の上に登っていた。白い息とともに見上げた空には星が点々と輝いている。あそこにあるのはオリオン座だ……自分が住んでいるところから見える星座なんてオリオン座くらいしか知らないのだけど。
手には小学校のころ使っていた巾着袋。上履きか割烹着を入れてたやつだ。中には目覚まし時計が四つ。どれか壊れていたものがあった気がするけど、こんなものあったって自分の足元をすくう以外にない。もとより引きこもりにはこんなもの必要ないのだ。
それぞれアラームの電源をオンにする。もし、壊れなかったことを考えてのことだ。目覚まし時計が鳴ってそれにおびき寄せられるなんてことはまるで期待しちゃいない。
鳴らすのは別のアラームだ。そして鳴るかどうかは俺の腕次第。
息を深く吸って吐き出す。白い息が俺の頬を掠めて空へと消えていく。
「当たりますように」
腕に思いきり力を込めて北の空へと投げる。目覚まし時計は放物線を描いて狙った方向へと落ちていく。目覚まし時計が地面へと落下するのと同時に俺も足を屈めて両手を前で組んで祈った。
が、目覚まし時計は遠くで小さくガシャンと音を立てて地面に落下しただけだった。暗くてよく見えないが派手に壊れたようでいずれ鳴るはずだったアラームの効果はやはり期待できそうにない。
目覚ましの落下音に気付いたのか通りにいたゾンビが駐車場へと向かっていった。
やはり、音には反応するようだ。まぁ、これが確認できただけでも一応成果には繋がっただろう。
二投目。狙うのはもうお分かりかと思うが駐車場に停めてある車だ。合計六台の中のどれかひとつに目覚ましを当て、車のアラームを鳴らしておびき寄せる魂胆だ。投げるのは目覚ましじゃなくたっていいが、大きい音が鳴るならさっさと家から排除してしまった方がいい。
二投目の目覚まし時計は電子音が鳴る長方形のタイプだ。時計もデジタル式、投げたら速攻使い物にはならないだろう。まぁ、壊れても壊れなくてもおおよそ計画通りだ。
再び力を込めて投げる。歪な放物線を描いた時計はカシャンと小さな絶命の合図を出して通りに落ちた。形も重さも投げるに適さず、駐車場にすら届かない。
「あークソ。上手くいかないもんだな」
ため息をついて再び巾着へ手を伸ばした時、クラクションが鳴った。
突然のことに心臓を掴まれたように驚く。心拍数が急に上がり血の気が引いた。姿勢を低くして自分の存在に気づかれたのかどうかを窺う。体内で鳴り響く心拍音はまるで心臓が耳の横についた感じだ。
どうやら駐車場でうろついていたゾンビが二投目の目覚ましの落下音に気づき、通りに出ようとしたところ、つまづいたか何かしたかで車に派手に当たったらしい。一人車のフロントに上半身をもたげている奴がいる。
響き渡るアラーム音に気づいたのか狭い路地のゾンビたちも駐車場の方へとむかっていった。両側の道路に挟まれているので庭に侵入してこないかと危惧したがどういうわけか道路に沿って歩き始めたので胸をなでおろした。
生前の記憶か、それなりの空間認識能力は備わっているのか。今後参考にすべきだが今はそれどころではない。
ほとんどのゾンビが集まっていったのを確認して下の階へ降りて急いでガラガラと心置きなく大きな音を立てながら雨戸を閉める。アラームが連鎖するように鳴りはじめたのですべての雨戸を閉めた後、小さな窓の前にも棚や机などを立ててバリケードを作った。随分暗くなったが引きこもり的には問題ない。
気づけばアラームも鳴りやみ時刻は午後八時。日が沈んでこの時間になるまでひたすらバリケードを作っていたらしい。人間、命がかかってくるとマジでなんでもできるものなのだ。まさに一つの所に命を懸ける。一所懸命の精神だ。
明日は筋肉痛確定だがとりあえず当分の間ゾンビの侵入はないだろう。今夜はゆっくり眠れそうだ。
「今夜……か」
自室に戻って布団の上で大の字になって呟く。夜の間に眠るのはいつぶりだろうか。
不登校になりはじめる少し前から朝が怖くなっていた。高校に入ってから急に人と上手く馴染めなくなった。別にいじめられてたわけでもない。「自分という人間は人と上手く馴染めないことに気づいた」ただそれだけだ。
ただそれだけが人間関係に軋轢を生んで、ただそれだけのことで人間が嫌いになって、ただそれだけが日常生活を徐々に蝕んで、ただそれだけで人生を棒に振ることになってしまった。
「まだゾンビを相手にしている方がマシなんだよなぁ」
冗談に聞こえるかもしれないが大マジだ。
引きこもりだけど、ゾンビとならうまくやっていけそうな気がする。
信じがたい一日を終えて、そんなことまで頭に浮かんでしまったらなんだか笑いがこぼれてしまった。
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