Chapter 3 ドクター・S

3-20 砂の味

 アイリーンは話を終えた。


 これで、これまでの経緯を説明出来たわけだ。

 あたし達の前に座る二人――というか一人と一匹――は、長い話をずっと黙って聞いてくれた。


「とにかく、そういうわけであたし達はあなたを捜す旅を始めたの」あたしは言った。

「話は分かった」とドクター・Sは、深いため息の後に言った。

「二人とも、本当に辛い経験をしたな」ナイルは熱のこもった目であたし達を見つめた。

「ちょっと、苦しくなっちゃった」と軽い調子でアイリーンが呟いた。彼女は気丈に笑みを見せようとしたが、その目は濡れていた。

「外の空気でも吸おうか」あたしは言った。


 あたしはアイリーンを連れ、重苦しい空気の漂う部屋を出た。

 朝食の部屋を通過した。そこにはまだわずかにベーコンとコーヒーの香りが漂っていた。そのせいか、“我が家”という言葉が唐突に頭に浮かんできた。胸が熱くなった。

 ポーチに出て、屋外の新鮮な空気を吸い込んだ。

 言葉を交わすこともなく、あたし達はただ景色を見つめた。


 隠れ家ランチョ・ビートの周りには何もない。ただ一面、荒野が広がっているだけ。

 牧場というのは名ばかりで、牛の姿はない。人の姿もない。本当になんにもない。眼前に広がる景色は、まさに荒涼地帯デソレーション・エリアそのものだ。

 ただ、ここに到着したばかりの時とは、まるで違って見える。

 アイリーンとこうしてポーチに立っていると、ここは自分の居場所だ、という気がした。不思議だった。


 ドクター・Sとナイルはこの場所でずっと身を潜めてきた。この世界の真実――蜘蛛による支配と陰謀――を知りながら。孤独な日々だったに違いない。アイリーンとたった二人でこの荒野を旅をしてきたからこそ、その孤独はあたしにも理解が出来るような気がした。

 なぜ彼らは、あたし達に協力してくれると言ったのだろう。バケモノを世に放つ片棒を担いでしまった贖罪の気持ちからなのか。それとも、研究所の仲間を殺された復讐、だろうか。

 いや、きっと違う。

 彼らが求めているもの。それは真実と、自由。

 民衆に真実を明らかにし、彼らに自由をもたらす。


 これはもはや復讐の旅ではない。

 あたしとジェーン、ドクター・Sとナイルの肩に、人類の救済がかかっているのだ。

 そのためにミスター・ジョーンズを殺す必要がある。蜘蛛どもを一掃する必要がある。


「やれると思う?」あたしはひたと荒野に目を向けたまま、唐突にアイリーンに訊いた。

 アイリーンは当たり前のように答えた。「もちろん」


 これは闘いだ。あたし達の自由を求める闘い。世界に真実をもたらす闘い。反逆の闘い。

 あたし達の闘いは、今、始まったばかりだ。


 砂ぼこりが舞った。

 沸き立つ意志を確かめるように歯ぎしりをすると、じゃりっと音がした。砂のせいだ。

 そして血の予感が、あたしの口の中に広がった。



 ――自由の味がした。

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