2-10 変身
「分かった。分かったよ」ジミー・ザ・ラビットが言った。
馬から降りる音。次いで、ガサゴソと袋をいじる音が聞こえる。薔薇の雫を探しているのだろう。だがそれにしては時間がかかった。
ジミー・ザ・ラビットは薔薇の雫という石を本当に持っているのだろうか。これは後で判明したことだが、答えはノーだった。その石を持っていたのは、ジェーンだったからだ。
「お前の欲しいものはこれか?」と問う首領の声。
私は思わず、トランクのフタをほんのちょっぴりだけ持ち上げた。トランク内に光が差し込み、暗闇に慣れた目には刺激的だった。私とジェーンは微かな隙間から外の様子を覗いた。
ジミー・ザ・ラビットは噂の通り、白いハットをかぶっていた。顔には目立った傷跡がある。いくつもの修羅場をかいくぐってきたであろう目つきをしたその男は、ターコイズで出来たジュエリーを掲げて見せていた。
ミスター・ジョーンズは御者の席から降り、首領に近づいていった。そしてターコイズのジュエリーを見つめ、「違う」とだけ言った。
「これじゃないのか?」
「馬鹿にするな。薔薇の雫は、ターコイズなんかじゃない」
「分かった。もう一度ちゃんと探す」我々に背を向け、ジミー・ザ・ラビットは再度袋の中を探しはじめる。
もう一度首領がこちらに振り返った際、彼の手に握られていたのは石ではなく――銃だった。護身用の小さな銃。彼はそれをゆっくりと、まるで相手をダンスにでも誘うかのような仕草でミスター・ジョーンズの身体に押し付ける。首領の顔には笑みが広がっていた。トリガーが引かれた。パン、という軽い発砲音とともにミスター・ジョーンズは銃弾を受けた。彼は膝から
それから、様々なことが起きた。信じられないようなことが続けざまに起きた。
まず、ジョーンズが撃たれたことを山の上から認めたスナイパー、ドクター・ローレンスがギャング団に向けて発砲した。案の定、素人の放った弾丸は外れた。デッド・フラワーズの連中はすかさずドクター・ローレンスにライフルを向けて撃ち返した。残念なことにそれは命中した。歯科医師が倒れた。
狙撃手を失った我々は、圧倒的に不利になった。
だが次に目を疑うようなことが起きた。
撃たれたはずのミスター・ジョーンズが立ち上がったのだ。
首領は護身用の銃を下ろしたまま動かなかった。彼の顔からは笑みが消えている。ギャング団の手下も微動だにせず、ジョーンズに注目した。
生き返ったミスター・ジョーンズは白いハットの男に手を伸ばすと、そのまま首領の首を絞めあげた。
「薔薇の雫を出せ」ミスター・ジョーンズが恫喝する。
「薔薇の雫など……知らない」くぐもった声で返答するジミーの足は宙に浮いている。
「今出すか。それともこのまま死ぬか」
「本当だ。分かってくれ。薔薇の雫なんて知らない」
デッド・フラワーズの連中が思い出したように銃口をミスター・ジョーンズに向けた。
ミスター・ジョーンズはさらに力を込めた。
「頼む……本当だ」と蚊の鳴くような声。「頼む……」それがジミー・ザ・ラビットの最後の言葉になった。
ミスター・ジョーンズはいきなり手を離し、死んだジミー・ザ・ラビットは情けなくその場に倒れた。彼の首は、異様な方向にねじ曲がっていた。
ボスを失った手下達が、ジョーンズに向けて発砲を開始した。
近距離から銃弾を一身に受けるミスター・ジョーンズ。だが血は流れなかった。ジョーンズは撃たれてなおも両脚で立っていた。しばらくして銃撃が止む。ミスター・ジョーンズは意味ありげに首を傾ける。そして彼の背中から、金属的な何か、黒い槍のようなものが何本も突き出てくるのを私ははっきりと目撃した。私は一瞬、ミスター・ジョーンズが刺されたのだと思った。だが違った。黒い槍は、彼自身から出てきたのだ。
槍はジョーンズの服を乱暴に破き、黒い血のような気色の悪い液体をまき散らした。ミスター・ジョーンズはヒトの形を失っていった。
「やっぱり、ジョーンズだったんだ」とジェーン。「あのバケモノだ」
これが、ジェーンの話していたバケモノ。私は声を発することが出来なかった。
ジョーンズの背中の中心から放射状に突き出た何本もの槍は、彼の脚よりはるかに長い。槍は背中から弧を描くような動きで地表に突き刺さった。ミスター・ジョーンズの身体が、内側に収納されていくのが見えた。その代わり、彼の肉体は黒い殻のようなもので覆われていった。
それはクモだった。巨大なクモ。クモのバケモノだった。
虐殺がはじまった。
クモは狂ったダンスを踊り、デッド・フラワーズはバラバラになった。メンバーが散り散りになったという意味でない。文字通り、人間の身体がバラバラになった。まるで、紙で出来た人形が引きちぎられていくようだった。
応戦の甲斐なく、デッド・フラワーズはあっという間に死体の山となった。バケモノから出る正体不明の黒い液体と、大量の血が辺り一面の砂地を覆った。
耳をつんざくような轟音が響いた。金属を擦り合わせたみたいな高音と、地を揺さぶるような低音が合わさった不気味な音。
バケモノの咆哮だった。
咆哮に驚いた馬が一斉に走り出し、馬車が猛スピードで発進した。
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