2-9 水曜日
身体を揺すられて目を覚ました。
目を開けると、目の前にジェーンがいた。
「もう行かなきゃ」ジェーンが言った。
ジェーンはしゃっきりしていた。窓の外はまだ真っ暗だっていうのに。
睡眠不足でぼんやりしていた私は、今日すべきことを思い出すと素早く身を起こした。
そうだ。今日は水曜日だ。
私達は息を殺して保安官事務所を出た。一階のみんなはまだ寝てる。駅馬車は昨晩と変わらずそこにあった。
ジェーンはトランクを開けると、躊躇せず中に入り込んだ。彼女の腰に巻かれたガンベルトに私の目が奪われる。気を引き締めなくちゃ。
「ほら、アイリーンも早く」
ジェーンに続き、客車後部のトランクに入った。
中は狭いけど、全く身動きが出来ないほど窮屈、というほどではない。
ジェーンが腕を伸ばし、頭上のフタを閉めた。
保安官事務所が起きたのは、空が完全に明るくなった頃だった。トランクの隙間から外の様子を窺っていた私は、事務所内で忙しく動く人影を見て、トランクのフタを閉めた。お父さんに見つかってしまえば、私達はつまみだされる。それだけは避けたかった。
それからというもの、入ってくる情報は音だけになってしまった。それにトランクの中だから、くぐもった音しか聞こえてこない。
外はだんだんと騒々しくなっていった。保安官事務所を出入りする人の声、駅馬車に馬を繋ぐ音、ブーツの
不安になってきた。
トランクが大きく揺れた。
客車に人が乗り込んだのだ。私の背後にある客車の中からブーツの足音が聞こえる。
事前に立てた計画によると、客車には三人の男女が乗り込むことになってる。
お父さんとミスター・ジョーンズは御者の席で、歯医者のドクター・ローレンスだけは別行動、一人馬に乗って後方からついて来ることになってる。
全員がいるべき場所に収まったようだ。
準備が整った。
私達は、馬のいななきと共に出発した。
駅馬車は本来の定期便のコースの通り、隣町のここから私の町――ジェファーソン――へと向かう。
道中、私とジェーンの間に会話はなかった。激しい揺れが起こると、私達は頭をぶつけた。それでも笑ってる余裕なんてなかった。
客車からも話し声は聞こえてこない。ここにいる者のほとんどは、ギャング団と相対したことなどない素人だ。当然緊張しているだろう。この先何も起こらず、無事に町へ辿り着くことを私は祈った。
だがそうはいかなかった。
遠くから馬の足音が聞こえてきたのは、出発して数十分は経った頃だったと思う。こんな状況だから、私の時間感覚などあてにならないけれど。
馬は何匹もいて、こちらへ向かってきているようだった。
馬の足音はどんどん大きくなり、ついにそれは駅馬車の周囲を囲んだ。駅馬車はゆっくりとスピードを落とした。
心臓が高鳴った。私達を取り巻くのは何者なんだろう。絵空事のように思えていたこの計画が、ついに現実のものとなってしまうのか。まさか、本当にギャング団に襲われている? 私の呼吸は浅くなった。パニックに陥りかける。
その時ジェーンが私の手を強く握った。はっとした。パニックになってる場合じゃない。ちゃんとしなきゃ。
駅馬車が完全に止まった。
「やあ」妙に明るい声がした。
「お前はジミー・ザ・ラビットだな」お父さんの固い声が聞こえた。
相手はやはりデッド・フラワーズだ。私は強くジェーンの手を握り返す。
ぼん、といきなりトランクが叩かれ、私はぎょっとした。もう少しで声をあげてしまうところだ。
首領の声は御者の側から聞こえてくるので、おそらく手下がトランクを叩いたのだろう。
「その中身が欲しくてね」ジミー・ザ・ラビットは、ギャング団の首領とは思えないような朗々たる声で話す。かえって気味が悪い。
「ここに金はないんだ。実は、これは偽の駅馬車だ」お父さんは上ずった声で、早口で説明する。「そして我々は、双方どちらにも犠牲を出すつもりはない」
「金はないのか。それは残念だ。で、お前らは御者ではなく保安官とデュピティ、というわけか」
「その通り。そして客車にいるのは腕利きのガンマン達だ」
「ただ、こっちには腕利きのギャングが十人」首領は嘲るようにいった。「勝てると思うか?」
「山の上を見てくれ」
「スナイパーか」
「そうだ。我々が雇ったスナイパーは、さっきからずっとお前の脳天を狙ってる。お前らの誰かが下手な動きをしようものなら、首領の頭が吹っ飛ぶぞ」腕利きのスナイパー、ドクター・ローレンスのことだ。
「なるほどな。考えたもんだ」と笑う。
「我々はお前らを傷つけたいわけではない。これは闘いじゃない。取引だ」
ジミー・ザ・ラビットはしばらく黙っていた。
「お前らが黙ってこの場を去れば、我々はお前らに何の危害も加えない。当然逮捕するつもりもない。ただ、お互いが平和に手を引く。求めるのはそれだけだ」とお父さん。
「わかった。大人しく手を引こう。こっちもそんなに馬鹿じゃない。積荷はないらしいし、無駄に血を流す必要もあるまい」
私は音を立てずに息を吐いた。よかった。全員無傷のまま町へ帰れる。
「いや――」ミスター・ジョーンズが唐突に口を開いた。「そうはいかない」
「なんだって?」お父さんが驚いた。
「我々は保安官だ。お前らをみすみす逃がすわけにはいかない」ミスター・ジョーンズは元々の計画にないことを言い始めている。
「どういうつもりだ」咎めるようにお父さんが口を挟んだ。
だがミスター・ジョーンズはそれを無視し、「お前らがプランカスタ族を襲ったということは知っている。証人もいる」
「たしかにプランカスタ族を襲った。それがどうした」
「先住民の石を渡せ。渡せば、お前らを逃がしてやる」
「石だって?」
「とぼけるな。お前らは石を目的にプランカスタ族を襲ったんだろう。そんなこと分かってる」
「勝手なマネはやめろ」お父さんが言った。
「これは俺の問題だ。これは、田舎の保安官に対処できる話じゃない」とミスター・ジョーンズ。
事態がややこしくなってしまった。
「薔薇の雫だ。薔薇の雫をよこせ」ミスター・ジョーンズが恫喝した。
その言葉を聞いた瞬間、隣のジェーンがびくっと動いたのが分かった。ジェーンはその石について何か知ってるんだろうか。
「何を言っているのかさっぱり――」と首領が言うと同時に、銃声が響いた。そして馬から人が落ちる音がした。
誰が撃たれたのか。トランクに入っていては何も見えない。一体何が起きてるのか。
「お前!」ジミー・ザ・ラビットが叫んだ。
「スナイパーを忘れるなよ」ミスター・ジョーンズが釘を刺した。「妙なマネをすると頭が飛ぶ」彼はどこまでも冷静だった。
おそらく、撃たれたのはデッド・フラワーズのほうだったようだ。ということは、撃ったのはミスター・ジョーンズか。
「さあ、石をよこせ」
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