2-8 火曜日の夜

 到着したのは夜だった。

 足を踏み入れた隣町は、私達の町――ジェファーソン――よりも閑散としていて、住人も少ないようだった。ひっそりとしてる。

 ただこの町の保安官事務所は、私達のところよりはるかに広かった。

 雑然として、汚らしい事務所だった。留置場には誰もいない。やる気のなさそうな保安官がただ一人、大きな椅子に腰かけている。デスクの上は弾丸や書類で散らばってた。

 保安官は到着した私達をちらりと眺めると、「ベッドはない。ここで夜を過ごしてくれ」と告げた。

「ありがたい。デッド・フラワーズの噂は何か耳にしたかな?」お父さんが質問した。

「いや、特に。プランカスタ族のことは知ってるな?」

「ああ。デッド・フラワーズは、それ以来姿を見せていない?」

「そうだ」保安官はだらしなく背もたれに身体を預けたまま答えた。「あれ以来、奴らに関する噂は途絶えたままだ。たぶん、明日も来ないだろうよ」

「そう願うよ」とお父さん。


 隣町に来てからというもの、私達の誰もが静かになった。

 明日、駅馬車が襲われる可能性は低いとはいえ、ゼロではないのだ。万が一デッド・フラワーズに出くわしたら、当然自らの命が危険にさらされることになる。みんなの頭の中には、そんな心配があった。


 だだっ広い保安官事務所に散らばった私達ジェファーソンの人間は、無言のまま明日の準備に取り掛かりはじめた。

 ミスター・ジョーンズが銃を手入れする音が、不気味に響いた。

 対照的に歯医者のドクター・ローレンスは、ただぼんやりとライフルを眺めていた。


「子供がいるようだな」この町の保安官が言った。

「ああ、見学だよ」お父さんが答えた。

「上にベッドがあまってる。子供達の分はある」

「そうか。じゃあ、ありがたく使わせてもらおう」


 私とジェーンは目を見合わせた。

 “子供達”、だって。


「ありがとうございます」不服ながらも私とジェーンは小さな声で保安官にお礼をした。

「こっちだ」


 保安官の後をついて、私達は階段を上った。

 案内された部屋は真っ暗だった。

 保安官が明かりをつけると、大きなベッドが一台と、埃を被った化粧台の姿がぼんやりと浮かび上がった。カビの匂いがする。


 保安官が部屋を出ると、私は窓に向かった。

 眼下には、人の気配のない夜の町が広がってる。

 保安官事務所の向かいには、駅馬車のステーションがあった。明日の駅馬車は、すでにステーションの前に留められてた。まだ馬は繋がれてない。もちろん客もいないので、客車は空っぽだ。客車後部の荷台には、巨大な金庫トランクくくりつけてあった。


「あれが明日の駅馬車だね」私はジェーンに声をかけた。


 ジェーンが隣にやって来た。


「私はあの駅馬車を何度も目にしてるけど、今日はなんか違って見える」

「立派な駅馬車ね」ジェーンは窓ガラスに顔を近づけた。

「うん。私達ジェファーソンの人々にとっては、大切な駅馬車なんだ。生活に、なくてはならないもの。といっても、私はダイムノベルの通信販売で利用するくらいなんだけどね」

「ねえ」とジェーンが耳元で囁く。

「何?」

「あのトランク、すごく大きいね」

「まあ、色んな荷物を入れることになってるからね」

「でも明日は、トランクには何も入れない予定なんでしょ?」ジェーンが訊いた。

「そうだけど、それが?」


 この後のジェーンの発言で、私は肝をつぶしてしまった。


「あたし達、あそこに入れるかな?」



 一階の人々の目を盗み、私とジェーンは保安官事務所を出た。

 まるでコソ泥にでもなった気分だった。息を殺して階段を下り、音を立てないように事務所のドアを開けて外に出てきたのだ。

 私達はそのままこっそりと道を横断し、駅馬車に近づいていった。


「鍵は開いてる」ジェーンは小声で言うと、トランクを静かに開けた。


 私はトランクを覗き込んだ。

 中は空っぽで、フタの開いたトランクはまるで巨大な生物が口を開けてるみたいだった。


「これなら二人は入れる」とジェーン。

「入るって、まさか明日の計画についていくつもり?」

「そう。だって、アイリーンのお父さんはあたし達がついていくのを許してくれなかったんでしょ?」

「そうだけど」

「じゃあ、この方法しかないじゃない」と当たり前のようにジェーンは言った。「隠れてついていくしか」

「だって、そんなの……。バレたらどうするの」

「バレるもなにも、アイリーンは心配じゃないの? お父さんのことが」

「心配ではあるけど」

「明日、本当に誰かが死ぬことになるかもしれないのよ」


 私は黙ってしまった。

 ジェーンの顔を見て、私は自分の覚悟のなさに気づいてしまったのだ。


 明日、誰かが死ぬかもしれない。

 それはダイムノベルの話なんかじゃなくて、現実なんだ。

 ジェーンは死を見てきた。彼女にとって、死は現実。


 私は大きく頷いた。「分かった。私もついていきたい」ジェーンにそう告げた。



 汚れた天井を眺めながら、私はカビ臭い部屋のベッドにいた。

 実際にトランクに忍び込むのは、明日夜が明ける前――まだお父さん達が寝てる時間――にしよう、と二人で決めた。それまで、一度部屋に戻ることにしたのだ。


 階下からは、なんの話し声も聞こえてこなかった。

 きっとみんなも緊張しているんだろう。もちろん、私も。


 ジェーンは椅子に座り、リボルバーのシリンダーをからからと回していた。

 私には武器はない。だけど、お父さんを思う気持ちだけはある。ジェーンの言う通り、明日はお遊びじゃない。

 きっと今日は眠れないだろう。それは分かってた。


「おやすみなさい」



 そう言って、私は無理やり目を閉じた。

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