Chapter 2 アイリーン・ギネス

2-1 ジェファーソン

 いつもの朝。

 なんてことない一日がまたはじまる。



 保安官事務所兼リビングルームで私は、ホットミルクを飲んでた。

 お父さんはテーブルを挟んだ向こう側に座って通信販売のカタログをめくってる。


 のんびりとした時間。

 砂糖をたっぷり入れたホットミルクが甘ったるい。

 私もカタログで何か頼もうかな。新しいダイムノベルかなんか。この前注文した本はもう全部読んじゃったし。


 こうして過ごしてると、ここが保安官事務所であることを忘れてしまいそうになる。

 緊迫感はゼロだし、保安官はぼんやりとカタログを眺めてるのだ。無理もない。


 この場所が保安官事務所であることを声高に主張している設備といえば、留置場くらい。

 朝ごはんを食べてる私の背後にある、鉄格子で囲まれた狭い空間がそれだ。

 今は空っぽ。

 というか、長いこと誰も入ってない。


 最後に誰かが入ったのはいつだろう。あたしは考える。

 そうだ、たしか最後のは泥酔した男だった。お父さんがここに連れてきた時にはかなり暴れて、色々と大変だった気がする。

 でも翌朝には酔っ払いはしゅんとなって、反省してたっけ。


 この町では、大きな事件など滅多に起こらない。

 留置場に人が入ること自体珍しいから、基本的にこの家は私とお父さんの二人暮らしだ。


「行儀悪いぞ」お父さんはカタログから目も上げず、私にそう言った。


 あたしはコーンブレッドをミルクに浸すダンク手を止めた。


「だって硬いだもん」と私。

「しょうがないなあ」

「お父さんも試してみたら? 結構いけるよ」

「やめておく」低い声で否定するお父さん。


 お父さんはこの町の、たった一人の保安官。

 保安官助手デュピティはいない。

 なぜって? 必要ないから。


 この町――ジェファーソンには、保安官は一人で十分。

 デュピティを雇ったところで、暇つぶしのトランプ遊びの相手が増えるくらいのもんだ。


 それに、必要とあらばこの私がいる。

 保安官の仕事は近くでずっと見てきたし、私にだって多少のお手伝いくらいは出来る。

 現にお父さんの不在時、事務所を守ってるのはこの私だ。


 長い間、私達は二人でなんとかやってきた。


 お父さんは私にとって唯一の家族。

 お母さんは、私がまだ幼い頃に亡くなった。お母さんについての記憶はほとんどない。彼女について私が知ってることのほとんどは、お父さんから聞かされたこと。

 私はお父さんとの二人暮らしを、寂しいと思ったことはない。だって、ずっとそうだったから。これが私にとっての当たり前。


 これまで二人だけでなんとかやってこられたのも、町が平和だったおかげだと思う。

 ダイムノベルみたいにドラマチックなことは起こらないけど、平穏で静かな日々も悪くはない。

 のんびりと朝食を楽しんでいられるのもそのおかげだ。


 だけど実は最近、この町に不穏な噂が流れてる。

 有名なギャング団が町に近づいているというのだ。


 悪名高いギャング団――デッド・フラワーズ。

 残虐で情け容赦ないやり口で知られる、非常に危険な犯罪集団。

 噂では彼らが今、この町からほど近い場所に身を潜めていると言われてる。



 もし仮にその噂が事実で、万が一彼らがこの町を襲うようなことがあれば……

 お父さんと私では、歯が立たないだろう。



「ねえ」私はお父さんに声を掛けた。

「なんだい?」

「先住民が襲われたって、ホントかな。先週、何者かに襲われたっていう話」

「それは本当だ」

「襲われたのはハウル族の人達?」

「いや、そうじゃない。プランカスタ族だ。現場を見たわけではないが、昨日間接的に、被害についての話を聞いたよ。死人も出たし、価値ある物はほとんどすべて奪われてしまったそうだ」


 ハウル族もプランカスタ族も、この町から遠くない場所に居を構えている先住民だ。


「ひどい……」

「そうだな。ただ、犯人がデッド・フラワーズなのかどうかはまだ分からない」お父さんはカタログから顔を上げる。「だがアイリーン、とにかく今は気をつけたほうがいい。先住民を襲ったのがデッド・フラワーズかどうかは別としても、危険な連中がそこいらをうろついてることに変わりはないんだからな」


 うん、と返事をしたものの、自分の身に危険が差し迫っているという実感はわいてこなかった。

 ジェファーソンはこれまで争いや事件とは無縁な町だったし、ギャング団なんてダイムノベルの世界にしか存在しないような気がしていた。


「もしね、もしその犯人がデッド・フラワーズだったとして、奴らがこの町にやって来る可能性はあると思う?」

「可能性はゼロじゃない。とはいえ、この町にはろくに価値のあるものなんてないがな。狙われるとすれば銀行か――」お父さんはここで一度言葉を区切った。眉間には皺が寄った。「駅馬車だ」

「水曜日に来る予定の?」

「ああ、定期便の駅馬車だ。そして次の水曜の便は、現金をたんまり積んでここへやって来る予定になっている。町の銀行へ現金を輸送するためだ。もし私がギャングだとしたら、銀行を直接襲うのではなく駅馬車を襲うだろうな」

「なんで?」私は訊いた。

「町のど真ん中にある銀行を襲えば、銀行の人間や保安官はもちろん、町の住民から反撃されるリスクだってある。強盗を生業にしてるギャング団にとっても当然、それは死と隣り合わせの仕事になる。それに比べ、町に入る前の駅馬車を襲う仕事はずいぶんと魅力的だ。人気ひとけのない荒野を走る駅馬車以外に神経を尖らせる必要はないからな」

「じゃあ、今度の水曜日が危ないってわけ?」

「現時点ではなんとも言えない。そもそも、デッド・フラワーズがこの近くにいるという噂さえ真偽のほどは定かでないからな」一瞬、お父さんの目に不安の影が宿ったような気がした。「だが、警戒するに越したことはない。水曜の駅馬車については、念のため今のうちに何らかの手を打っておく必要があるかもしれん」

「そんなに心配なら、ウォッチタワー探偵社に相談してみたら?」


 ウォッチタワー探偵社とは、インディカ合衆国の治安維持を主な目的とした、東部に本部を置く会社のこと。

 “探偵社”と名は付いているものの、アウトローの追跡から政府の要人の護衛など、彼らの守備範囲はとても広い。


 公的な色合いも非常に強い組織ではあるけど、ウォッチタワー探偵社はあくまでも民間企業。

 しかしながら、彼らは西部の保安官や東部の警察官よりも力を持ってる。

 州を跨いだ捜査は、保安官や警察官には認められていない。犯罪者が州境を超えて逃走した場合、保安官には犯人をそれ以上追うことが出来ないということだ。

 でも、ウォッチタワーの人間にはそれが出来る。

 州境を超えた捜査が許されているのは、ウォッチタワー探偵社だけなのだ。



 インディカ合衆国最大の捜査機関。

 それがウォッチタワー探偵社だ。



「ウォッチタワーが噂一つで動いてくれるとは思えんよ」お父さんは言った。

「そう? でもダイムノベルだったらこういう時――」

「現実はダイムノベルじゃない」お父さんは言った。

「現実がダイムノベルみたいだったら、ちょっと楽しそう」

「よせよ」とお父さんは苦笑いしてカタログを私に手渡した。


 お父さんはギャング団についてあれこれと心配している様子だけど、私は大丈夫だろうと高を括っていた。

 どうせ今度の木曜の朝には「結局なんともなかったね」なんて言って、今と同じ様子で過ごすことになるような気がしていた。


 パンくずの浮いたミルクを口に含んでから私は、お父さんから渡された通信販売のカタログを開いた。

 するといきなり事務所のドアが強く叩かれる音がして、その振動が部屋の空気を震わせた。


 驚いた私は小さく悲鳴を上げてしまう。


「なんだなんだ」お父さんは鋭い目つきでドアを見やった。


 一瞬の静寂。

 そしてまたドアを叩く音。


 部屋に緊張が走る。


 お父さんは立ち上がり、ドアに向かって歩いた。


 私は椅子に座ったまま動けなかった。

 カタログを手元に開いたまま、事の成り行きを見守る。


 お父さんはドアの前に立つと、ノブを掴んだ。



 ドアが開かれた。



 ドアの向こうにいたのは二人の男だった。


 一人は貧相な印象の男で、髭を伸ばし放題にしていた。服はひどく汚れてる。顔なんかは、ついさっき洗顔してきたかのようだ。茶色い歯はぼろぼろで、髪は油ぎってる。

 小汚いその男は両手両足をロープで縛られていた。


 その後ろにもう一人の男が立っていた。

 黒いハットを被り、裾の長い茶色のコートを纏った男。



 彼こそ、ジョーンズさんミスター・ジョーンズだった。

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