1-9 救いの手

 次に目覚めた時、あたしは柔らかなベッドの上にいた。


 頭が破裂しそうだ。

 起き上がろうと上半身に力を入れる。すると突然背骨が反乱を起こした。あたしは思わず声を上げた。


「気がついた?」


 若い女性の声。

 聞き覚えのない声だ。


 背中に片手をあてがい、あたしは苦痛に顔を歪めた。

 声がしたほうに向き直ろうと、恐る恐る身体を動かす。


「大丈夫?」


 また声がした。

 聞き覚えがないと思っていたその声は、遠い記憶で、もしくは夢の中で一度聞いたことがあったように思えた。


 唐突に、あたしは意識を失う前の記憶を取り戻した。


 そうだ。

 あたしはどこか建物の裏手にいて、そして誰かさんがあたしに手を差し伸べてくれたんだった。

 あの時救いの手を差し出してくれた人は、たしか女性だったと思う。水色のドレスを覚えているから。

 今あたしに声を掛けているのは、あの女性なんだろうか。


 呻き声を漏らしながらベッドの上で身をよじり、あたしはなんとか声の主を見ることに成功した。



 女の子だった。



 あたしと同年代の女の子が心配そうな顔を浮かべ、あたしを見ていた。


 彼女はドレスを着ていた。

 薄い生地でつくられた水色のドレスだった。

 あたしが意識を失う直前に見た、あのドレスだ。


 可憐な少女だった。

 柔らかなウェーブを形作る金髪は、まるで作り物のよう。

 あたしを見つめる二つの目は大きく、美しかった。

 目の下はほんのちょっぴり窪んでいて、影になっている。それが、幼さの残る顔にミステリアスな(もしくは独特の色気と言ってもいい)印象を加えていた。

 潤いのある小さな唇からは、若さゆえの生意気さがほのかに漂っている。

 肌は白く、凛とした小ぶりな鼻は彼女の美しさに花を添えていた。


「こ……ここは?」


 少女の目に吸い込まれそうになりながら、訊いた。

 あたしは自分の声に驚いた。老人のように掠れた弱々しい声が、自分のものだと認識するのに数秒を要した。


「ここは私の部屋」少女はあたしを安心させるためか、笑顔をつくった。

「あなたの部屋?」

「そう、私の。保安官事務所の二階の、私の部屋」

「保安官事務所?」

「そうだよ、保安官事務所。ジェファーソンのね」

「ジェファーソン……?」

「うん、ジェファーソンっていう町」少女は目を丸くした。「知らない?」

「……聞いたことは、ある」

「それよりあなた、大丈夫? 事務所の裏口バックドアのところで倒れてたんだよ? 覚えてる?」

「なんとなく」

「今日は町のお医者さんが遠くに出掛けてるんだよね。明日になったら、すぐにでも診てもらわなくちゃ」

「いや、あたしは大丈夫」と言ってすぐに、あたしは大切なことを思い出した。


 胸元に手をやり、急いで確認する。


 安堵した。

 薔薇の雫は、今もあたしの首からぶら下がっていた。


 ふう、と息を吐く。


「どうしたの?」彼女は訊いた。

「いや、なんでも」首を振る。

「とにかく気がついてよかった。最初あなたを見つけた時なんて、死んじゃってると思ったくらいなんだから」

「死んでは……いないみたい」笑みを浮かべようとしたが、顔の筋肉は思い通りに動いてはくれなかった。

「私に出来ることがあれば、なんでも言ってね」

「うん、ありがとう」

「そうだ――」


 少女は何かを思い出したように両手をぽん、と合わせた。


「お腹空いてる?」


 少女の質問に、いきなり全身が渇望感に襲われた。


 飢えていた。

 それこそ、死んでしまうほどに。



 ぎょろついた目を浮かべて、あたしは大きく頷いた。

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