1-8 導き
あたしは瞬時に理解した。
あたし達の部族では、人にはそれぞれに守護を司る動物の精霊がついていると信じられている。
その存在はパワーアニマルと呼ばれていた。
目の前に現れたハチを見てあたしが理解したこと。
それは、“あたしのパワーアニマルはハチなのだ”ということだった。
あたしの部族には、精霊を幻視するために行われる儀式があった。
極限状態に身を置き、目に見えない存在を幻視することによって己のパワーアニマルを知る、という儀式。
それは次のようにして行われる。
まず、断食をする。
身体が空っぽの状態になったら集落を出発し、たった一人で荒野を歩く。
荒野のど真ん中、誰の助けも得られない状況で一晩を過ごす。夜の間もずっと歩き続けることで肉体を酷使する。
とことん己と向き合う。
不安や恐怖と対峙し、乗り越えることで精神を高める。
邪念や穢れを捨て去り、精神と肉体と大地、そのすべてが一体になる感覚を得る。それは究極の精神状態だ。
現実の一線を越える。
そしてヴィジョンを得る。
精霊――己のパワーアニマルはその時、ヴィジョンとして現れるのだ。
あたしは期せずしてその儀式を行っていた。
そしてハチが、あたしの前に現れたのだ。
目の前を飛ぶハチは明らかに現実離れした存在で、嘘くさいくらいに光り輝いていた。
まるでハチの内部から光が溢れ出てきているかのよう。
朦朧とした頭で――だが不思議なことに、同時にこれ以上ないというほど意識が冴えわたってもいた――、あたしはハチを見た。
あたしはずっと、孤独なんかじゃなかったんだ。そんな気がした。
「今までずっと、あたしのそばにいてくれていたの?」
当然ハチは何も言わない。
その代わりなのどうか分からないが、ハチはのんびりとした動きで宙を上下した。
それから、ハチは飛んでいってしまった。
あたしはしばらくハチの姿が小さくなる様を見守った。
ゆったりとしたスピードであたしの前方を一直線に飛んでいくハチ。
不自然だった。
不自然なほど遅く、不自然なほど直線的な飛行だった。
あたしは気づく。
もしかしたら、ハチはあたしを導いているのかも。
そうだ。
そうに違いない。
あたしは追った。
ハチの後を。
あたしを導くパワーアニマルの後を追った。
すぐにあたしはハチに追いつき、その後はハチと一定の距離を保ちながら歩いた。
光を放つ点のように宙を浮くハチは、それからもずっと同じスピードで直進し続けた。
あたしは何も考えずにただ、光るハチを追う。
穏やかで、心地よかった。
身体は軽くなり、それまで感じていた痛みもかなり緩和されていた。
不安や恐怖も感じなくなっていた。
目の前の光を追っているだけでいい。
それ以外のことは何も心配しなくたっていい。
ハチを信頼し、一歩一歩、着実に歩を進めることに集中すればいいんだ。
あたしはこうして、ただ歩いているだけでいい
一歩
一歩ずつ
ハチの導きに従い
一歩ずつ
思考を捨て
目の前の一歩に集中し
こうして
一歩ずつ
歩いてさえいれば
いつかは……
気がつくと、見知らぬ場所にいた。
夜だった。
ハチは姿を消していた。
あたしは倒れていた。
服は大地と同化してしまったみたいにひどく汚れ、喉は乾きひりついていた。
建物の裏手と思しき場所にあたしはいた。
顔を上げる。薄汚れた裏口のドアが見えた。ドアは閉まっている。
助けを求めたくても、辺りを往来する人間は一人としていない。
これは夢なのか。
はたまた現実か。
身体を動かそうとすると全身に激痛が走った。
どうやら立ち上がることは不可能なようだ。
これほどの痛みを感じるということは、やはりこれは現実か。
肉体は硬直し、記憶は曖昧だった。
顔を動かすと鼻先に砂が触れた。
助けを呼ぼうにも声が出なかった。
聴覚の先っぽで、微かに何かを聞いたような気がした。
頭の中で鳴っている音なのか、それとも現実の音なのか。
耳を澄ますと、やはり聞こえる。
高い音だった。
人の声のようだ。
あたしは声の聞こえたほうを見ようとする。
だが、瞼が鉛のようになっていた。落ちてくる瞼を開いたままの状態にすることすら、この時のあたしにとっては大仕事だった。
結局声の主の顔を目にすることは叶わぬまま、あたしは近づいてくる“脚”だけを眺めていた。
だいじょうぶ?
声はそう訊ねた。
そして、手が差し伸べられた。
あたしにはその手が輝いて見えた。夜だというのに。
瞼以上に重たい腕をなんとか動かし、あたしはその手を掴もうとする。
だが無理だった。
あたしはここでまた意識を失う。
最後に目に映った光景を、あたしは今でも覚えている。
差し出された手。
茶色のカウボーイブーツ。
そして風に揺れるドレスの裾。
それは水色のドレスだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます