1-4 悪の種

「本当にいいの?」

「ああ」旅人は言った。


 あたしはリボルバーを手にしていた。

 初めて触れるリボルバーは重く、冷たい。


 銀色の銃身が鈍く輝いている。グリップにはアイボリーが嵌められていた。

 銃身の黒ずみは、この銃がどれほど使い込まれたものなのかを暗に示していた。使用感が、なんとも渋い。


 両手の中にずしりと存在する銃の危険な魅力に、あたしは目を輝かせていた。

 心臓がばくばく動いた。


「リボルバーをそのリングなんかと交換トレードしてしまって、本当にいいの?」あたしはもう一度訊いた。

「ああ、いいよ。銃はいくつか持っているからね。それに、このリングにはリボルバー以上の価値がある」


 これさえあれば、旅に出られる。

 あたしは無言で銃を見つめる。


「そんなに銃が珍しいかい?」

 あたしは頷く。「ここにいる人達は銃を使わないから。交易所でリボルバーを目にしたことはあるけど、実際に触ったのは初めてだし」

「そうか」と彼。「その銃はね、西部では最も一般的な銃なんだ」

「そうなの?」

「ああ。その銃の誕生は西部を変えた、って言われてる」旅人は、あたしの手の上のリボルバーに触れる。「シンプルで、信頼出来る道具だ。そいつを使いこなせるようになれば一丁前さ」


 あたしは右手でグリップを握ってみる。

 妙な感覚にあたしは震える。


 自分の銃。

 自分の銃なんだ。



 ……わお。



 だけどやはりまだ、ハンマーやトリガーに触れることは出来なかった。

 警戒心が好奇心を若干上回った。


 リボルバーに見惚れるあたしのことなど意に介さず、旅人は彼の手の中にあるリングを眺めている。


「どれどれ」と呟き、彼はリングを右手の薬指に嵌めた。


 ぴったりだった。


「似合ってる」あたしは言った。

「なんだか、しっくりくるな」


 自分が作ったアクセサリーを他人が身に着けるのは、なんだか不思議な気分だった。

 こうして改めて見ると、思いのほかそのリングはだった。


 旅人はリングを嵌めた指をあたしに見せ、「大切にするよ。ありがとう」と言った。


 その後あたしは旅人から、銃の扱いについて一通り説明を受けた。


 ハーフコックやカートリッジの装填方法等、基本的なことを彼は教えてくれた。

 当然その場で実際に銃を撃つわけにはいかなかったが、射撃の一連の流れを学ぶことは出来た。


 彼は最後にこう注意した。「普段は絶対にトリガーに指をかけるなよ」彼は人差し指を曲げて見せる。「間違って撃っちゃったら笑い事じゃあ済まないからね」

「そうね。気をつける」

「そうだ、これもあげよう」と彼は鞄から箱を取り出した。


 取り出された紙箱の中には、カートリッジがぎっしり詰まっている。


「これがなきゃ話にならない」彼は笑った。「銃弾がなくちゃね」

「ありが――」

「あ、そうだ。ちょっと待ってて」旅人はいきなり立ち上がり、ティーピーから出ていってしまった。


 旅人が再びティーピーに足を踏み入れた時、彼の右手にはこげ茶色の物体が握られていた。


「これはおまけ」と彼はそれをあたしに投げてよこした。

「……え?」

「腰に巻いてみな」


 あたしは立ち上がり、言われた通りそれを腰に巻いた。



 想像していたほど重くはない、というのがあたしの頭に浮かんだ最初の印象だった。



 ガンベルトは居心地よさそうにあたしの腰回りに収まった。


「一人前に見えるぞ」

「そう?」


 あたしはリボルバーを手に取り、ホルスターに収めてみた。


「ガンマンみたい?」


 旅人はにやりと笑い、ああ、と言った。

 片方の口角を上げるその笑い方は、信頼のおける仲間内だけで交わされる類のものだった。

 あたしは嬉しくなった。


 大人になった気がした。



 その日の夜。

 旅人はチーフのティーピーへ招待され、あたしとおばあちゃんは二人きりで過ごしていた。


「いい青年だねえ」


 あたしは横になっていた。

 おばあちゃんはあたしの傍らに座っている。


「おばあちゃんの料理、喜んでたね」


 夜は深まり、辺りはぴんと張り詰めたみたいに静かだった。

 旅人もすでに眠っているかもしれない。

 明日発つ、と彼は言っていた。


「ねえおばあちゃん」

「なんだい?」

「眠れない」

「なら、何かお話でも聞かせようかね」

「お願い」

「じゃあ目を閉じて」


 あたしは目を閉じる。


 おばあちゃんは昔話をはじめた。


 普段のあたしなら目をつぶりおばあちゃんの声を聞いているだけですぐに眠りに落ちるのだが、この日は例外だった。

 今日一日、いろんなことがあったせいだ。

 なんだか少し興奮している。


 そのせいかは分からないが、しばらくしてからあたしは妙なリクエストをした。


「怖い話をして」

「怖い話?」とおばあちゃんは不思議そうに訊いた。

「うん」あたしは言った。


 怖い話ねえ、と言うとおばあちゃんは、“悪の種”について話しはじめた。

 幼い頃から何度も聞かされた話だけど、あたしは静かに耳を傾ける。



 話はこうだ。


 昔々、それはそれは大昔のこと。

 空から“悪の種”がこの地に落ちてきた。


 そしてその種から、九つの邪悪な“いのち”が生まれた。


 “いのち”は我々人間よりもずっと小さいが、悪夢の中のバケモノように醜悪な姿をしていた。

 奴らは存在そのものが、だった。


 邪悪な訪問者ストレンジャーたる奴らはその貪欲な食欲で獲物を喰らいつくし、神聖なる大地を我が物顔でのさばった。 


 忌まわしいことに、九つの“いのち”は子を産んだ。

 子はまた子を産んだ。

 その数は増え続け、やがてこの地を覆うほどになった。


 奴らは今やそこら中に存在している。

 我々は奴らと、“同居”しているのだ。


 だが本当に恐ろしいのは、奴らがまだにあるということ。

 奴らはまだ、眠っているのだ。



 いつの日か奴らが目覚め、真の姿を現す時が訪れる。

 悪の種が花を咲かせるその時、奴らはこの世界のキングとなるだろう。



「奴らを深い眠りから叩き起こすのは誰?」おばあちゃんは訊いた。

「人間……、でしょ?」

「そう」おばあちゃんは言った。「それは私達、人間なの」


 蒔かれた種に水を与え花を咲かせてしまうのは、大自然と生命に対する畏怖の念と謙虚さを忘れてしまった、我々人間だ。


「だからね」おばあちゃんはあたしに言い聞かせる。「日々大地に感謝し、食べ物に感謝し、先祖に感謝して生きなければならないの」


 私達人間が感謝と優しさを忘れさえしなければ、悪の種から花が咲くことはないのよ、といつものようにおばあちゃんは話を終わらせた。


 子供の時、あたしはこの話が怖かった。

 邪悪な“いのち”がどんな姿形をしているのか想像する度にこの身が震えたし、悪の種から花が咲いてしまうことを本気で恐れていた。

 花が咲いた時、あたしもおばあちゃんもきっと死ぬんだ、と思った。みんなみんな、死んじゃうんだ。

 それは明日かもしれないし、十年後かもしれなかった。


 だが年齢を重ねるにつれ、非現実的なこの手の昔話を信じることが出来なくなった。

 比喩と含蓄に満ちた寓話。ただそれだけのことだ。それ以上でも以下でもない。


 恐怖を感じなくなった理由をあたしは、“成長”だと思っていた。

 現実とまやかしの区別がつくくらいには成長したのだ、と。


 だがそれは間違いだった。

 人が自らを成長したなどと考える時、それは大抵未熟な思い上がりに過ぎない。



 この話が真実を語っていると知ったのは、ずっと後のことだ。

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