Chapter 1 ジェーン・カスク

1-1 ジェーン

 あたしはジェーン。

 ジェーン・カスク。


 インディカ大陸先住民のハウル族出身で、父と母はいない。

 唯一の家族である祖母に、あたしは育てられた。


 ハウル族の仲間は、みんないい人ばかりだ。

 一人一人が協力し合い、大地と共に豊かな生活を送っていた。

 あたしは生まれてから一度も集落を出たことはなかった。


 我々ハウル族は、名字ファミリーネームを持たない。


 カスクという名は、あたしが十六の時に旅人からもらったものだ。

 彼はあたしがファミリーネームに憧れを持っていると聞き、あたしにファミリーネームを与えてくれた。

 以来、あたしは出会う人に自らをジェーン・カスクと名乗った。


 旅人は自らを名乗らなかった。だからあたしは彼の名を知らない。

 風のような人生を送っている彼が、あたしは羨ましかった。



 あたしは彼のようになりたかった。



 この話を、彼との出会いからはじめようと思う。









 交易所からの帰り道だった。


 淡い期待を無残にも打ち砕かれたあたしは馬に揺られ、家路についていた。


 交易所で手に入れたかったもの。それはリボルバーだった。

 だが現実にはリボルバーどころか、何一つ収穫を得ることが出来なかった。

 ターコイズをあしらったあたしのヘタクソな手作りアクセサリーが、手元にどっさりと残っていた。


 交易所とは基本的に、物々交換が行われる場所のことだ。

 同時にそこは、雑貨屋の役割も担っていた。

 そこでは毛皮や銃器、工芸品などが取引された。そして酒やタバコ、食料などの日用品も売られていた。


 交易所は、あたしの集落から馬で一時間ほどの場所にあった。

 周囲に何一つ人工物のない場所にぽつんとその交易所はあり、建物は全体が赤茶色に塗装されていた。


 あたしは交易所が好きだった。

 普段目にすることの出来ないようものがたくさん並んでいたし、素敵な服なんかもあった。


 おばあちゃんに連れられて交易所を訪れたことは何度もあった。

 だが一人で行ったのは、今日が初めてだ。



 あたしはの生活に憧れを持っていた。



 荒野を駆けるカウボーイ、正義感に溢れる保安官、大人達の集まるサルーン、汽笛を鳴らし大陸を走る蒸気機関車、早撃ちのガンマンが腰から抜くリボルバー……

 あたしにとってそれらは、手が届きそうで届かない、夢の世界だった。


 交易所では、そんな世界の一端を覗いた気分になれる。


 でもやっぱり、覗くだけじゃ物足りない。

 あたしはそう思いはじめていた。


 集落の仲間もおばあちゃんも大好きなんだけど、一度でいいから、集落を出て外の世界を自由に旅してみたい。

 そんな願望が、日に日に強くなっていた。



 あたしは知りたかったのだ。

 世界を。



 この世界は広すぎる。

 気が遠くなるほど茫洋たる大陸に、あたしはぽつんと存在している。

 そしてあたしは自分の立つこの場所が、世界の中心なのか端なのかすら知らない。


 まるでコンパスなしに大海原を漂っているような気分。


 世界の広さについて考える度、あたしはなぜだか不安になる。憂鬱になる。

 この世界を知らないまま人生を終えるのかと思うと、怖くなる。


 だからあたしは知りたい。

 世界を。人々を。


 大陸を旅し、知らないものを見て、知らない人と出会い、話をしたい。

 今のあたしには想像もつかないような、驚くべき体験をしたい。



 あたしはいつか、世界を旅するんだ。



 十六の誕生日、あたしはそう心に決めた。

 そしてその決心は、誰にも言わなかった。


 その日からあたしは、旅の準備を密かに進めた。


 今日交易所へ行ったのもその一環だ。

 旅に必要なものを集めておきたかった。

 出来れば、銃も。


 だけど今日の収穫はゼロ。

 十七歳の誕生日はもう目前だというのに。


 あたしは大きく溜息を漏らした。


 馬が歩を進める度に、袋に入ったアクセサリーが虚しく音を立てた。


 旅の実現はまだまだ遠い未来になりそうだ。

 目に見えない巨大な壁があたしの前に立ちふさがっているような気がして、あたしは落ち込んだ。



 突如、一発の銃声が響いた。



 驚いたあたしは身構え、周囲を警戒した。


 周囲には誰一人いなかったし、人の気配すらなかった。


 あたしの前方に、鬱蒼とした林があった。

 枯れた木々が並び、曇天の下、葉のない枝が風に揺れていた。


 銃声はおそらく、林の中から聞こえてきたようだった。


 馬を止め、息を殺す。

 緊張の時間が続いた。


 だがその後いくら待っていても、一向に何も起きなかった。

 さらなる銃声は聞こえてこなかったし、言い争いの声などもない。


 ……なんだったんだろう。


 銃声が聞こえてからずっと、あたしの心臓はばくばくしていた。

 一応言っておくが、あたしは小心者だ。


 しかしたった一発の銃声に怯えているようでは、荒野の一人旅など出来るわけがない。

 旅をすると決めたのだ。

 あたしは“大人”になる必要があった。


 これまでのあたしだったらきっと、その場から全速力で逃げ出してしまったに違いない。

 だが今のあたしは違う。あたしは自分にそう言い聞かせた。


 あたしはゆっくりと、馬を進めた。


 銃声が聞こえてきた方へ。

 警戒を緩めないようにしながら。


 こんな時リボルバーさえあったら、とあたしは思う。

 銃さえ携えていれば、があった時に自分を守ることが出来るのに。


 鳥があたしの頭上を飛んだ。

 あたしは、鳥の“目”が欲しかった。俯瞰からこの状況を見渡せる、鳥の目が。


 なるべく静かに馬を進め、あたしは林の中へと分け入った。


 途中長い枝があたしの右腕を刺したが、あたしは声を上げなかった。

 鋭い痛みが走ったが、我慢した。


 さっき銃を撃った人間が、どこにいるか分からない。

 見つかったら、撃たれない保証などない。


 しばらく林の中を進んだあたしは、立ち並ぶ木々の先にひらけた空間があるのを見つけた。

 周りをぐるりと木々で囲まれたその空間は、まるで木々によって守られているかのようだった。



 そこに、男がいた。



 男が一人、寝そべっている。

 右手にリボルバーを握って。



 そしてその銃口は、青空に向けられていた。

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