3-18 ミスター・ジョーンズ

「それって……」アイリーンが絶句した。

「君達が目撃したバケモノだ」ドクター・Sは言った。


 あたしのおばあちゃんを殺したバケモノ。

 アイリーンの父をも殺害した男――ミスター・ジョーンズ。


 ドクター・Sはを、“蜘蛛”と呼称した。


「そして、蜘蛛は一匹だけではない」


 ドクター・Sの言葉にあたしとアイリーンは固まる。


「蜘蛛は、君らの知るミスター・ジョーンズのだ」


 あたしは絶望の波に飲まれそうになった。


 あんなのが、他に何匹もいるなんて。

 考えただけで胸がつまった。


「東部はすでに蜘蛛の支配下にある」ナイルが言う。「そしてそのことに気づいている人間は、皆無と言っていい」

「昨日サルーンで言ってた、支配の魔の手がどうこうって話……?」アイリーンが質問した。

「そう、それだ」

「だけど、支配されてるも何も蜘蛛を造り出したのは東部の人間でしょ? 話がよく見えないんだけど」あたしは訊いた。

「話は複雑なんだ」ナイルの代わりにドクター・Sが答える。


 知りたいこと、知らないことがたくさんあった。

 あたしは混乱していた。


「話を戻そう。“蜘蛛”は我々が造り出した新たな生物だ。一言でいえばヒトとクモのハイブリッド」ドクター・Sは言った。「ブラックシードを、当然君らは知っているだろう?」


 ブラックシード。

 西部では珍しくもないクモの一種だ。

 地面を突き刺すかのように生えているはやたらと長く、胴体が地上から浮いているのが特徴のクモだ。

 脚の長さに反して小ぶりで、黒い色をしたその体はまさに黒い種子ブラックシードの名に相応しい。


 そのクモは凶暴なことでも知られている。

 ためしにブラックシードの傍らへ異種のクモを一匹並べてみれば、哀れなクモが一瞬でバラバラにされ喰いつくされる様を観察することが出来るだろう。


「軍部はブラックシードの凶暴性に目を付けた。もし仮に巨大なブラックシードが存在するとすれば、その堅牢な体は銃弾をも跳ね返し、八本の脚を持つ好戦的なは武器を持たずとも一度に何人もの敵兵を相手にすることが可能だろうと考えた。常軌を逸した考えだ。だが最強の兵器を造り出すことをただ一つの目的としていた軍部は、その考えに憑りつかれた。ブラックシードとヒトを掛け合わせた兵士バケモノを生み出す、それがシード計画の最優先事項となった」

「そもそも、新兵器の開発を目的とした軍部の計画には当初名前なんて付けられてなかったんだけどな。ブラックシードのバケモノを造るなんていうアイディアが浮上して以降、いつの間にかシード計画と呼ばれるようになったんだ」ナイルが補足した。

「その通りだ」ドクター・Sは長く息を吐いた。「私自身、計画の初期段階から関わっていたわけではない。若い私は計画の全貌を知らされぬまま、当時所属していた研究所から軍部に引っ張られた」

「なるほど」あたしは呟いた。「だから、ミスター・ジョーンズはブラックシードみたいな姿に……」

「そうだ。ヒトの姿から自発的にブラックシードの姿へと変身トランスフォーム出来るように設計した。その逆も可能だ。クモの姿であれば人間の三倍近い大きさとなるが、ヒトの姿であれば戦地への輸送も容易だ。普段は一兵士として扱うことが出来る」

「巨大なクモの姿で大勢の人間を殺し、その後何事もなかったかのようにヒトに戻るのさ」ナイルが言った。

「知能もいる。頭脳は人並み以上だ」

「人並み以上なんてもんじゃない。人間なんて軽く超えてるよ」とナイル。「“蜘蛛”は、人間の進化した姿なんだよ。それを進化と呼んでいいのか甚だ疑問ではあるけどな」


 アイリーンは青ざめていた。


「そんな計画、間違ってる……」と彼女は言った。


 あたしも完全に同意だった。

 大量に人を殺す兵器を造るために自然のあるべき姿に手を加えるなど、人間が犯す罪の中でも最も重い罪だ。


 あたしはシード計画の全容に戦慄した。


 だがここで一つ、疑問が浮かんだ。


「それほどの力を持ったバケモノ、その知能さえも人間を超越しているのなら、そもそも軍部の人間に制御など出来るの?」

「いい質問だ」ドクター・Sは続ける。「当初、我々研究員は蜘蛛を自分達の思い通りにすることが出来た。兵士として生み出した存在だ、それが出来なければ意味はない。蜘蛛は我々の指示に従い、我々の監視のもとケージの中で実験動物を殺した。我々の許可が出るまで蜘蛛は目の前の動物には手を出さず、トランスフォームも我々の指示通りに行われた。実験は繰り返された。試作である一匹目の蜘蛛の従順さに、我々は計画の成功を確信した。そして二匹、三匹と増やしていった。成長が早いように、だが寿命は長く“デザイン”した。男の蜘蛛も、女も造った。蜘蛛は檻の中で生まれ、管理された。……だが実際、我々にはなど出来てはいなかったのだ」

「どういうこと?」

「蜘蛛が一匹、脱走した。研究所の職員を殺して」ドクター・Sはゆっくりと目を閉じ、開いた。「それまで反抗の意志など微塵も感じさせなかった蜘蛛だったが、それも奴らの計略だった。奴らは虎視眈々と狙っていたのだ、反乱の機会を。我々が気づいた時にはもう遅すぎた。ゲームの主導権はとっくに向こうに握られていたのだ。蜘蛛が自分達の支配下になどないと知った我々は計画を即座に凍結させたが、手遅れだった」

「手遅れ……?」アイリーンが訊く。

「ああ。人間は愚かだよ、全く」とナイル。

「結果的に、シード計画によって生み出されたすべての蜘蛛が世に放たれた。シード計画に携わっていた者のほとんどは、蜘蛛によって殺された」

「生き残りは俺と彼くらいのもんさ」ナイルはドクター・Sを見た。

「研究所から脱走した蜘蛛はすぐに人間社会に適応した。並外れた知能を有する“奴ら”は素性を隠し巧妙に社会に溶け込み、やがて大企業の役員、警察幹部や政府中枢にも潜り込んだ。そして奴らは、彼ら自身の陰のネットワークで繋がっていた。それはまさに、蜘蛛の巣とでも称すべきネットワークだ。小さな蜘蛛の巣はあっという間に大きくなり、国家権力にまで影響を及ぼすほどの力を持つようになるまでもそう時間は掛からなかった。“蜘蛛の糸”は蜘蛛同士を繋ぎ、蜘蛛と人間を繋ぎ、その下にある人間と人間を繋いだ。蜘蛛の誕生から半世紀ほど経った今では、東部は完全に蜘蛛の巣で覆われている。すべては、彼らの支配コントロール下にあるのだ。そしてそのことを知る人間など、ほとんどいない。東部の一般市民は、蜘蛛の存在すら知らない」


 あたしはソファに沈み込んだ。


「俺らが逃げ回ってる理由が分かったろ?」ナイルが言った。


 アイリーンは力なく頷いた。


「蜘蛛の正体を知っているのはもはや俺達くらいだ。だから奴らは、必死になって俺らを捜してる」

「私達はまるで重罪人扱いだ。今や奴らが“社会”だ。私達は社会の敵なのだ」

「それなら思い切って、真実を白日の下に晒せばいいんじゃない? 蜘蛛の存在を市民に教えるの」あたしは言った。

「俺たちゃ犯罪者だぞ? 誰も俺達の話をまともに聞いてくれやしないさ。それにそんなことをすればすぐに逮捕され、俺達の“声”なんていとも簡単に潰されるだろうしな」ナイルは嘆いた。「第一、蜘蛛の存在どころかシード計画自体、東部の一般の人々には知らされてないんだ。蜘蛛だなんだと言ってみたところで、俺達の言葉なんて理解されんさ」

「そういうわけだ。だから私達はここ西部にいる。西部には奴らの支配が及んでいない地域もまだあるからな」


 横のアイリーンが身体を小さく震わせたのが分かった。


「だが不幸なことに君達は、この西部で蜘蛛に出会ってしまった」ドクター・Sはあたし達を見下ろした。「ミスター・ジョーンズに」


 あたしはアイリーンの手を握った。

 彼女は、力強く握り返した。


「これまでの話を聞いて、まだ君達には復讐を遂げる気があるかね? 相手が、君達の想像をはるかに超えた恐ろしい存在であることは分かっただろう?」


 あたしとアイリーンは顔を見合わせた。


 そしてあたしは口を開く。


「話は分かった」


 あたしはドクター・Sを見る。


「でも、あたし達はすでにミスター・ジョーンズの恐ろしさを十分知ってる」

「彼が父を殺すのを、私はこの目で見た」アイリーンが言った。

「この世界には、もう希望なんて残されていないのかもしれない。この世界の真実を知れば知るほど、あたしは絶望を知る」あたしはうつむいた。「でもね、おばあちゃんが殺された時、もうすでにあたしのは崩壊してしまったの」

「だから、もう怖いものなんてない」

「たとえその先に死が待っていようと、あたし達はミスター・ジョーンズを追いかける。……地獄の果てまでも」


 あたしはアイリーンを握る手にさらに力を込めた。


「あたし達の決意は揺るがない。あたし達は絶対に、ミスター・ジョーンズを殺す」


 手が痛かった。

 アイリーンの握り返す力がとても強かったから。


 でも、それはどこか心地よかった。


 その痛みは、あたしに“生きている”という実感を与えてくれた。

 痛みを共有することで、あたしとアイリーンは“一つ”であるのだと感じることが出来た。


 ドクター・Sは言った。


「君達の覚悟は分かった」


 ナイルが言った。


「立派なもんだよ」


 ドクター・Sは溜息をついた。

 あたしは彼の言葉を待った。


 そして彼は言った。


「君達に協力しよう」


 ドクター・Sはあたし達を見て、繰り返した。



「君達の復讐に、協力しよう」

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