3-17 “蜘蛛”

 ぷぷ、とアイリーンは笑った。


「笑えばいいじゃない、笑えば」あたしは投げやりに言った。

「まあ、恥ずかしがることはない。東部でも、初めて活動写真を見た奴は大抵お前さんみたいなリアクションをしたものさ」とナイルはあたしを励ましてくれた。


 ドクター・Sはテレビを消した。


「気は済んだかね? この辺で遊びは終わりだ」ドクター・Sが言った。

「テレビ、面白かったね」アイリーンがあたしに呟いた。

「うん、びっくりした」

「東部のすごさがわかったろ?」ナイルが言う。「これが東部のテクノロジーだ」

「テレビって、東部ではみんなが持ってるの?」とアイリーンがナイルに訊いた。

「そうだぞ。東部では、一家に一台はある。東部の人間はこの機械で、世間の情報を共有してるんだ。新聞が主な情報源の西部とは、歴然の差だな」

「開戦時も、すでに東部と西部では科学技術に大きな差があった。経済力もそうだ。最初から西軍に勝ち目はなかった。あの戦争は格差をさらに広げてしまった」ドクター・Sは独り言のように言った。

「あの戦争って……レッドリバー戦争のこと?」とあたし。

「そうだ」


 大陸を縦に流れ、インディカ合衆国を東西に分かつ川――レッドリバー。

 およそ五十年前、レッドリバーを境に合衆国を二分する内戦シビルウォーが勃発した。

 それがレッドリバー戦争だ。


 戦争は五年続き、最終的には東軍が勝利を収めた。


 この国では誰もが知っている歴史だ。子供ですら、知らない者はいないだろう。


「戦争の時、あなたはどこにいたの?」あたしは尋ねた。

「東部にいた。私は若い研究者だった。バイオテクノロジー、特に遺伝子工学が専門だった」

「戦地には行かなかったの?」

「行かなかった。その代わり、軍部の立ち上げたある計画に研究員として従事していた」ドクター・Sは遠くを見つめるようにして呟いた。「その頃だ、君の祖母と出会ったのは」

「おばあちゃん、東部にいたの?」あたしは驚いた。


 おばあちゃんが東部に行っていたなんて話、一度だって聞いたことはなかった。

 おばあちゃんは集落から出たことがなかったとばかり思っていた。


「戦時中、彼女は東部を訪れた。そして私と出会った。素晴らしい頭脳と、成熟した精神の持ち主だったよ」

「俺も会ったことがある」ナイルが言った。「世話になった」

「そうだったんだ……」


 あたしは深呼吸した。


「言ったかもしれないけど、おばあちゃんは亡くなったの」

「残念だ。とても残念だ」ドクター・Sはあたしの目を見た。「それで君がここへ来た、というわけだ」

 あたしは静かに頷く。「おばあちゃんの最期の言葉が、あなたの名前だったから。なぜおばあちゃんがあなたの名前を口にしたのかは分からないけど」

「それには理由がある」とだけ言うと、ドクター・Sはアイリーンに向き直った。「そういえば、君とジェーンとの関係性をまだ聞いていなかったな」

「私はアイリーン。アイリーン・ギネス。父が保安官を務めている町にジェーンがやって来て、私達は知り合ったの」

「ちなみにあたしは、ジェーン・カスク」ナイルヘ向け、改めてあたしも自己紹介をする。

「カスク?」ドクター・Sはあたしの名字ファミリーネームを聞いて不思議がった。


 あたし達部族は、ファミリーネームを持っていなかった。

 もちろん、おばあちゃんも。


 カスクという名は以前、通りすがりの旅人にもらったものだった。


 あたしがファミリーネームに憧れを持っていると聞いて、彼は少し考えたあげく冗談交じりにあたしを“ジェーン・カスク”と呼んだ。

 それを気に入ったあたしは、以来自らをジェーン・カスクと名乗った。


「“カスク”は人にもらったの」

「ああ、そういうことか」少し間を空けて、ドクター・Sはあたし達に訊いた。「なぜ君らは行動を共にしているんだ?」

「それは……」言葉に詰まるアイリーン。

「復讐よ」あたしは言った。「おばあちゃん、そしてアイリーンの父を殺した“バケモノ”に復讐するため」

「バケモノ……」

「そう。バケモノはある日突然あたしの集落にやって来て、人々を皆殺しにした。おばあちゃんは、その時に亡くなったの」

「そうか」

「奴はの姿で集落を訪れた。ヒトだったのは、最初だけだった……」

「なるほど」ドクター・Sは伏し目がちに、「君らはそのバケモノに関して、どこまで知っている?」

変身トランスフォームすること。薔薇の雫を追っていること」

「ミスター・ジョーンズという名前だということ」アイリーンが付け加えた。


 ドクター・Sは静かに頷いた。


「あたし達は復讐を遂げるため、ドクター・S、あなたを捜した。なぜなら、あたし達だけではどうにもならなかったから。あのバケモノについて何か知っている人がいるとすれば、それはきっとあなただと思ったから。それに……、“薔薇の雫”をどうしたらいいのか分からなかったから」

「薔薇の雫を持ってるのか?」ナイルが尋ねる。

「うん」あたしはシャツの中から石を引っ張り出して見せた。

「おお、久しぶりに見たな」ナイルが呟く。

「それが最後の欠片だ」ドクター・Sが言った。「シード計画を完成させるためには、この欠片がなくてはならない」

「シード計画?」あたしは訊いた。

「シード計画――私が戦時中に携わっていた計画だ」ドクター・Sは眉間に皺を寄せた。「恐ろしい計画だった。私達は禁断の扉を開けようとした。そして実際、それは開いてしまった。ことの重大さに気づき慌てて扉を閉めようとした時には、すでに手遅れだった」

「俺もその計画の副産物さ」とナイル。

「シード計画って、一体なんなの?」アイリーンが質問した。

「開戦時、潤沢な資金と科学力に恵まれた東部側の勝利はすでに目に見えていた。結果が見えていなかったのは西軍の人間達だけだ。当時西部にあったのは、時代遅れのパーカッション銃と野生の牛くらいのものだった。西部に住む先住民の多くは当初から戦争に反対していたが、西側の軍部は彼らの意見に耳を貸そうとはしなかった。東側の軍部は、これを機に西部を完膚なきまでに叩き潰そうと考えていた。西部にはまだまだ未開拓の地があり、そこには金脈も多く眠っている。戦争に勝てばそれらすべてが東側のものとなるのだ。みすみすそのチャンスを逃す手はない」


 ドクター・Sはそこで一旦言葉を区切った。

 ソファに座るあたしとアイリーンは黙って彼に注目していた。


「東側の軍部は勝利をより確実なものとするため、新しい兵器の開発に乗り出した。それがシード計画だ。最強の兵器を造ることが唯一の目的だった。そして我々はついに生み出してしまった。……バケモノを。それは兵器であり、だった」


 あたしは息を呑んだ。


「我々はそれを“蜘蛛”と呼んだ」

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