3-15 ベーコンと卵とカセットテープ

 カリカリに焼けたベーコン。


 ベーコンから溶け出した旨味がたっぷりと染み込んだ目玉焼き。


 食欲をそそるチリコンカーンのスパイシーな香り。


 芳ばしい熱々のホットコーヒー。



 食卓にはパラダイスが広がっていた。

 テーブルにところせましと並ぶ料理の一つ一つが、きらきらと輝いて見える。



 あたしとアイリーンは一目散にテーブルにつくと、無心にがっついた。


 少し焦げ気味のベーコンの脂が、口の中で甘くとろける。

 卵の黄身はベーコンのコクを引き立て、極上のハーモニーを生む。


「こんな美味しいベーコン、初めて……。かりっかりなのに、とろとろだよ」アイリーンの目もとろけている。


 あたしはスプーンでチリコンカーンの豆を掬い、口に運んだ。

 スパイスの効いた独特な香りが鼻の奥をくすぐり、ぴりっとした刺激が食欲を倍増させる。


「うーん……」目を閉じてあたしは唸る。


 アイリーンはパンをチリコンカーンに突っ込んだ。そして豪快に齧る。


「ずいぶんと美味そうに食うなあ」呆れ気味にナイルは言った。



 ドクター・Sは朝食づくりの天才だった。



 お皿とフォークが立てるかちゃかちゃとした音だけが部屋に響く。

 あたし達は無言で食べ続けた。


 ドクター・Sはエプロン姿のままロッキングチェアに座り、コーヒーを啜っていた。

 ナイルは小皿の上の豆をぼりぼりと食べていた。


 メガネザルって、豆なんか食べるのかな?

 あたしは不思議に思ってついナイルを見つめた。


「なんだよ?」ナイルは不機嫌そうにあたしを見つめ返した。

「豆、食べるんだ……って思って」

「食べちゃ悪いかよ」


 あたしは焦って首を横に振る。


「好きなんだよ、俺は」と言ってナイルはまた、乾燥した豆を食べはじめる。


「昨日はよく眠れたか? あんなベッドで申し訳なかったが」ドクター・Sが口を開いた。

「うん、もうぐっすり。バタンキュー」アイリーンはパンを咥えたまま答える。

「あたしもよく眠れたわ。ありがとう」

「ならよかった」ドクター・Sはコーヒーを一口飲んでから、「君達は見た目に反して、ワイルドな生活にも耐えられる人間のようだな」

「まあね」アイリーンは得意そうに口角を上げた。

「これまでだってあたし達、結構な冒険を重ねてきたのよ」

「“西部”に鍛えられた、ってわけか」

「そんなところね」あたしは言った。



 朝食を満喫したあたしは、コーヒータイムへと突入した。


 昨日サルーンで出されたコーヒーとはまるで違い、ドクター・Sの淹れたコーヒーは素晴らしかった。

 酸味のほとんどない、シンプルに苦いだけのコーヒーだ。あたしの好みにはぴったりだった。

 ずっしりと重みのあるコーヒーがあたしの頭を弛緩させた。


 アイリーンの口には、ブラックで飲むにはきつ過ぎたようだ。


「ミルクとか、ないよね?」

「ある」ドクター・Sが答えた。「シンクの脇の、そこのポットに入っている」

「ありがとう」アイリーンは立ち上がり、テーブルを離れた。


 アイリーンがポットを右手に戻って来た。

 彼女のもう片方の手には、のようなものが握られていた。


「なんだろ、これ……」アイリーンは不思議そうにその黒い箱を見つめた。

「見せて」アイリーンから謎の箱を受け取る。


 箱は思ったよりも軽く、触った感触からはちゃちな印象を受けた。爪で叩いてみると、かちかちと安っぽい音を立てた。

 ガラスのような、小さくて透明なものが窓に嵌められており、そこから内部の構造が透けて見えた。

 内部には歯車のようなものが二つある。動いてはいなかった。


 箱の一端からは長い紐が垂れていて、それはあるところから二股に分かれていた。二股に分かれた先端部分にはそれぞれ、豆粒大の物体がついていた。

 箱の側面部分には、いくつかの小さな出っ張りがほとんど隙間もなく連立していた。


 あたしは出っ張りの一つを押してみる。箱はかちっ、と音を立てた。

 同時に内部の歯車が動き出した。


 アイリーンはコーヒーの存在など忘れ、回る歯車を熱心に見入った。


「それは音楽を再生するための機械だよ」ドクター・Sがさらりと言った。

「音楽?」あたしが訊いた。

「再生?」とアイリーン。

「ああ。機械につながっているコード、……紐の先端に黒い小さなボタンのようなものが二つあるだろう? それを耳に入れてごらん」


 あたしは左耳に、アイリーンは右の耳に、それぞれ小さな物体を一つずつ入れてみた。


 音がする。

 耳に入れた物体から、音が聞こえた。

 人の声が聞こえる。ギター、それにドラムの音も。


 耳の中で、バンドが演奏していた。


 あたしは驚きのあまり、箱を落としそうになった。


「なんか聞こえるんだけど……」アイリーンも驚いている。

「音を再生する機械なんだから当然だろ」ナイルが偉そうに言った。

「魔法……とかなの?」納得がいかない様子のアイリーン。


 気味が悪くなって、あたしは耳から小さな物体を取り出した。


「魔法なんかではない。科学技術の賜物だよ」とドクター・S。「それは音楽を持ち運ぶためのもので、東部でも最先端の機械なんだ。東部ではポータブルカセットプレーヤーと呼ばれている」

「科学……? ポっ、ポータブル……?」アイリーンは呆気に取られている。

「そうだ」ドクター・Sは一呼吸置いてから、「ここ西部と東部ではテクノロジーに百年程の隔たりがあるからな。まあ、君らが驚くのも無理はないだろう」

「西部にはレコードプレーヤーだってありゃしない」ナイルが愚痴っぽく嘆いた。「自動車だって、西部で普及するには後何十年もかかるだろうよ」


 インディカ大陸は広大だ。

 あたしは東部の人間と会ったこともなければ、東部の様子を耳にした経験もほとんどない。

 西部のことすらろくに分かっていない世間知らずのあたしにとって、東部は想像もつかない遠い世界だった。


「もしかしてあなた達、東部を知っているの?」あたしは訊いた。

「知ってるも何も、俺らは東部の出身さ」ナイルが答える。

「東部から来たの?」目を輝かせるアイリーン。


 ドクター・Sとナイルは同時に首を縦に振った。


「私、東部の人と会うの初めてかも。ジェーンは?」

「あたしも」

「東部かぁ……」アイリーンが夢見るように呟く。「ねぇ、東部ではサルが喋るのも普通のことだったりするの?」

 ナイルは微笑を浮かべた。「たしかに東部は、ここ西部と比べて科学技術も進んでるし、経済状況や物価だって全く違う。でも……」

「メガネザルが喋るのを見たら、東部の人間だって腰を抜かすだろうな」とドクター・S。

「さすがにそれはそうか……」アイリーンは頷いた。

「あ、でも昨日のサルーンのお客さん達はナイルが喋っているのを見ても特に驚いてなかったわよね?」あたしはふと疑問に思ったことを口にした。

「ああ、それは俺があそこの常連だからだろうな。それに、あそこの連中はこの国で一番イカれた連中だ。あいつらは幽霊ゴーストを見かけたって特に驚きゃしないだろうな」


 ふーん、とあたしはなんとなく納得する。


 ナイルの話はいいとして、他にもあたしには知りたいことがたくさんあった。


 なぜおばあちゃんは死の直前にドクター・Sの名前を口にしたのか。

 おばあちゃんとドクター・Sは、どんな関係なのか。

 おばあちゃんを殺したバケモノについて、彼は何か知っているのだろうか。



 ドクター・Sとは、一体何者なのか。



 目の前にいる老人について、いまだあたしはほとんど何の知識も持ち合わせていないのだ。


 残っていたコーヒーを飲み干し、あたしは言った。


「ドクター・S。あなたについて詳しく知りたいの」

「随分と単刀直入だな」老人は溜息をついた。「まあいい。食事も終わったようだし、ではでゆっくりと話そうか」


 ドクター・Sはエプロンを外しながら、立ち上がった。


 ええ、とあたしは言った。


 一足先にナイルは、薄暗い奥の部屋へと向かった。

 老人とあたしは、メガネザルの後をついて歩いた。


「ちょ、私まだコーヒー飲んでないんだけど」アイリーンが愚痴をこぼした。


 アイリーンは慌ててカップにミルクを注ぐと、立ったまま急いでコーヒーを飲み干した。

 彼女は空になったカップをテーブルに勢いよく叩きつけ、その直後に「うえー苦っ」と呻いた。


「後でゆっくり飲めばよかったのに」

「……たしかに」


 あたしは笑った。


 苦悶の表情を浮かべた寝ぐせ全開のアイリーンがなんだか可愛らしくて、つい笑ってしまったのだ。

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