3-12 ドクター・S

 ――ドクター・S。



 あの日から、ずっと捜し続けてきた人。

 おばあちゃんの最期の言葉。


 あたしを救ってくれた老人が、ドクター・Sその人なのか。

 あたしの目の前にいる、この老人が。


 あまりにもたくさんの出来事が続けざまに起きるせいで、あたしの頭はひどく混乱している。


 ナイルに名前を呼ばれた老人は依然として飄々とした表情を浮かべていた。


「何やってるんだよ。あんな真似して、目立っちゃうだろ?」ナイルが老人に小さな声で抗議した。

「ウォッチタワーの連中だってさすがにこんな場所にはいないだろう」老人は周りをぐるりと見た。

「だからって……」

「“彼ら”のことを気にするくらいなら、さっきみたいに気安く私の名前を口にするんじゃない」

「ああ……。悪かったよ」


 ナイルと老人はどうやら親しい間柄のようだ。


「あの……助けてくれてありがとうございます」勇気を振り絞り、あたしは老人に話しかけた。

 老人はあたしを見て、「別にいい」とだけ言う。

「あのう……それで、えっと……あなたは、ドクター・Sなの?」単刀直入に訊いた。


 老人は目を細めた後、咎めるようにナイルを睨んだ。

 ナイルは誤魔化すように口を尖らす。その姿がちょっと可愛い。


 老人は言った。「まあ、そうだが」



 老人は、ドクター・Sだった。



 ついに本人を見つけたのだ。

 ついに。


 おばあちゃんが死んだあの日から、色んなことがあった。

 アイリーンと出会った。

 二人で旅をした。

 それは復讐の旅であり、同時にドクター・Sを捜す旅でもあった。


 そしてついに、あたし達は見つけた。



 ついに……

 ついにあたし達はドクター・Sを見つけたんだ!



 達成感と喜びで爆発寸前だった。


 慌ててはダメだ。

 あたしは平静を装うことに全神経を集中させた。


 やはり、ナイルは嘘をついていた。

 ナイルとドクター・Sはどうやら身分を隠す必要があるみたいだし、色々と事情があるんだろうけど。


「あたし、あなたのことを捜してはるばるこの町までやって来たの」

「なんだって? どこで私の名前など聞いたんだ?」とドクター・S。

「……あたしの、おばあちゃんから」


 バーカウンターからやって来たアイリーンが、あたしに訊く。「もしかして、この人が?」


 あたしはゆっくりと、大きく頷いた。

 アイリーンは驚きの表情を浮かべる。


「私を捜してどうするつもりだ」

「どうするというか……」何から説明すればいいのだろう。「あたしは先住民のハウル族出身の人間で……」

「ハウル族?」老人の顔色に多少の変化があった気がしたが、もしかしたらあたしの勘違いかもしれない。

「そう。そして、ハウル族であるあたしのおばあちゃんが亡くなる時、最期に言い遺したのがあなたの名前だったの」

「君の祖母の名を尋ねてもいいか?」

「パティスカ」


 今度は、明らかに老人は狼狽えた。

 ドクター・Sは目を見開き、たじろいだ。


「――ジェーン」老人が小さく呟いた。


 あたしは驚愕した。


「あたしのこと知ってるの?」


 しまった、といった様子でドクター・Sは眉をひそめた。


「おばあちゃんと、知り合いなの?」


 苦い表情で頷く老人。


「あたしにはあなたしか頼れる人がいなくて……。少しでいいから、あたしの話を聞いてほしいの」

「私は別に構わない。だが今はゆっくりとお喋りしているわけにはいかないようだ」


 彼の言葉が、あたしには理解出来なかった。

 ドクター・Sは、背後に注意を向けるようあたしに促した。


 振り返る。

 そこには、右手に布を――さっきまで指が存在していた部分を覆い隠すように――巻き付ける男と、彼の四人の取り巻きがいた。

 男は、四人組に何か指示を出している様子だった。


 都会的に洗練された男とは対照的に、残りの四人組はいかにも“西部的”な集団だ。

 四人とも同じようなハットを被り、同じようなブーツを履いて、同じように砂ぼこりにまみれていた。

 そしてその全員が、同じように筋骨逞しい大男だった。


 傷を負ったリーダー格の男はいまだ床に座り込み、闘う意思などは残っていないように見受けられた。

 だが彼の四人の手下は、当然ながら何の怪我も負ってはいない。

 屈強な四人の男達が一斉にこちらをじろり、と睨んだ。


 ドクター・Sの言う通りだ。



 今はお喋りの時間なんかじゃない。



「ナイル」ドクター・Sが鋭く呼ぶ。


 メガネザルはテーブルから老人の肩へと飛び移った。


 アイリーンに目をやる。彼女も四人組を見ていた。

 どうやら彼女もこの緊迫した状況が分かっているようだ。



「店を出るぞ!」ドクター・Sの言葉を皮切りに、あたし達はいっせいに動き出した。

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