3-10 睨み合い
静かだった。
フィドルとギターを持った二人組は依然演奏を続けていたし、テーブルを囲む老人達も相変わらず賭け事に興じている。
だが茶色いジャケットの男が入店してくる前と比べると、店内は明らかに静まっていた。
客達の視線はそれぞればらばらの方向を向いてはいるが、彼らの“意識”は一人の男に集中していた。
喋るメガネザルにだって見向きもしないような客達が、バーカウンターに立つその男には注目している。
男はこの店の常連ではないのだろうか。もしくは、誰もが警戒するほどの有名なトラブルメーカーなのか。
客の注目を一身に浴びる男は、アイリーンを見つめていた。
彼女もそのことに気づいているようだ。アイリーンは男と目を合わさないようにしていた。
男はアイリーンに近づいていった。
アイリーンはどうしたらいいか分からず、あらぬ方向を眺めながら突っ立っていた。
あたしも何一つ行動を起こすことが出来ず、ただ事の成り行きを見守った。
男が柔らかい声で喋りかけた。「一杯奢るぞ」
アイリーンは挙動不審にきょろきょろと視線を泳がせ、彼を無視した。
「君だよ。一杯付き合ってくれないか?」アイリーンの目の前に立ち、男はそう語りかける。
「私?」アイリーンは観念して彼に応えた。
「そうだ、君だよ。俺に奢らせてくれ」
「……いや、奢るも何も。あたし未成年だし……。それに、喉だって渇いてないし、それに……」
「そうか。じゃあビールだな?」
「いや、だから」
「ビール。薄めたやつをな」バーテンダーに向かって大声で注文する男。
西部には西部のマナーがある。
サルーンで奢りの申し出を断るなどは、代表的なマナー違反だ。
未成年ではあるが、それくらいのことあたしだって知っていた。アイリーンもそのはずだ。
だが未成年に酒を奢ろうとするなんて、西部のマナー以前に人としてマナーを欠いている。
平然とマナーを破るような人間は、時として平然と倫理の壁を飛び越えるものだ。
男は困惑するアイリーンの腕を掴むと、無理やりカウンターの方へ連れていこうとした。
アイリーンが小さく、きゃっと叫んだ。
「やめなさい!」思わず口から出た。
その一言によってあたしは、革のジャケットの男とアイリーンはもちろん、店中のほとんどの人間の視線を集めることになった。
これほど多くの人から見つめられた経験など、あたしにはなかった。
否が応でも神経が張り詰める。
男はアイリーンから手を離すと、あたしを見た。
さっきは彼から一瞥されただけだったが、今回はそうはいかなかった。
のっぺりとした表情のまま、男はあたしをしばらく見つめた。
「嫌がっていたじゃない」沈黙に耐えきれなくなってあたしは口を開いた。
男は笑った。「嫌がってた? そう見えたか?」彼は同意を求めるように周囲を見渡した。
客のほとんどは無言で、くすりとも笑ってはいなかった。
だが彼の取り巻き達は違った。四人組の彼らはニタニタと奇妙な笑顔を浮かべていた。
「俺の申し出を断った女なんて、これまで一人もいないぞ」男はまた周りを見た。「そもそも女になんか、俺を拒否する権利なんてないだろ?」彼は歯を見せながら笑った。熟成を通り越し、腐敗した“自尊心”の悪臭が彼の口から洩れた。
「とにかく、その子にはもう構わないで」
「なんだって? お前、この女の子と何の関係があるんだよ」
「それは……。友達……、だからよ」
「こんなに綺麗なお嬢さんと、モカシンを履いた先住民風情のお前が、友達だって? 笑わせるなよ」
「先住民だからどうしたってのよ?」あまりにも失礼な発言に、あたしは声を荒らげてしまう。
あたしを馬鹿にするのはまだいい。
だけど、先住民を蔑むような真似は誰にもさせない。
そのような行為はあたしの大好きなおばあちゃん、それに亡くなった友達や仲間までをも侮辱することだ。絶対に許せない。
仲間を殺されたあの夜以来、心の奥に隠していた怒りの感情が一気に爆発した。
「あたしは先住民よ! そしてあたしはそれが誇らしい! あんたみたいな下劣な人間は、とっととどこかへ消え失せろ!」
言ってしまった……。
よりにもよって、荒くれ者ばかりが集まるサルーンで。
それも一番ヤバそうな男に向かって。
どうしようどうしよう。
心臓が高鳴る。
男は不気味に黙っている。
あたしは息を飲んだ。
周りの客達も黙りこくって事の成り行きを見守っている。店中の緊迫感がひしひしと伝わってくる。
あたしの視界の隅で、アイリーンの顔がこわばっていた。
張り詰めた空気。
ここにいる全員が、あたしの発言に対する彼の反応を待っていた。
すべては、男の次の一手次第だ。
男はゆっくりと口を開いた。
「喧嘩を売ってるのか? この俺に」
彼は超然とした表情であたしに話しかける。
あたしは出来るだけ平静を装い、男からは目を逸らさなかった。
だがなんと返していいのか、言葉が一つも出てこない。
状況に圧倒されてしまい、それに怒りや恐怖がごちゃ混ぜになって、あたしはどうしていいのか分からない。
「おい。喧嘩売ってるのか、って訊いてるんだよ」
あたしは男のホルスターに目をやった。
もちろんそこにはリボルバーが収まっている。
この事態に対しあたしが対処を誤れば、あのリボルバーは火を吹くことになるだろう。
あたしに向かって。
それだけはなんとしてでも避けたい。
でも、一体どうすれば?
「お前みたいなガキが俺に喧嘩売ってるのかよ?」さらに強い口調で男が言った。そして付け加えた。「……女のクセに」
その言葉が、あたしの怒りのトリガーを引いてしまった。
あたしは答えた。
「そうよ!」
怒りに任せて、自分でも信じられないような言葉が口から出た。
怒りで理性を失くしたあたしと、自分の置かれた状況を冷静に分析しようとするあたしが二人いた。
冷静なほうのあたしは悟った。
おしまいだ。
男は余裕の表情を浮かべている。
「抜けよ」
あたしの右手が震えた。
自分の腰のリボルバーと右手が、磁力で反発し合っているかのような感覚だった。
西部には西部の掟がある。
ここインディカ合衆国西部でのガンマンの対決にも、当然ルールはあった。
ガンマン同士が向かい合って撃ち合う際、相手よりも遅くホルスターの銃を抜いた者の発砲は、この国では正当防衛として認められる。
先に銃を抜いた者を、その者より後から銃を抜いた者が撃ち殺した場合、後者の人間は法的に責められることがないということだ。
つまり対決する相手よりも遅くホルスターから銃を抜き、相手よりも早く発砲すればよい。
これが西部の決闘だ。
これは、西部において“早撃ち”の技が重要視される理由でもある。
抜いて、撃つ。
その間の動作が早ければ早いほどいい。
早撃ちはガンマンの身を守る。
決闘の場では、睨み合った相手から。そして裁判所では判事からも。
男はあたしに銃を抜くよう、そそのかしている。
あたしの右手が痺れていた。
二人の命は、次にあたしがどう出るかにかかっている。
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