3-8 荒くれ者どもの巣窟

 あたし達ほど申し訳なさそうにサルーンへ入店した人間など、長い西部の歴史においておそらく、これまでたったの一人もいないに違いない。



 普段なら勢いよく開け閉めされるスイングドアを、あたし達は音も立てずにそっと開けた。

 そろりそろりと、忍び足で店の中へと入っていく。


 サルーンに入ったことなど一度もなかった。今夜が初めてだった。

 なんたって、あたし達は未成年なのだ。


 入店早々、活気に溢れた雰囲気にあたしは圧倒されてしまった。


 無人の町を彷徨っていたつもりが、いきなりこの大人数だ。

 それも、見るからに気性の荒そうな大男達ばかりときている。狼狽えてしまって当然だ。


 客の話し声、楽器の音、グラスがぶつかる音、テーブルを叩く音、そのどれもがサルーンの空気をさらに熱くさせていた。



 ダイムノベルに出てきそうな、いかにも“西部らしい”光景があたしの目の前に広がっている。



 テーブルを囲んで賭け事に興ずる老人達、カウンターで秘密めいた会話を交わすガンマン、グラス片手に下品な笑い声を上げる男、フィドルとギターの二人組は演奏に熱中し、バーテンダーはカウンターの上でグラスを滑らせる。


 これぞ西部の夜。

 アルコールの匂いが自由と暴力を煽る、西部の夜だ。


 特に目を引いたのは、バーテンダーの背後に並ぶ無数の酒瓶だった。

 多種多様な形をした瓶はどれもお洒落で、素敵だった。

 大人の世界へ足を踏み入れてしまったのだという後ろめたい喜びと恐怖を、同時に感じる。


 無口なバーテンダーは、店の隅々にまで目を光らせているようだった。

 店内で騒ぎが起きた時のため、バーテンダーというものは常にカウンターの下にショットガンを隠していると聞いたことがある。この店にもあるのだろうか。


 振り返ると、アイリーンはまだスイングドアを入ってすぐのところでもじもじしていた。

 店に入ってきた客が不審げに彼女を一瞥した。


 「ねぇ、ちょっと」あたしは小さく手招きをしてアイリーンを呼ぶ。

 近くにいてくれないと不安だった。


「サルーンって、こんな感じなんだね。店の外から覗いたことくらいしかないからさ」こちらへやって来たアイリーンは、あたしに耳打ちした。

「あたしも初めてよ。どうしたらいいのか分からない」

「とりあえず何か注文したほうがいいんじゃない?」

「注文って……。お酒なんて飲めないし……」

「とにかく、何か注文したほうがいいって。ほら」アイリーンはバーカウンターのほうに目をやるよう促した。


 白髪のバーテンダーがあたし達をじっと見ていた。

 空のグラスを拭きながら。


「たしかに。何か注文しないことには追い出されかねないわね」


 客達の間を縫って、あたし達はカウンターへと向かった。

 その途中長い髭を生やした男とぶつかってしまったが、あたしは小声で謝りつつ逃げるようにして彼から遠ざかった。彼の目を見る勇気はなかった。


「何か用かね?」バーテンダーがあたし達に訊いた。

「あー……えーと、そうね……」極力落ち着いて受け答えしようと思っていたあたしだが、実際にバーテンダーを目の前にして尻込みしてしまう。

「コーヒーを二つ」あたしの代わりにアイリーンが注文した。

「コーヒー?」バーテンダーは眉をひそめる。「コーヒーだって?」


 アイリーンは眉を寄せ真面目な顔をして何度も頷いた。


 重々しい沈黙の後、バーテンダーは渋々といった様子でカウンターの隅の方へと向かっていった。


 ふぅ、とアイリーンが吐息を漏らす。


 バーテンダーが戻ってきた時には、彼の両手には二つの白いカップが握られていた。白さゆえ、汚れが目立っている。


「いくらですか?」あたしは訊いた。


 バーテンダーの返答を聞いたあたしはベストのポケットから小銭を取り出し、二人分を払った。


 コーヒーはぬるかったし、それに薄かった。

 あたしは一口飲んでカップをカウンターに置いた。それ以上飲む気にはなれなかった。


「ミルクはある?」アイリーンがバーテンダーに訊いた。バーテンダーは不愛想にただ首を横に振った。


 アイリーンはやむなくブラックで飲んだ。顔をしかめ、すぐにカップから口を離す。

 彼女はカップを忌むように睨んだ。

 そしてカウンターにカップを置こうとしたが、突如その動きを止めた。


「わ、クモ」カップを宙に留めたまま、アイリーンは呟いた。


 カウンターの上、ちょうどアイリーンのカップの真下あたりにクモがいた。

“ブラックシード”だ。このあたりでは珍しくもないクモの一種だった。


 ブラックシードは他のクモよりもが非常に長く、そのせいで胴体にあたる部分が地上から浮いているのが特徴的だ。だから一目見ただけで判別出来る。


 八本の脚は、まるで地面を突き刺しているようだ。

 脚の長さに反し、小ぶりで黒い色をした体はまさに黒い種子ブラックシードの名に相応しい。


 アイリーンはクモをしばらく眺めた後、カップで叩き潰した。

 カップにはコーヒーがまだ多く残っていたので、中身が零れた。


「気持ち悪っ」彼女は言った。


 あたしもクモは元々苦手だったが、今ではその姿を目にしただけでぎょっとしてしまう。

 いや、ぎょっとするなんてものじゃない。強い憎しみすら感じる。

 きっとアイリーンもあたしと同じなんだろう。


「ドクター・Sについて、誰かに尋ねてみなきゃ」あたしは立ち上がった。

「そうだね。でもなるべく、話しかけやすい人の方がよさそう……」

「そうね」客達を見た。「そんな人あんまりいないけど」



 初めに話しかけたのは、大きな腹を突き出してビールを飲む男だった。

 強面ではあるが、客の中では一番温厚そうに見えた。


「あの……、ちょっとお時間いいですか?」あたしは、自分が安っぽい物売りにでもなったような気がした。

「ん?」


 男は顔を上げ、あたしを見た。

 目が合ってから気づく。温厚そうだと思ったのは、どうもあたしの勘違いだったらしい。


「ド、ドクター・Sって人、知らない……ですよね?」

「は?」

「あの、ドクター・Sっていう名前の……」


 失せろ、という彼の言葉で会話はあっけなく終了した。


 あたしは彼の言葉に従いすぐさま退散し、アイリーンのもとへと駆け寄った。


「こりゃだめだわ……ムリムリムリ」あたしはもう弱気になりはじめていた。

「頼りないなぁ」

「じゃあ次はあなたが行ってよ」

「分かった」


 アイリーンはカウンター席で話し込む若い二人組に近づいていった。


 二人とも身なりは小ぎれいにしていて、印象的にはさほど悪くない。

 彼らは二人して似たようなつばの広いハットを被っていた。

 アイリーンはその内の一人の肩に触れた。

 アイリーンなりの配慮なのか、さらっ、と掠るような優しい手つきだった。


 男はびっくりしたらしく、肩を震わせた。

 いきなりあんな触り方をされたら、あたしだって驚いてしまうだろう。


「あ、あのー……」


 二人の男から睨みつけられ、アイリーンは固まってしまう。


「え、えっと、ドクター……」


 男達は顔を見合わせた。

 そしてアイリーンに肩を触られた方の男が、彼女に向かって言った。


「なんだよ。一緒に飲みたいのか? ならこっち来いよ」

「いやいや、いや、そういうんじゃなくて」アイリーンは必死に否定した。

「ならなんだよ」

「あの、人を捜してて……」

「賞金首捜してんなら、ここの客のほとんどがそうだぜ」もう一人の男はそう言うと下品に笑う。

「いやあの賞金首とかじゃなく、ドクター・Sって人を……」

「ドクターだって? こんなところに医者ドクターなんているわけないだろ」男達は笑った。

「はあ、そうですか……」


 アイリーンは硬直したまま軽く頭を下げ、失礼しました、という言葉をその場に残してそそくさとあたしのもとへ戻ってきた。


「いやムリムリムリ」

「でしょー?」


 あたし達は他に声を掛けられそうな人を探した。

 そうして店内を眺めている内に、自分達が多くの客から注目を浴びていることに気づいた。


 あたし達はこの店で明らかに浮いているようだ。

 女はあたし達の他に一人もいないし、もちろん未成年だっていない。

 ガンマンごっこのような恰好の少女と、上品なドレスを身に纏った少女の二人組。目立つに決まっている。


 あたしはこれまで以上に居心地が悪くなった。

 自分達がとんでもなく場違いなところにいるということを今さらながら痛感した。


 戦意がすっかり失せてしまったあたしは後ろにあったテーブルに片手を置いて、体重を預けるように斜めに立った。

 色々ともう本当に疲れてしまって、まともに立つことすら出来ない。


 背後から声がした。

 あたしに呼び掛けているようだ。


「おい嬢ちゃん、俺の尻尾踏んでるぞ!」


 中年男性の声でそう聞こえた。

 その声は野太く、口調は乱暴だった。


「あらごめんなさい」あたしは即座にそう答え、咄嗟にテーブルから手を離した。


 だが次の瞬間、“尻尾”という言葉が強烈に引っ掛かった。


 尻尾……。

 尻尾。


 だって?

 一体どういうことだ。


 あたしはすぐさま振り返り、声の主を探した。


 素早く店内を見回す。

 野太い声の中年男はどこだ?


 アイリーンも、あたしと同じくきょろきょろしている。


 だがそれらしい人物は一向に見つからない。


 するとまた同じ声がして、「おーい、どこ見てんだよ! 俺はここにいるぞ!」


 その声はどうやら、あたしのすぐ近く、それも下の方から聞こえてきているようだった。


 あたしは不思議に思いながらも目線を下げた。



 テーブルの上に、小さな小さなサルが立っていた。

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