3-6 ジェンタ
日はとうに暮れていた。
町の入口に到達した頃には、すでに辺りは暗闇に包まれていた。
だがそれでも、あたしは確信を持ってこう言うことが出来た。
「ヴィジョンで見たままの町だわ」
荒野のど真ん中で銃をぶっ放した後、あたしはしばらく妙な興奮状態に陥った。
その後馬に揺られ続けて数時間が経ち、さすがに興奮は収まっていた。
正直、到着までにこれほどの時間を要するとは予想していなかった。
とにかく、あたし達はようやくジェンタに辿りついたのだ。
喜ぶべきはそれだけではない。
単なる夢である可能性も捨てきれなかったヴィジョンの信憑性が、ここにきて一気に高まったのである。
「アイリーン。あたし達、間違ってなかったみたいね」
「だといいんだけど……」
「目の前に広がってるのは、まさにあたしが夢の中で見た景色そのものなのよ? ヴィジョンは正しかったってことよ」
「……うん」
「ハチがあたし達をここまで導いてくれたんだもの。ドクター・Sは、すぐそこにいるはず」
あたし達は馬に乗ったまま、大通りをしずしずと町に入っていった。
土はぬかるんでいて馬が歩を進めるごとにねちゃねちゃと音がした。
ぬかるみすら、ヴィジョンと同じだ。
自分自身の夢の中に入り込んだような不思議な感覚に、あたしは狼狽えた。
人間は見当たらない。これも夢で見たとおりだ。
暗がりの中、あたし達は緊張の面持ちで前進する。
街灯に明かりはなく、通りに面した建物の中はどこも真っ暗闇で、頼れるのは月明かりだけだった。
窓ガラスが割れていることもしばしばで、予想以上に町は死んでいた。
目を凝らし、無人の建物の上部に掲げられた看板を読むと、歯医者、葬儀屋、保安官事務所などと書いてあるのが分かった。
物音一つしない静けさ。暗さ。
町全体が不気味な恐怖感を煽る。
こんな町に、本当に人がいるんだろうか。アウトローですら寄り付きそうもない場所だ。
「ちょっと」アイリーンが囁いた。
神経が張り詰めているせいで、アイリーンの唐突な呼びかけに少し驚いてしまう。
「何?」
「あれ、なんだろう? 見える?」
「どれ?」あたしはアイリーンが指差す先に目をやる。
大通りに面した建物のバルコニーの手すりから、何かが吊られているのがかろうじて見える。
バルコニーとの距離はまだかなりあったし、この暗闇の中での目視は厳しいものがある。だがそれでも、奇妙に揺れるその物体には違和感があった。
違和感の原因はその物体の大きさ、それから形状だ。かなり大きいし、それにやたらと縦に長い。
バルコニーからあんな物体が吊り下げられているのを、あたしはこれまで見たことがない。
「確かに気になるわね」あたしは遠慮気味に小さく応答する。
周りには誰もいない。特に遠慮する必要もないのだけど。
その物体は風が吹くとゆらりゆらりと前後左右に揺れ、時折回転もしているようだった。
一体なんだろう。
まあ、あたし達の進む道の先にあるものだ。その内判明するだろう。
「それにしても静かだね、怖いくらい」アイリーンは首をすくめた。
「そうね。幽霊でも出てきそう」冗談のつもりだが、自分の声がかすかに震えていることに気づき恥ずかしくなる。
「本当にドクター・Sなんて人、いるのかなあ?」アイリーンは続けて、「それこそ、もうお化けになってたりして」
「やめてよ!」あたしは動揺する。
「ねえもしかしてジェーンって、幽霊とか苦手なタイプだったりする?」
「いや……別に?」
あたしを見てアイリーンが笑った。「人って見かけによらないんだねっ」
「だから別に怖くないって」
カァ!
「きゃあ!」あたしは叫んだ。
反射的につい声が出てしまった。
カラスの鳴き声だった。ただそれだけのことだ。
「ジェーン……、かわいい……」アイリーンはまた笑った。
「もう! やめてよ!」
あたしはばつが悪い思いだった。
実際、あたしはかなりの怖がりなのだ。たぶんアイリーンよりもずっと。
突風が吹いた。
風は生暖かく、それすらあたしには不気味に思えた。
木造の建物が軋む音がし、バルコニーから吊るされた物体は大きく揺れていた。
それにしても、ドクター・Sって一体どんな人なんだろう。
もし仮に出会えたとして、あたし達に協力などしてくれるのだろうか。
あたしのおばあちゃんのこと、知っているのだろうか。
疑問と心配が頭を駆け巡る。
二人はしばらくの間、口をつぐんだ。
あたしは手元の手綱を見つめたまま、しばし考え事をしていた。馬はその間も前進を続けた。
アイリーンの声が聞こえた。「嘘だ」
「何が?」
目をぎょろつかせたアイリーンは、人差し指であたしの視線を誘導した。
彼女の指の先にあるのは、バルコニーから吊るされたあの物体だった。
発見した時よりも距離が詰まっていることもあり、その姿がはっきりと見えた。
「人……」あたしは思わず口にした。
首吊りの死体だった。
やけに縦長だと思ったそれは、人間の身体だったのだ。
頭をぐったりと垂れ、手足はだらんとしている。
あたしは馬を止めた。
町に絞首台が設置されているのは、西部では一般的な光景だ。
だけどバルコニーから死体を吊るすなんて慣習、聞いたことがない。
絞首台があるということはつまり、法と法の執行人がその町に存在することを意味している。
ここにこうして死体が吊られているということは、この町では“私刑”が公然と行われている、ということだ。
つまり、この町に法など存在しないのだ。
とんでもない町に来てしまった。
今さら後悔の念が押し寄せる。
「嘘でしょ……。こんなのって、怖すぎるよ」と言いつつなぜか死体へ向かっていくアイリーン。
「いやいや、なんで近づくのよ?」
「こういう時って、怖さより好奇心が勝っちゃうものなんだね」
少なくともあたしの場合、戦況は圧倒的に恐怖に傾いている。
アイリーンは死体の下まで行き、馬上から揺れる身体を仔細に観察しはじめた。
死体のブーツは、ちょうどアイリーンの顔の高さのところにあった。ブーツにぶつからないよう、彼女は屈んだ姿勢で死体を見上げた。
「ジェーン、大丈夫だよ。もう死んでるから」
「それは分かってるけど」
首つり死体をまじまじと見つめるアイリーン。「こっちまで来てごらん」
仕方なくあたしはアイリーンのもとへと向かった。
死体は男性だった。
髪は比較的短い方だが、垂れた前髪が彼の両目を隠すくらいの長さはあった。
腰にはガンベルトが巻かれているが、銃はない。ここに吊られる前に何者かに盗られたのだろうか。
髭は無くこざっぱりとした顔をしている。刻まれた皺からは大体の年齢が推し量れた。若くはない。
死んでから時間はあまり経過していないように見えた。
「首から、何か看板みたいなのを下げてる」あたしは言った。
「うん。さっきからそこに書いてある文字を読もうとしてるんだけど、暗くてさ」
世界の終わりだと言わんばかりに――この男にとっては確かにそうなのだが――うな垂れた頭を支える首からロープで、薄い木の板がぶら下がっていた。
そこに手書きの文字が記されているのを、アイリーンは必死に読もうとしている。
あたしも興味がない訳ではないので、目を細めて文字を注視した。
育った環境が影響しているのか、アイリーンよりもあたしの目のほうが夜の闇には強いようだ。あたしには書いてある字がすぐに読めた。
「“インチキをする奴はこうなる”、だって」
「よく読めるね」
「うん」
「この人、なんかインチキしちゃったんだ」
「そうみたい」
「どんなインチキだろ?」アイリーンが訊いた。
「さあ。きっと賭け事とかそんなことじゃない?」
そっか、と言ってアイリーンは死体へと向けていた視線をあたしに向けた。「怖いね」
「うん、怖い」
あたし達の頭上で、青い肌をした死体が揺れていた。
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