3-4 荒野の真ん中でリボルバーをぶっ放す

「ねぇ、到着する気が全然しないんだけど」


 馬に跨り、あたしの少し前を進むアイリーン。

 後ろ姿を見ているだけで、彼女がどれほど疲れているか分かる。


「いや、……近づいてきてはいるよ。……うん、あたしには分かる」


 とは言ったものの、正直あたしも全く着く気がしない。


 目指す町はまだはるか遠くに小さく見えているだけだ。しかもそのサイズは一向に大きくならない。


 それに、だんだんと日が落ちてきている。

 今日中にはなんとか到着したいんだけど。



 広大な荒野。

 生物はどこにも見当たらない。

 ここはインディカ大陸、インディカ合衆国。

 大陸西部、――荒涼地帯を意味して名づけられた――“デソレーション・エリア”のど真ん中。


 あたしもアイリーンもこのデソレーション・エリアで生まれ育ったが、このエリアがどれほどの広さなのかいまだに知らなかった。

 ましてやこの大陸の全体像など、あたしには想像すらつかない。


 あたしとアイリーンがこのエリアについて知っているのは、それぞれの生活圏で見聞きしたことくらいだ。

 あたしの生活圏は先住民が暮らす集落であり、アイリーンにとってのそれは彼女の父が保安官を務めているこぢんまりとした町だった。


 生活圏外の様子については極めて少ない情報しか持ち合わせていない。それは、人々の間で飛び交う噂話もしくは流れ者が語る尾ひれはひれのついた話から仕入れた類の情報だ。

 加えてアイリーンには、ダイムノベルから得た眉唾ものの知識はあった。それを知識と呼ぶのが許されるとすれば、だが。


 つまり、あたし達はこの広い世界についてほとんど何も知らないに等しかった。


「ていうかさ、ホントにあの町で合ってるの?」はるか遠くの町を眺めつつ、アイリーンが尋ねた。

「合ってるって?」

「ドクター・Sって人、ホントにあの町にいるの?」

「いるはずよ」あたしは自信満々に答えた。「ヴィジョンを見たって言ったでしょ?」

「ハチがどうこう、って話?」

「そう。あたしのパワーアニマルであるハチが、あたしをあの町へと導いてくれるヴィジョンを見たのよ」


 あたし達の部族では、人にはそれぞれに守護を司る動物の精霊がついていると信じられている。

 その存在をパワーアニマルと呼んでいた。


 あたしのパワーアニマルはハチだった。昆虫のハチだ。


「それは聞いたけどさ……。なんだか、正直どうしても信憑性が疑わしい気がして」アイリーンは申し訳なさそうな顔で続けた。「だってヴィジョンって、夢のことでしょ?」

「うん、まあそうだけど」


 ヴィジョンとは、“大いなる神秘”からの啓示。

 それは夢、という形で我々に必要なメッセージを与えてくれる。

 これもあたし達の部族では当然のこととして信じられている事柄の一つである。


「ということはつまり、ジェーンはを見た、ってことなんだよね? パワーアニマルとかなんとかっていうハチが、ドクター・Sのいる町まで道案内をしてくれるを見た……と」

「まあ……そうよ?」

「……夢、だよね?」

「……うん」

「そうか……夢、……なのか」


 アイリーンはそれきり黙った。

 無言のまま馬に揺られる二人。


 しばらくの間、馬が土を踏む音だけが聞こえていた。

 静寂を破ったのはアイリーンだった。


「夢……なんだよねぇ?」

「だからそうだって! しつこいなあ」あたしは憤慨した。「ヴィジョンっていうのはね、“夢”という形であたし達に様々な叡知を授けてくれる神秘的なものなのよ! ただの夢なんかじゃないんだから!」


 ふーん、と口を尖らせ、アイリーンは渋々納得する素振りを見せる。


 パワーアニマルやヴィジョンについては、あたし達部族の間で知らない者などない。

 だがアイリーンはそんな話これまで一度だって耳にしてこなかっただろうし、彼女に信じてもらえないのも無理はないのかもしれない。


 あたし自身も精霊の存在など子供の頃は疑っていたし、今だって先祖代々語り継がれてきた伝説やなんかを一語一句完全に信じている訳でもない(とはいえここ最近は、信じる気持ちが少しずつ強くなってきているのも事実ではあるが)。


 いずれにせよドクター・Sについての手掛かりらしい手掛かりが一つもない中で、数日前にあたしが夢で見たヴィジョンにすがるくらいしか他に手がないのが現状だった。


「私、正直不安だよ」

「ヴィジョンが本当なのかどうか?」あたしは訊いた。

「いや、確かにそれもあるけどさ。もし仮にジェーンのヴィジョンの通りにドクター・Sがあの町にいたとしても、だよ?」

「……何?」

「あの町、かなり危険だって噂でしょ」

「ああ、それはいろんな人が言ってたわね」


 あたしたちの目指す――“ジェンタ”と呼ばれる――町には、アウトローや流れ者のカウボーイに賞金稼ぎ、ギャンブラーのような人間しか寄り付かないというのがもっぱらの噂だった。

「お嬢ちゃんみたいな子達が訪ねるような町じゃないよ」とどれほどの人から聞かされたことか。


 アイリーンが不安に思うのも当然だ。

 あたしも不安な気持ちではある。


 おそらく保安官はおろか、一般市民さえもいないような町だ。

 十七歳のあたし達が行くのは、あまりに危険なことだと分かってはいる。


 でも、あたし達が復讐しようとしている相手はそこら辺の賞金稼ぎやアウトローどころじゃないのだ。

 あたし達が立ち向かおうとしているのは文字通りの、バケモノだ。


 西部の荒くれ者相手に尻込みをしているようでは、バケモノにはかないっこない。


「不安だからどうしたっていうの?」あたしは毅然として言った。「不安だったら、ここで引き返す?」

「……そんなつもりじゃないけどさ」

「こんなことで不安になってるようじゃ、先が思いやられるわよ?」

「うん……」

「それに何かあれば、あたし達にはがあるから」


 あたしは腰のリボルバーを指差して見せた。


 ホルスターに収まる一丁の銃。

 六連発のリボルバー。

 若干黒ずみのある銀色をしていて、グリップにはアイボリーが嵌められている。

 使用感はあるが、それが逆に一種の渋さを醸していた。


 昔、あたしの集落を訪れた旅人と交換トレードして手に入れたもの。

 西部では最も一般的な銃だ、と彼は言っていた。そいつを使いこなせるようになれば一丁前さ、とも彼は言った。


 実際のところ、あたしは使いこなすどころか弾薬筒カートリッジを装填することさえスムーズに出来ないんだけど。


「それ、ちゃんと使えるの?」アイリーンはなかなか痛いところを突く。「それ使ってるの一度しか見てないけど、だいぶモタついてる感じだったよね」

「あの時は焦ってたし、パニック状態だったから……ね」


 白状しよう。

 あたしはたったの一度しかこのリボルバーを撃ったことはない。

 そしてその一部始終を見ていたアイリーンによる、“モタついてる”という表現は悔しながら的確だった。


 銃を腰からぶら下げていることで大きな気持ちになっていたあたしだったが、アイリーンの言う通り、使いこなせないのなら何の意味もない。


 あたしもなんだかんだ、やっぱり色々と不安になってきた。

 心臓が少しばくばくする。


 やばい。一気に不安の波に飲まれそうだ。


 ダメだ。

 こんなんじゃダメだ。

 本来の気弱なあたしが仮面の下から顔を出しはじめる前に、なんとか押さえつけなきゃ。


「――そうだ。今のうちに練習しとこう!」あたしは思いついたことを、不安を押しのけるように大声で言った。

「え? 今?」

「うん、今。ここで」


 あたしは馬の歩みを止め、馬から降りた。

 アイリーンもそれに倣う。


 長い間馬に乗っていたせいで脚がじんじんしている。

 脚の痺れが落ち着くのを待ち、その間に呼吸を整えた。


 右手をホルスターに近づける。

 グリップを握り、そっとリボルバーを取り出す。


 リボルバーは冷たく、重い。

 いかにも人を殺す道具、という感じがする。

 握っているだけで否が応でも緊張を強いられてしまう。


 あたしは引き金トリガーに指をかけないよう、慎重にグリップを握った。

 普段は絶対にトリガーに指をかけるなよ、とこの銃の以前の持ち主である旅人は言っていた。「間違って撃っちゃったら笑い事じゃあ済まないからね」と彼は付け加えた。


 あたしは銃を握ったままゆっくりとアイリーンを見た。「これが……銃よ」

「うん……。まあ見れば分かるけど」苦笑いをするアイリーン。

「アイリーンも持ってみる?」

「遠慮しとく」と小さく首を横に振るアイリーンはまるで汚らしい物にでもするように遠慮気味に銃を指差した。「それ、弾丸たまは入ってるの?」

「全部抜いてあるわ」


 カートリッジはすべて抜いてある上に、撃鉄ハンマーも起こしていない。

 この状況でもし仮にあたしがトリガーを引いてしまったとしても、何の危険もない。弾丸たまであるカートリッジが装填されていないのだから当然の話だ。

 そうと分かってはいても、やはり緊張感は拭えなかった。


 あたしはリボルバーを左手に持ち替え、ガンベルトに刺してあるカートリッジを一つ、右手の指先で取り出した。


「念のため、アイリーンも使い方を覚えておいて」

「……分かった」


 まずは、回転式弾倉シリンダーにカートリッジを装填するところから始まる。

 そのためにはハンマーを半分だけ起こし、シリンダーが回転するように“ハーフコック”の状態にすることが必要だ。


 あたしは怖々とハンマーを起こし、リボルバーをハーフコックにした。


「これがハーフコック、ってやつよ」あたしはシリンダーを勢いよく回転させて見せた。からから、という独特の音が鳴った。


 続けてあたしはシリンダーの後ろを覆っているローディングゲートを開ける。

 ローディングゲートとは、シリンダーの穴一つ分を覆うことでフタの役割を担っているものだ。これを開くことで、シリンダーにカートリッジを装填出来る。

 カートリッジの装填後ローディングゲートを閉めればリボルバーをどう傾けたところでカートリッジは落ちてこない、という仕組みだ。


 六発すべて装填する際には、ローディングゲートを開けたままの状態でシリンダーを少しずつ回転させながら、一発ずつカートリッジを込めることになる。

 だが今は一発で十分だ。


 シリンダーを回すことでシリンダーの穴――薬室チェンバー――の位置を調整し、あたしはカートリッジを装填した。


 アイリーンも真剣な眼差しで見守っている。


 ローディングゲートを閉める。


「これで準備はほぼ完了よ」


 最後にもう一度シリンダーを回す。ハンマーの落ちてくる場所に、装填されたカートリッジの位置を合わせるためだ。

 回転に合わせかちかちかち、とシリンダーが音を立てた。まるで不気味なカウントダウンのようだ。


 あとはハンマーを完全に起こし、トリガーを引くだけ。


「じゃあ……撃つわね」

「ちょ、ちょっと待って!」アイリーンは急いで両耳を塞いだ。

「いい?」


 アイリーンは大きく、二度頷いた。


 あたしはリボルバーを右手に握り直すと、右の親指でハンマーを起こした。


 銃口を斜め下の地面へと向ける。


「……いくわよ」


 あたしは恐怖のあまり、半分くらい目を閉じてしまう。


「ちょっとジェーン! 目、閉じちゃってるよ」

「大丈夫、見えてるから……」あたしは消え入りそうな声で応答する。


 トリガーに人差し指をかける。


「本当に、撃っちゃうよ……」


 アイリーンはまた、何度も首を縦に振った。


 トリガーにかかる人差し指が震えているのが分かる。

 唾を飲み込む。


 グリップを力強く握りしめ、反動に備える。


 心臓が否応なく高鳴る。


 顎を引く。


 首筋が硬くなる。


 歯ぎしりをする。


 腹を決める。


 そしてついに人差し指に力を込め――



 爆音が響き渡る。



 さながら手の中で爆弾が炸裂したかのようだった。


 あまりの衝撃にあたしの頭は真っ白になる。

 耳鳴りはするし、グリップをつかむ手はびりびりする。


 迫力に圧倒され、あたしもアイリーンも身動き一つ取れない。

 出来ることといえば、銃口から白煙がもうもうと立ち上がっていく様をただ眺めることくらいだ。



 これが、銃だ。



 あたしは銃を構えたその姿勢のまま、アイリーンを見た。


 アイリーンは目をぱちくりさせている。


 二人で声を合わせて言った。



「わお」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る