3-3 不平不満のアイリーン

 あたしは走った。


 とにかく、走った。


 どこをどう走ったかなど、今となっては全く覚えていない。


 無我夢中だった。

 パニックに陥っていた。



 横たわる幼馴染の少年が胴体の切断された死体だと知った時、あたしの思考のエンジンは焼き切れてしまった。



 恐ろしいバケモノから、虐殺の現場から、一刻も早く逃れたい。

 その一心だった。


 荒野をただ一人、逃げて、逃げて、逃げた。

 暗闇の中、息を切らしてあたしは走った。


 停止した思考。

 肉体の限界をとっくに超えているのも気づかぬままに、あたしはただただ走り続ける。

 時間の感覚が力づくで引き延ばされて、歪んでいた。


 顔が濡れているのに気づいて、自分が涙していることを知った。


 やがてその涙も夜の闇と同化し消え去ったが、惨劇の光景はいつまでも瞼の内側に張り付いて離れなかった。



 ほんの少し前までは穏やかな時間が流れていたというのに。

 ついさっきまで、おばあちゃんは笑っていたというのに。



 悲劇は何の前触れもなく、突然襲い掛かる。


 そして一瞬にして、世界を変えてしまう。









 これがあたしの物語だ。

 あたしという人間を根本から変えてしまった物語。

 そして物語はまだ、始まったばかりなのだ。









 冷たかったリボルバーのグリップは、もう温かくなっていた。

 あたしがずっと強く握りしめていたからだ。



 口の中に広がる血の“予感”は、すでに“確信”へと変貌していた。



 つらい思い出を頭から締め出そうと、あたしは深呼吸をする。

 落ち着こう。


 台地メサから見下ろす荒野の景色。


 どんな景色であろうと、あたしの心をなだめてなどくれない。

 自分をコントロール出来るのは、自分だけだ。


 一つの目的。

 あたしを突き動かしている、原動力。

 その目的を達成するためには、トラウマに囚われている場合じゃない。

 しっかりしなくちゃ。


 今のあたしは、そのたった一つの目的のためだけに生きているようなものなんだから。



 ――それは復讐だ。



 復讐。

 その言葉にはどこか甘い響きがある。


 生きる喜びを完全に失ってしまったあたしにとって、復讐だけがあたしの希望なのだった。


 そしてそのためには、あたしにはどうしてもドクター・Sの力が必要なのだ。



 この場所からでは、豆粒のようにしか見えないあの町。

 ドクター・Sは、きっとあの町にいるはずだ。


 荒野の風が吹く。

 あたしは遠くの町を眺めながら、決意を固める。


 もうあたしは恐れない。


 あのバケモノを殺すためには、なんだってする。


 おばあちゃんの仇を討つ。


 この手でバケモノを殺す。


 そのために、あたしは生きている。



 強い覚悟を宿した目を見開いて、あたしは町を睨む。

 “復讐”を、口の中で転がすように味わいながら。



「疲れた……。おしり痛いよ……。もう帰りたい……」


 あたしは後ろを振り返った。

 声の聞こえてきた方だ。



 一人の少女が馬に跨り、こちらへとやって来る。



 少女が纏う水色の薄いドレスはひらひらと揺れ、ウェーブのかかった金色の髪は風になびいている。


 華奢で美しい少女。

 その繊細な顔立ちは、お嬢様然とした彼女のドレス同様、荒野には全く似つかわしくなかった。


 似つかわしくないといえば、彼女のブーツ。

 カウボーイが履くような茶色い革のブーツは彼女のドレスに、それに彼女自身にも似合っているとは言い難い。

 ごついそのブーツには、立派に拍車スパーまでついていた。


 荒野のど真ん中、ドレスにカウボーイブーツで馬に跨り、金色のロングヘアを風になびかせる可憐な少女。



 それがアイリーンだった。



「ジェーン、もうここら辺で休もうよ」


 疲れのせいでだらけた顔をしているアイリーン。

 とある出来事から、あたしの旅の道連れとなった少女だ。


「今日はまだ、朝出発してから半日くらいしか経ってないのよ」あたしは言った。

「だって疲れたものは疲れたんだもん。それにお腹もすいたし」

「しょうがないなあ」


 アイリーンのせいで、さっきまでの固い決意も台無しだ。

 あたしの馬がヒヒン、とあたしを嘲笑うかのように鳴く。



 だだっ広い未開地で、馬に跨る二人の少女。



 二人は同い年だった。


 少女の一人は、アイリーン。

 そしてもう一人は、このあたし。


 荒れ地に咲く一輪の花のように瑞々しくてガーリーなアイリーン――カウボーイブーツを別とすればだが――とは対照的に、あたしは男のような恰好をしていた。


 黒のシャツにグレーのベストを合わせ、シャツと同じ色をしたズボンは脚にぴったりとフィットしている。

 腰にはリボルバーが収まったガンベルト。


 まるでガンマンだ。


 足元は先住民特有の履物、モカシンを履いている。

 ブーツ型のモカシンだった。


 首からは、おばあちゃんからもらった“薔薇の雫”の首飾り。

 これはどんな時だって身に着けていた。

 今はシャツの下に隠れている。

 これだけはあたしの命に代えても守らなければならない。


 長い髪は、後ろにまとめてポニーテールをつくり、それを三つ編みにしていた。


 あたしの顔立ちはどこか、生意気な少年のようだ。

 もっとかわいらしいくて、女の子っぽい感じに生まれたかった気もするけど。



 まあ、これがあたし。



「じゃあ、ここで休憩して何か食べる?」

「そうしようそうしよう!」


 あたしが休憩を提案するとアイリーンの顔はいきなり、ぱあっと明るくなる。


 さっきまで生気を失っていた彼女の目が輝きはじめた。


 あたしは溜息を洩らしながら、「コーンブレッドはまだある?」と彼女に訊いた。

「ん?」

「朝食べたパンの残りのことよ」

「ああ、あれね! あると思う。ちょっと待ってて」


 アイリーンは馬から降りると、馬のサドルからぶら下げられた袋を物色した。

 ぶら下がっている袋はいくつもあって、どの袋も中身がぱんぱんに詰まっていた。


 ちなみにあたしの乗る馬は裸馬だ。サドルはついていない。

 その代わり、馬の背中には毛布を乗せていた。


「……こっちにはないか。こっちかな……」


 アイリーンは袋に手を突っ込み見当違いな物を取り出しては、またそれを袋に戻すという作業を繰り返した。


「ねえ」

「ん?」作業に没頭したまま返答するアイリーン。

「ていうか今さらなんだけど、なんでそんなにたくさんの荷物を持ってきたのよ? あたし達これからピクニックにでも行くわけ?」

「いやー、なんだかんだで大荷物になっちゃって」


 なんだかんだって、一体……。


「うわぁ!」


 手を滑らせたアイリーンが叫ぶと、ぱんぱんに詰まった袋の中身が一気に地面にぶちまけられた。


「落としちゃったー」嘆くアイリーン。

「何やってるのよ、もう」


 アイリーンは地面に散らばった物を拾いはじめる。

 あたしも馬から降り、それを手伝う。


 毛布、鉄のコップ、ロープ……様々な品が土埃にまみれている。

 それらの中に妙な物が混じっているのを、あたしはすぐさま発見した。


「これ、三文小説ダイムノベルじゃない! しかも何冊も!」落ちている本を見つけたあたしは驚きのあまり大声になる。「なんで本なんて持ってきたのよ?」

「だって……」


 ダイムノベルとは、西部に実在するアウトローやガンマンの活躍を面白おかしく誇張して描いた物語のことだ。

 安価な大衆向けの小説ノベルだ。


 アイリーンはダイムノベルオタクだった。

 それも、かなりの。


「もし旅の途中でダイムノベルに出てくるホンモノのアウトローなんかに出会えたら、この本にサインとかもらえるかも、って思って」アイリーンは気恥ずかしそうに笑った。


「いやいや……。もし会えたとしても、アウトローがサインなんて書いてくれると思う?」とあたしは厳しい口調で尋ねる。

「え……?」

「アウトローが気前よく『そうかそうか、君の名前はなんて言うのかい? 今日はサービスで宛名まで書いちゃおう』なんてサインくれたりすると思う?」

「そ、……それは……」びっくりしたような顔を浮かべているアイリーン。だがすぐに表情をころりと変えて、「あ、でも一人くらいそんな優しいアウトローがいたり……」

「いないわよ!」


 アイリーンは分かりやすくしゅんとしてしまう。


 あたしは呆れ気味に、もー、と言いつつ本を拾う。


 アウトローにサインをもらおうとしていたなんて。

 呆れながらも、ちょっぴり笑ってしまう。


 アイリーンにはおっちょこちょいなところがあるけど、どうも憎めない。


 あたしは一冊のダイムノベルを拾い上げると、その表紙を眺めてみた。

 カウボーイハットを被り、ニヒルな表情を浮かべ夕陽を見つめる男が描かれている。

 どこかで見かけた顔のような気もしたが、こんな男、西部には五万といるだろうと自分に言い聞かせ勝手に納得する。


「あ、それ『ボストン・キッド、西へ行く』だ!」あたしが拾った本を見て、アイリーンがはしゃいだ。

「これ?」

「そうそう。私の大好きな本!」

「この表紙に描かれてる男の人が、ボストン・キッド?」

「そうだよ。その人はアウトローとかガンマンとかじゃないんだけどね」

「ふーん。じゃあどんな人なの? 保安官とか?」

「そうじゃなくて。なんて言うか……ただの旅人、って感じかな」


 へー、と適当な相槌を打ってあたしはその本をアイリーンに手渡した。


「ボストン・キッドみたいに私もいつか旅に出て、この目で広い世界を見てみたい、ってちっちゃい時からずっと思ってたんだ」幼い子供のような顔になるアイリーン。

「そっか」とあたし。


 狭い場所から飛び出し、刺激に溢れた広大な世界を全身で存分に味わい尽くしたい。そんな気持ちは、あたしにもよく分かる。

 あたしも少し前まで、そんなことを夢見ていたから。


 あたし達は今、旅をしている。

 荒涼とした大地を馬に乗って移動し、未知の町を訪ね、初めて出会う人々と会話を交わす。そんな日々を過ごしている。



 でもそれは、子供の頃夢に見ていた自由気ままな旅なんかじゃない。



 この旅には明確な目的があるのだ。


 のんきにお気楽な表情を浮かべているアイリーンだが、彼女にもあたしと同様の目的があるということを、あたしは知っている。


 同じ重荷を背負わされ、同じ目的を共有する――

 あたし達は、運命共同体なのだ。


「アイリーン」あたしは彼女の名を呼んだ。

「何?」アイリーンはあたしの目を見る。



「絶対にあいつを殺さなきゃ……、ね」



 一瞬にしてアイリーンの目が燃えあがる。


 ゆっくりと頷き、あたしの目を強く見つめ返すアイリーン。

 アイリーンがなのは、その目で分かる。



 二人で絶対に、殺す。

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