11話 スリルドライブ。

会社の先輩の車。助手席に座っている。

仕事で外出中。今は会社へ戻る帰り道。




数少ない仲のいい先輩。


趣味や思考は合わないが、それが楽しい。

先輩の話にはよく驚かされ私にとって刺激になる。

私の話を先輩も楽しそうに聞いてくれる。


正直、年上は苦手だ。

しかしこの先輩は別。


そう思っている。




その日の車内も話が弾んでいた。


仕事の話から

他愛のないくだらない話まで。




長時間の車旅もあっという間だった。





会社の近くまで来た。

あとは会社で少し仕事を片付けて帰るのみ。


先輩&自分お疲れ様。

今日、先輩を誘って飲みに行くのもいいな。

この前見つけたバーを紹介しようか。




いろいろ考えていた矢先。









「あ、もうこんな時間か。この時間だと課長ギリいるかな。微妙だな。……悪い、中村。車、駐車場に入れといて。先に行って書類にサインもらってくるわ。」







そう言って先輩は車を会社の前に停め、書類だけをもって会社に入っていった。











やばい。







非常にやばい。







具体的に言うと。

運転がやばいのだ。



普通免許は持ってる。それは大丈夫。


ただ、その免許を取ってから全くと言っていいほど運転をしていない。


そこがやばい。

運転には全く自信がない。

そもそも運転が好きでも得意でもないから車を運転していないのだ。



そして仲のいい先輩の車。

傷をつけてしまったら…。





どうする。


いや、やることは一つだ。

この車を駐車場に入れる。

それだけだ。



それだけのはず。






まず落ち着いて運転席にスライド移動。

そして、深呼吸。


しかし、落ち着かない。


手は汗でびしょびしょ。

足は緊張でがくがく。

心臓も緊張でばくばく。





できる気がしない。

しかし、やるしかない。




教習所で習ったことを頭でおさらいしながら口で唱える。

一つ一つの手順をゆっくり、そして、丁寧に。


他のどんな仕事よりも。



車を発進させる。



駐車場は会社の地下にある専用駐車場。



地下に降りる入り口まではなんとか到着。

ゆっくりと坂道を下り、数回あるカーブも異常な遅さでクリア。



あとは空いているところに停める。

本当は先輩のために会社に入る入り口から近いところに停めたいがそんなことも言ってられない。

とにかく空いている場所へ。



あった。

空いている場所を見つける。



残念ながら、両脇には車が停まっている。

他の場所は埋まっていた。



仕方がない。ここに停めよう。


そう決意した時、あることに気づく。

両脇の車を誰の車か知っていたのだ。







両脇の車。

左は課長の車。右は部長の車。







手汗の量が二倍三倍と増えていく。

足の震えが音速を超えそうになる。

心臓はいっそのこと止まりそうだ。





どれにぶつけてもアウトだ。

いや、ぶつけた時点でアウトなんだが。



それでもやらなければならない。


覚悟を決め、慎重に車をバックさせていく。

速度メーターの針がほんの少ししか触れていないスピードで。



バックさせながら後悔する。

頭から入れればよかった。


両隣がバックで停めていたから。なぜか自分もバックで車を入れていた。


冷静な判断ができていない自分を悔やみながら車をゆっくりと入れていく。




緊張。



一瞬でも気が抜けない。



己の全神経を集中させてペダルを踏む。



生死を分けた戦いに挑んでいるロボットパイロットのごとく。





その戦いは数分後、静かに決着がついた。














駐車完了。


先輩の車から降りた私は

大きな緊張感から解放されていた。


その代わりに私を襲ったのはずっしりとした疲労感だった。

緊張で固まった体の節々が悲鳴を上げている。

私の汗まみれの体には地下に吹く風は冷たい。


はやく会社に戻ろう。

そして、車のキーを先輩に返してこの任務を終わらせよう。










その一心で先輩のデスクへ向かった。



今頃は課長からサインをもらい終わって、残りの仕事を片付けている頃だろう。

私が遅いことを少し気にしているだろうか。


それより、ハンドルを手汗でびしょびしょにしてしまったことを思い出した。

先輩が帰るころには乾いているだろうか。





今となってはもうどうでもいい。

この疲労から解放されたい。







そんなことを考えていると、先輩のデスクに到着。

デスクに着いた私は先輩に車のカギを返す。


先輩は残った仕事を片付けていた。


先輩は私に礼を言った後、こう続けた。








「よく考えたら中村に書類渡して先に戻ってもらえばよかったんだな。まあ、サンキュ。」














先輩。

もっと早くいってください。


その言葉が喉元まで出かかったが、今の私にそんな元気はなかった。





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