第17尾【心残りと、夢のあと】


 九月八日、午前五時過ぎ——

 時計の針の音、結愛の寝息、涼夜の寝言、——そして、ペンの走る音。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 午前七時半、


「キュウ、今日は一緒に来ないのですか?」

「キュウキュキュ」


 キュウは笑顔で頷いた。


「キュウちゃん、帰ったらエモフレハウスで遊ぶのです……」

「キュッ! キュゥ〜ン」


 キュウは結愛の頭を優しく撫でる。

 頬を染め小さな身体を捩らせながらも笑顔を見せた結愛の頬にキュウの唇が触れた。

 突然の事に結愛は目を丸くしたが、お返しのキスをキュウの頬に。キュウは立ち上がり大きな胸をキュッと寄せて涼夜を見上げる。


 震える唇、——伝えたのは、いつもの、


「キュッキュキュ〜!」


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 キュウを残し保育園へ結愛を送り出した涼夜は、そのまま朝の商店街へ。駄菓子屋の前で揉め合う優男な男子高校生とピンクブロンドの悪魔コス女子高生を睨みつけるダイ○ンコードレス掃除機を装備した店番の女の子はプルプルと小刻みに震えている。


「朝からお熱い。さて、少し買い出しをしてから帰りますか」


 結局のところ、買い出しが終わり帰宅した頃には八時代も終盤に差し掛かっていた。

 一人、秋晴れの空を見上げた涼夜は玄関の扉を開けた。しかし、


「あれ、鍵が……」


 鍵が閉まっていた。キュウが閉めたのだろうか。

 涼夜は自らの鍵を取り出して開錠し、今度こそ玄関を開けた。

 足元から、ジャリ、と擦れる音。そこにあった物を拾い上げ涼夜は慌ててリビングへ。


 キュウがいない。ローテーブルの上には手紙。


 不審に思いながらも、導かれるように手紙を手に取り、そして開く。

 そこには、見覚えのある、丸みを帯びた文字の空が広がっていた。


「……この字は……」



 ◇◇◇


 命より大切な結愛ちゃんと、


 最愛の涼夜君へ



 まずはじめに、ごめんなさい


 私は本日をもって高遠家の家政婦を


 卒業します


 九月九日、役目を終え、旅立つね


 もう私がいなくても大丈夫だと思うから


 そうだ、涼夜君、神様はいたよ


 私、事故で死んじゃったあと、

 ずっとあの場所に縛られてたみたい


 でも涼夜君も結愛ちゃんも、

 全然その道を通ってくれなくて


 そんな時、

 狐の神様がこの身体をくれたんだ


 本来の私とは程遠い涼夜君好みの身体


 私は神様に言われたの


 九月九日、

 午後、九時九分九秒までに、

 九つの心残りを

 全て解消すれば成仏出来るって


 私は考えた。私の心残りって何だろうって



 一つ目は、そう

 二人にもう一度会いたい、だったよ

 私が唯一持っていたもの、

 ここの鍵を使って、すぐに会いに行ったの

 でも、居なかったから玄関で待ってたんだ

 そしたら涼夜君、

 警察に電話しちゃうんだから

 でも、仕方ないよね


 二つ目、

 二人にご飯を作ってあげたい

 折角一緒に住めるんだから、

 美味しいごはんを皆んなで食べたかった

 それも叶ったよ

 二人とも

 おいしそうに食べるから嬉しかったな


 そして三つ目、

 涼夜君とデートがしたい

 二人でデートした事なかったから

 あの時、生きてる時と同じ事したら

 同じ反応でおかしくて、

 思わず笑っちゃった


 四つ目は、

 結愛ちゃんに笑ってほしかった

 きっと泣いてるだろうって、

 ずっと心配だった

 結愛ちゃんを残して死んじゃったもの

 泣いてるに違いないって、思ってたの

 案の定、笑えなくなってた

 だから精一杯、笑えるように振る舞ったよ

 だって結愛ちゃんは笑った方が可愛いから


 五つ目は、

 涼夜君と、一つになりたかった、かな

 キュウの姿で涼夜君を感じるのは凄く複雑だったけれど、それでも私は嬉しかったよ

 すごく、とても、嬉しかった

 傷付けちゃってごめんね

 でも安心して、

 涼夜君は私を抱いたんだよ

 裏切っただなんて、思わないから

 それに、他の人を好きになっても、

 いいんだよ?


 六つ目は、そう、

 お父さんお母さん、お姉ちゃん、

 家族に会いたい

 お墓に行った時、実は付いて行ってました

 どうしても皆んなの顔が見たくて

 元気そうで良かったよ、本当に


 そして七つ目は、

 涼夜君と結愛ちゃんに

 本当の家族になってほしい、かな

 結愛ちゃんが涼夜君をパパと呼ぶまでは

 心配で成仏なんてしてられないもの

 ギリギリだけれど、間に合って良かった

 結愛ちゃんが自分で決めてたんだよ、

 褒めてあげてね? パパ



 こんな感じで、いっぱい叶ったよ


 ワガママを言えば、

 涼夜君の愛してるが欲しかったかな(笑)多分、

 これが八つ目だね

 面と向かって言ってくれないんだもの


 九つ目は、わからないんだ

 私が何故成仏出来ないのか、

 その最大の理由らしいんだけれど、

 どうしてもわからないの


 でも、もう十分だよ、


 楽しかった、

 結婚して皆んなで過ごしたら、

 きっとこんな感じだったんだね


 それじゃ、私は先に行くね


 少しの間だけど、

 キュウを雇ってくれてありがとう


 結愛ちゃん、大好き

 涼夜君、愛してる


 私が消えちゃうところは見せたくありません


 だから、さがさないでくださいね


 結愛ちゃんとエモフレをお願いね、涼夜君


 不器用な涼夜君を助けてあげて、結愛ちゃん



 きゅうびのキュウちゃんより




 ◇◇◇



「……やっぱり……君は……」


 涼夜はカレンダーを見る。キュウによると、旅立ちは九月九日。本日は九月八日。


「さがさないでって、そんなの、日時まで明かして、さがしてくれと言ってるのと同じじゃないですか……」


 彼女の置いて行った、事故当時に紛失していた家鍵を握り涼夜は立ち上がった。


「未練、残ってるじゃないですか……愛してるくらい、私が何度でも……」


 唇を噛み締める。


「私だって、君を愛してるって……言ってあげたい……」


 結衣の生前、彼は一度も彼女に愛してるを言えてなかったのだ。結衣の心身が弱っていた事、結愛がいつも一緒だった事、その為彼女を抱いた事すらなかった。それでも涼夜は、彼女と共に生きると決めた。いつか心の闇を取り除ける日が来るまで、共に生きると。


 結衣、——キュウは傷付いた身体を涼夜に慰めてほしかったのだろうか。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 高遠涼夜は走る。秋晴れの空を背に、アスファルトを蹴り額に汗を浮かべながら。


 町中を走り回った。町の人にも聞いて回った。皆は首を横に振るばかりだった。勿論、彼女の墓碑にも行った。しかし見当たらない。

 キュウが姿を消してしまえば、見つける術はない訳で。




 空はいつの間にか真っ赤に染まっていた。




「キュウーーーーーーッ!!!!」




 当然、散歩中のお爺さんお婆さんは目を丸くしたが、お構いなしに彼女の名を呼んだ。


「キュウ……くっ、ゆ、結衣っ……ゆいぃぃーーーーーー!!!!」


 午後五時を報せる本鈴が麓の小学校から聞こえる。

 結愛を迎えに行かなくてはいけない。

 涼夜は唇を噛む。


 夕日を背に丘を降る涼夜の背中に、


 優しく風が吹いた。




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