第16尾【手作りの、ケーキを囲み】

 九月六日、日曜日、昼、


「リョウヤ君のバカバカ! もう嫌いです! ママだったらそんなことで怒らないのです! ふん!」

「あ、ちょ……結愛、ちゃんっ! か、隠し事はしない約束ですよ!?」


 バタン、と寝室の扉が閉まる。結愛の篭城タイムに突入した訳だが、事の経緯はこうだ。


 結愛は涼夜に内緒で何か書き物をしていた。それを涼夜が問い詰めた所、結愛が異常な程に反応したのだ。エモフレ手帳を両手で抱き、鼠の如くちょこまかと駆ける結愛をキッチンの隅まで追い詰めた所で、その小さな爪先が火を吹いた。

 ……玉砕である。


 流石の涼夜もこれには悶絶、普段滅多に怒る事はないが、柄にもなく声を上げた訳だ。


 そして今に至る。


「はぁ、いったい何を書いていたのでしょう。落書きならいつも見せてくれるのですが、あれだけ拒否されると何か悪い事をして——」

「キュキュ〜ン、キュ!」


 涼夜の独り言を遮るように鳴き、キュウは大きな胸を叩く。ばいん、と音が鳴りそうなくらい跳ねたのはこの際いいとして、涼夜は彼女を見上げ、そして項垂れた。


「すみません……よろしくお願いします……」


 涼夜は頭を抱える。キュウはそんな彼を横目に寝室へ。扉を開けると、


「来ないでなので、す、ぁ、キュウちゃんか……」


 構わず寝室へ入って行ったキュウ。天を仰ぐ涼夜には悩みがある。それは、今だに結愛から名前で呼ばれている事。結衣がずっとそう呼んでいたのもあり、それを見ていた結愛も自然とこうなった訳だ。

 血が繋がっていないにしろ父親には変わりない。涼夜は結愛と本当の意味で家族になれていないのだ。


 本当は結衣と二人で結愛を育て、その中で本当の家族になっていく筈だった。


「結衣……私は駄目駄目ですね……全然結愛ちゃんに認めてもらえない……」


 テレビのリモコンを手に取ると、寝室から二人の笑い声がする。涼夜の胸が騒めく。

 やるせなさと、ほんの少しの妬みに溜め息をつくとリモコンを置き、テレビはつけずにノートパソコンを開いた。こうして日曜日は微妙な空気のまま過ぎ、月曜日、日時は九月七日となる。


 いつものように結愛を保育園へ送り、キュウと共に買い出しをする。帰宅後、二人で夕食の支度。

 時間のある時はこうして料理を教えてもらっている訳だが、星で評価するなら、星一つといったところだ。まず、卵を上手く割る事から、そんなレベル。


「キュ……」


 短い悲鳴に振り返ると、包丁で指をついたキュウが目を細めている。涼夜は慌てて水を出しキュウの腕を掴んだ。キュウは頬を染めてされるがまま。

 水で血を流して絆創膏を貼る。依然、キュウの頬は真っ赤に染まったままだ。


 キュウは涼夜を見上げる。

 瞳は小さく波打つ。

 涼夜は咄嗟に手を離し横を向いた。勿論眼鏡は絶妙な角度をつける。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 やがて一日の終わりを告げるようにカラスが鳴きはじめる。結愛も帰宅した。


 食卓には涼夜とキュウの作った料理が並ぶ。

 皆で囲む食卓。家族三人。

 しかし、結愛は涼夜と目を合わせようとしない。

 夕飯も食べ終わり食器も片付け、時刻にして午後七時過ぎ、テレビにはエモフレ映画のCM。


 キュウは隣に座り落ち着きのない結愛の肩をポンと叩き優しく微笑んだ。


「わ、わかったのです……」


 結愛は立ち上がり保育園の鞄を開ける。そして中から取り出した塊を両手に振り返った。

 頬を真っ赤にしてテクテクと歩く結愛は、その塊をテーブルの上に置いては横を向いた。


「こ、これは……」


 それは、紙で出来たケーキだった。色はシンプルに白と赤、板チョコを模した茶色も。

 一緒に添えられているのは、エモフレ手帳の頁を切り取り折り畳んだものだった。


 九月七日は涼夜の誕生日だ。


「キュッキュキュ〜!」


 キュウは大袈裟に声を上げ謎のポーズを決めた。

 しかし残念ながら涼夜の視線は手作りケーキに釘付けな訳で、腰のうねりも、お尻の突き出しも、揺れる胸も眼中になかった。

 ゆっくりと手を伸ばし、手紙を開く。


 ——パパ、おたんじょうび、おめでとう——


 曇る。当然、眼鏡は曇る。一文字一文字、丁寧に書かれた文字の、パパ、の部分には書き直された形跡があった。薄っすらとリョウヤくんと。


「ゆ、結愛、ちゃん……?」

「な、なな、なんです?」

「こ、ここ、これ、ぱ、ぱぱぱ、ぱ」


「……えと、パパ?」


 頬を、否、顔を真っ赤にしてジト目を潤ませ、確かに彼女の口から飛び出した言葉。

 その威力は涼夜の心臓を数回止めてもまだ足りないくらいの破壊力で、当然眼鏡は床に落ちる。


「……えっとリョウヤ、くん、は結愛のパパで……いいんですよね」

「……結愛ちゃん……」

「結愛のパパに……なっ、てほし、じゃなくて、し、仕方ないので、パパにして、あ、あげても、い、いいのですよ」


 許可が降りた。

 遂に、一年かけて涼夜はリョウヤ君からパパに昇格したのだった。


「い、いいの? 結愛ちゃん? 私がパパで?」

「い、いいも何も……そ、そうですから。い、いつも、ありがとう……なのです、パパ」

「くはぁっ!!」

「え、パパ? ちょ、リョウ、あ、パパが気絶したのです!?」


 見つめる視線。両手をぐっと握り大粒の涙を流すキュウはカレンダーに視線を送る。

 小さな溜め息をついた。その表情は清々しく、そして何処となく儚く。




 刻限まで、二日。

 結局、最後の二つの願いは叶う事はなかった。彼女はそう自己完結した。

 彼女の願い、九つの、心残り。


 それでもいいと、彼女は心から今の瞬間を祝福した。だから、




 モウ、オモイノコシタコトハ、ナイ




 ——だから、いきますね、涼夜君


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