第6尾【お出かけ、仕草と記憶】
キュウが文字を読める事は盲点だった。
それはつまり、文字を紙に書き合って意思疎通が可能という事だと、涼夜はそう思い至ったのか、結愛のお気に入りの手帳と、やけに可愛らしい喋るんキャットのボールペンを手に帰って来た。
首を傾げたキュウの前で頁をめくる。所々に結愛が描いたであろう落書きが。お世辞にも上手いとは言えない落書きをスルーして何も描かれていないページを見つけた涼夜は、喋るんキャットのボールペンで文字を綴りキュウに見せた。
——両手を上げてみて
手帳にはそう記されている。
キュウは少し戸惑いながらも両手を上げた。これで文字を理解している事は証明された。黒縁眼鏡を光らせた涼夜はボールペンをキュウに手渡した。
瞳を瞬かせるキュウに涼夜は言った。
「この手帳に、何か書いてみてくれますか? 何でもいいので、私に聞きたい事とか、言いたい事があれば」
キュウはボールペンを握ったまま涼夜から目を逸らした。先ほどまで元気だった尻尾も見る影もないくらいに萎びている。
暫しの沈黙の後、ボールペンを涼夜に返したキュウは首を横に振った。
「何故です?」
「……キュゥ……」
「文字を書けない理由があるのですか?」
キュウは小さく頷いた。
「そうですか。あ、えっと、そ、そんなに落ち込まないで下さい。文字を通して意志の疎通が出来ると踏んだのですが、そうもいかないみたいですね。九尾には九尾の事情があるのでしょう、はい……」
涼夜は時計を見上げた。時計の針は午前九時半をさす。涼夜は一息置いて立ち上がる。
「少し出掛けましょう。君のエプロンを新調しないといけませんし。そ、それでは小さいでしょう。
しかし外に出るとなると、尻尾と耳を隠さないといけません。流石にこのまま外には……」
涼夜が頭を抱えていると、すっくとキュウが立ち上がる。そして次の瞬間、涼夜の眼鏡が盛大にズレ落ちる程の現象が起きた。
キュウがくるりと回転すると、涼夜の視界から彼女が跡形もなく消えたのだ。ただ、微かに残る彼女の香りと気配だけを残して。
……
「キュキュ!」
「うわっ!」
耳元で発せられた声により眼鏡は絨毯に跳ねる。確かに感じるヒトのぬくもりとキュウの声。
「キュッキュキュ〜ン!」
無駄にテンションの高いかけ声と共に再び涼夜の前にキュウが現れた。とてつもないドヤ顔である。
「そ、そうですか、それは便利ですね……それでは少し買い出しに出ましょう。くれぐれも姿は消したままでお願いします。あと、暑いのでそこの麦わら帽子をかぶっておきましょうか」
「キュウ!」
「少し、かりますね」
「キュウ?」
キュウは一瞬首を傾げ、すぐさまラジャーのポーズをとる。こうして二人は買い出しの為出掛ける事となった。まず、キュウの衣服を調達しなくてはならないからだ。白昼堂々、白桃全開、とはいかないのだから。
夢咲町は田舎町で大した店もないのだが、町の最東端に大きなショッピングモールがある。大抵の物はそこで揃う。メンズ、レディースのアパレルショップ、百均、雑貨、玩具にゲーム、最上階には映画館も併設されている。
町の若者は勿論、主婦やご老体も、ここ、夢咲モールで暇を潰している。夢咲町は寂れた商店街とゲームセンター『デビルダム』、隣町との境にある裏山に位置する小さな整備もされていない神社くらいしかないので、自然と人が集まる訳だ。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
支度を済ませた涼夜とキュウは、その夢咲モールを目指して家を出発した。
姿を消したキュウは涼夜の後ろをついて行く。ふと涼夜が立ち止まり振り返ると、肩に何かがぶつかった。
(キュブッ)
急に立ち止った事で顔面を打ち付けたようだ。涼夜は慌ててキュウに謝罪した。
「すみません、見えないのでちゃんとついて来ているか心配で」
(キュウ……キュ、キュウ!)
キュウは思い付いたように涼夜の服の裾を摘み、クイクイッと引っ張って見せた。明らか不自然に服が伸びる。
「確かに、これなら逸れませんね。キュウ、しっかり掴んでいて下さい。夢咲モールまではもう少しかかりますので」
(キュウ〜)
こうして歩く事数十分、高校の前を過ぎ坂を越えると例の夢咲モールに到着。
平日の朝だけあり人は多くない。これが昼を過ぎると一変するのだ。専業主婦達がイートスペースで世間話に花を咲かせるからである。そして夕方からは入れ替わりで学生達が雪崩れ込んで来る。
人ごみがあまり得意ではない涼夜はいつも人の少ない朝に用事を済ませる。今回も例外なく朝から行動した訳だ。
「確かレディースは二階でしたね」
涼夜はまだ気付いていない。男一人で女性ものの服を買わなければいけない事に。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎
結局、店員達に白い目で見られながらもキュウの普段着とエプロン、パジャマを購入した。流石に下着までは手が出なかったので、それはネットで探す事にした。
言うまでもなく涼夜の眼鏡は傾いている。かなりの精神的ダメージを負った様子だ。
大きな紙袋を両手に涼夜は口を開く。
「一階のフードコートにでも寄りましょうか。今なら人も殆どいませんし、端の方で座っている分には問題ないでしょう、たぶん」
(キュウ〜!)
これにはキュウも大賛成。姿を消したまま涼夜の腕に絡みついた。柔らかな感触が涼夜の左腕を包み込む。額に汗を滲ませながらフードコートに到着した涼夜は辺りを確認してキュウに合図を出す。
姿を現したキュウは椅子に座った状態。尻尾はお尻の下に敷いている為そこまで目立たない。少し座高が高く見えなくもないが。
「甘いものは食べられますか?」
「キュウ〜」
「了解です。少し待っていて下さい、私が適当に買って来ますので。あ、くれぐれも立ち上がらないように」
キュウはラジャーのポーズをとる。見事に跳ねる球体。涼夜は苦笑いで頭を掻きながらクレープ屋へ向かった。イチゴクリームをはじめ、チョコレートバナナ、キウイ等、様々なメニューを店舗上部の看板で確認出来る。メニューを見上げる涼夜。
「チョコバナナ一択ですかね、なんとなく。しかし、これが結愛ちゃんにバレると大変ですね。今度連れて来てあげないと」
涼夜はチョコレートバナナのクレープを一つ注文し、自らは隣の店の抹茶ラテを購入した。
それらを手に席に戻った涼夜は表情を曇らせた。彼女、——キュウの姿が見当たらないのだ。ひとまず、誰も居ない椅子に向かって声をかける。しかし反応はない。周囲に人は居ないものの、かなりシュールな構図だ。
それはさておき、いよいよそこにキュウが居ない事が判明した訳で、涼夜は慌てて周囲を見回した。
そして再び椅子に振り返ると、頬を染めたキュウが座っていた。
「キュウ、あれほど動かないでと言ったじゃないですか……耳は麦わら帽子で隠れてますが、尻尾は隠しきれないんですから。やけにモフモフしてますし。で、何処に行ってたんです?」
「キ、キュ……」
キュウはモジモビと小さな身体を捩らせ横を向いてしまった。その目線の先を見て何かを悟り、涼夜は話を切り上げた。わざとらしく咳払いを挟み、
「チョコバナナですが、どうぞ」
「キュウ? キュッキュッキュー!」
涼夜の直感は大当たりだった様子。キュウは両手でクレープを手に取り瞳をキラキラと輝かせた。
キュウが瞳を煌めかせ大事そうにクレープを口にする。生クリームが彼女の頬を白くした。
「キュウ、頬に生クリームがついてますよ。落ち着いて、ゆっくり食べてください。クレープは逃げませんから」
キュウは瞳を丸くし、少しの間をおいてクスクスと笑いはじめたかと思えば、腹を抱え瞳に涙を浮かべるほどに大笑いした。
突然の大爆笑に戸惑う涼夜。お構いなしに一頻り笑ったキュウは笑い涙を拭いもう一口、頬に生クリームが付いたまま、もう一口豪快にかぶりついた。
キュウの赤く染まった両頬が白い生クリームでデコレーションされる。
涼夜はそれを、口を半開きにして見ていた。
キュウはニコニコと笑い涼夜を見やる。涼夜は右手をあげ、まるで何かに操られているかのように、彼女の頬についた生クリームを震える指で絡めとった。——その時だった、
彼の指についた生クリームが姿を消した。正確には、キュウの口の中に消えた。
キュウは涼夜の指を咥えている、そういった構図が出来上がった訳で。
「……キュウ……君は何を……」
キュウは上目遣いで涼夜を見つめる。翡翠色の瞳は澄みきった南国の海のように揺らめき、彼を飲み込むように捉えている。
波音のように迫る鼓動の音が涼夜を呑み込み、そして引いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます