第5尾【飼います、家政婦なら】


 涼夜は謎の少女キュウを、ひとまず、受け入れることにした。最大の理由は結愛の強烈な一言だった。

 確かに涼夜は満足な子育てを出来ていない。それは紛れもない事実であり、現実。

 しかしだからといって身元も判らない少女を雇う、——それはあまりに常識外れだという事も理解している。

 涼夜は二人を見る。キュウは嬉しそうに結愛に笑いかけている。結愛が笑顔を返す事はないが、表情は至って晴れやか、——つまりは上機嫌。


 結愛に欠けているモノ、涼夜に埋められないモノがそこにはあった。涼夜はこの事態を正当化する理由が欲しい。とにかく、自分を納得させるだけの理由が。

 涼夜はため息を一つつき、願い事の書かれた笹の葉を結愛に返した。

 結愛は思い出したかのように笹の葉を手に取り訝しげな表情で涼夜を見上げる。


「む……!」

「見てませんよ」

「な、ならいいのです」


 彼は、嘘をついた。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 コンビニ弁当とキュウの作った味噌汁、そしてきゅう○のキューちゃんを堪能した涼夜と結愛。その姿を嬉しそうに見つめては頬を染め尻尾を振るキュウ。家族のあるべき形がそこにある。

 涼夜は黒縁眼鏡の位置を調整し徐にキュウに問いかけた。


「失礼な事を聞きますが確認をさせて下さい。キュウ、君はヒトではないのですか?」

「キュウ」


 首を縦に振り瞳を瞬かせる。


「……なら、九尾の狐、という認識で?」


 一度首を傾げ、すぐに二回、うんうん、と頷いたキュウ。涼夜の眼鏡が再び角度をつけた。

 そんな涼夜に結愛が言う。


「この耳も尻尾も本物なのです。お風呂に入った時に引っ張ってみたのです。くっついていたのです」

「ギュギョ! ……!」


 キュウは一瞬身体を震わせた後、立ち上がり涼夜の前に頭を向けた。ちょうど涼夜の鼻先にキュウの白い髪と耳が迫る。

 確かにそこに在る、耳の付け根を確認させられた涼夜の眼鏡が盛大にズレ落ちたのは言うまでもない。涼夜が呆けていると、キュウは立ち上がりワンピースをまくり上げようとする。


「わ、わかりました! 尻尾はいいですから座って下さいっ!」


 顔を真っ赤にしたキュウが結愛の隣にペタンと座った。羞恥心はある模様。


「り、理解しました。キュウ、君がヒトではなくアヤカシの類いであると認めます。もはや認めざるを得ないでしょう。キュウが常軌を逸した存在である以上、常識で物事を考える訳にもいきません。

 キュウは私達の家事を手伝う。私達はキュウに居場所を与える。ひとまず、そういった契約でどうでしょう?」


 二人の瞳がキラキラと煌く。キュウは頷く。

 涼夜は小さくため息をつき、


「さ、これから共に過ごす訳です。家事の分担など、色々決めていきましょうか」


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 こうして決まった役割を要約すると、——まず、言うまでもなく炊事はキュウで決まり。洗濯も自ら志願し譲らなかった為、結局、炊事洗濯を彼女が担う事となった。この時点でほぼ全部だが。

 涼夜は仕事の合間に部屋の掃除、休日には水回りの掃除、買い出しも任された。

 結愛は保育園があるので、キュウのお手伝いをする運びとなった。主に洗濯物の取り込みや料理の下準備などである。


 時計の針は午後十一時を回る。

 結愛の瞳が蕩ける。いつもなら夢の中にいる時間だ。首をカクンと落とし意識を失いそうになりながら目を擦る結愛をそっと抱き上げるキュウ。その表情はとても優しく柔らか。


「キュウ〜ン」

「お任せしてもいいですか?」


 キュウは笑顔で頷く。ダラリと垂れた結愛の小さな手を拾い上げるように抱きなおし、彼女は涼夜に尻尾を向ける。


 ——扉の閉まる音。その後、部屋から結愛のあの声が聞こえる事はなかった。


「私は何をしているのでしょうか……」


 涼夜は思わず言葉を漏らした。

 その後シャワーを浴び、リビングにてパソコンを起動する。表示された画面に記された時刻は深夜零時、——つい今しがた日付けが変わった。


「……水曜日、ですか」


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 例外なく朝からコーラスを披露する蝉。保育園の準備に追われる結愛。朝食を作るキュウ。ローテーブルに項垂れる涼夜。——朝が来た。


「リョウヤ君、朝ですよ?」


 結愛が声をかけるが涼夜は深い眠りの中。無理もない。早朝、四時頃までキーボードを打っていたのだから。その甲斐あってか本日の締め切りには間に合った様子だ。涼夜が仕事を終えた時にだけ飲む缶ビールがその証拠だ。

 結愛は空き缶をゴミ箱に捨てる。既に制服姿で準備万端の結愛はローテーブルの前に腰掛けた。


 そこにキュウが朝食を運んでくる。定番の味噌汁に、今朝は目玉焼きと残り物のウインナー、そしてきゅう○のキューちゃんと熱々の白ごはん。

 芳しい香りにつられて目を覚ましたのは涼夜。切れ長の瞳を瞬かせ頭にはてなマークを浮かべていた涼夜も次第に朝の訪れを認識する。


「あ、おはよう、結愛ちゃん……キュウ……」

「おはようなのです」

「キュウ!」


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 午前七時半、涼夜と結愛は玄関で靴を履く。それをエプロン姿で見送るのはキュウ。


「それじゃぁ私達は行きますね。とはいえ私は結愛ちゃんを送ってすぐに帰りますが。その間、留守をお願いします」

「キュキュ、キュウ!」


 キュウは任せろと言わんばかりに胸を張り笑顔を咲かせ、結愛の目線に合わせて屈んだ。


「キュウちゃん、帰ったら一緒にエモフレを見たいのです……」


 キュウは結愛の頭を優しく撫でた。結愛は肩をすくめたが頬の色は正直でほんのり薄桃色に染まる。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 終始ご機嫌な結愛を夢咲第二保育園まで送り、そのまま帰路につく涼夜の表情はお世辞にも穏やかとは言えない。

 蝉の大合唱を背に商店街を歩く。


 いつもの茶トラ猫が立派な尻を振りながら横切って行く。タバコの自販機と睨み合う日に焼けた男を横目に歩いていると小さな駄菓子屋が見えてきた。

 小さな駄菓子屋は既に営業を開始している。中を覗き込むと黒髪の幼女の姿。何処となく結愛に似ている。

 幼女にじろりと睨まれた涼夜は軽く会釈をし、そそくさとその場を去った。

 あの駄菓子屋はお菓子を買わない客をダイ○ンの掃除機をもって追い出す事で有名な店な訳で、涼夜はダイ○ンの餌食になる前に去ったのだ。

 ——それはさておき、雲は晴れ空は晴天、梅雨も終わり本格的に夏が訪れた。


 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


「ただいま」

「キュウ!」


 玄関を開けると張り裂けんばかりのエプロン姿のケモミミ少女が出迎えた。


「キュウ、もしかしてずっと待っていたのですか?」

「キュウ、キュキュ!」


 大きく頷くキュウ。連動して揺れる双丘から目を逸らしながら涼夜は頭を掻いた。


「リビングで休んでいてくれても良かったのですよ? さ、ここは暑いですし、中に入りましょう」


 涼夜が言うとキュウは嬉しそうに頷き頬を染め、くるりと振り返りリビングへ。その後ろ姿を見て、再度彼女がヒトではない事を痛感させられる。

 リビングで定位置に腰掛けた涼夜はテレビの電源を入れた。朝のニュース番組が映し出された。


 キュウは尻尾を振りながら星座占いを見ている。汗をかいた事で白いワンピースの生地が透け、胸元の破壊力が三割、否、五割は増している。

 涼夜は目を逸らしパソコンの電源を入れる。その時だった。


「キュキューーーーーー!」


 盛大に揺れる果実。


「うわっ、と、突然どうしたんです?」


 星座占いは天秤座が一位だった。どうやらキュウはその結果を喜んでいる様子。


「え、キュウは天秤座なのですか?」


 キュウは嬉しそうに頷き、画面の文字を読んでいる。尻尾を激しく振るものだから、ワンピースが靡き大変な事になっている。涼夜は慌てて彼女を落ち着かせた。


「九尾の狐も占いを信じるのですか? それはまぁ、九尾の勝手だとは思いますが。——今日は、大好きな人と、ショッピングに行くと、いい事がありそう、と、書いてますね……って、あれ?

 キュウは文字が読めるのですか?」


 キュウは大きな垂れ目を瞬かせ小さく頷いた。

 涼夜は徐に立ち上がりリビングを見回し、思いついたように寝室へ。その後すぐにリビングへ帰って来た涼夜が手にしていた物、それは結愛のお気に入り、エモフレミニ手帳だった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る