最終話 ひまわりのタルト(1)
「あの……せんぱい、恥ずかしいです……」
私はスカートの裾を両手で押さえながら言う。それを聞いた大路先輩は、困惑した顔で言った。
「恥ずかしいって……いつも着てる、えとわーるの制服じゃないか」
「でも学校で着るとなると違うものがあるんですよ!なんかこう、場違い感というか……それに、委員でもないのにどうして私が文化祭実行委員会に呼ばれてるんですか?」
「今日は君たちにはえとわーるの店員としてきてもらってるんだよ」
横からそう言ったのは、3年生の白井先輩だ。大路先輩によると、3年間の間ずっと文化祭実行委員を務めて、とうとう今年、実行委員長にまで上り詰めた猛者だとか。
「文化祭実行委員会では、伝統的にリフレッシメントとしてえとわーるのケーキが無償で提供されることになっている。おかげで委員たちのモチベーションも上がり、文化祭のクオリティーもうなぎのぼりだ」
「代わりにえとわーるは文化祭に特別出店が許可されている。これがwin-winというやつだね」
「「ふふふふふ」」
そう言って2人は息のあった様子で笑った。ふたりともずいぶん悪い顔をしている。
「癒着だ……文化祭利権を巡る政治的癒着がここにある……って伝統的って言ったって去年からじゃないんですか?」
先輩とはいえ、大路先輩だってまだ2年生だ。我ながら的を射た疑問だと思ったのだけれど、白井先輩は首を横に振った。
「いや、今年で5年目になる。これを始めたのは大路先輩……杏里くんのお姉さんだからね。私も初めて聞いたときは、今の君と同じようなリアクションをしたものだ」
そう言って先輩は遠い目をした。
「なるほどです。あの人ならやりかねない」
知らず知らずのうちに、私も先輩と同じように遠くに目をやっていた。大路真里、大路先輩のお姉さんでえとわーるのオーナー。自由奔放なお姫様。この間も、嵐のように現れて竜巻のように帰っていった。彼女なら、これくらいの無理はなんなく通すだろう。
「杏里くんと初めて会ったのもあのときだったか」
先輩の声で回想から引き戻される。
「そうだね。マリーと一緒に来てたから」
「中学時代の大路先輩ですか!いったいどんな感じだったんですか?」
突然前のめりになる私に白井先輩は少し目を丸くして、それからさっきと同じくらい悪い顔になった。まるで重大な秘密を明かすかのように、たっぷりとしたタメを持って白井先輩は言った。
「なんとだな……小さかったんだ!」
「大路先輩が小さい!?」
いや、考えてみれば当然のことで、生まれた時からこのサイズ感なはずはないのだけど、それでも意外だった。
「ああ、高校に入ってから一気に2,30cmは伸びただろう、杏里くん?その前は、今の私より小さいくらいだったんだ」
「へえぇ〜なんだか想像できないです」
「でもあの頃から王子様じみた振る舞いは変わらなくてね。いまとは違う可愛らしさがあったな」
そう言って白井先輩は微笑みとにやけを半々で足したような顔で愉快そうに笑った。大路先輩は、明後日の方向を向きながら抗議する
「変なこと言わないで欲しいんだけど……」
「みたいなことがあったんです」
「そうか、もう文化祭か。手間がかかるヤツが近くにいると時間が過ぎるのが早いな」
「うぐっ!」
コーヒーミルを掃除しながら内斗先輩が放った言葉の矢がぐさりと刺さった。たしかに4月から先輩達には迷惑をかけっぱなしなのだけど。
「ひまわりちゃん、気にしなくていいからね。黒木のそれは『ひまわりちゃんと一緒にいると楽しい』って意味だから」
「オージ!変な通訳するな!」
厨房から首を出した大路先輩のフォローに内斗先輩が噛み付く。
「なるほど、それもそうですね。」
「アオイ!おまえ最近先輩への敬意が足りてないぞ!」
大路先輩の言葉であっさり気をとりなおした私に、内斗先輩の苦し紛れの叱責が飛ぶ。でも、私ももうそのくらいで動揺したりしない。
「そんなことありませんよ。内斗先輩の扱い方がわかってきただけです。内斗先輩は、ツンデレです」
ガコン、と音がするように内斗先輩は固まった。
「…………オージ、今年はアレはどうするんだ?」
「あ、話逸らした」
「逸らしてない!元から文化祭の話だっただろ!」
数秒のフリーズのあと、何事も無かったように会話を再開しようとした内斗先輩だったが、その努力は大路先輩にキャンセルされた。助け船になってしまうかもしれないけれど、いつまでも先輩をからかっていては話が進まないので、私は内斗先輩に気になったワードについて聞く。
「先輩、アレってなんですか?」
「えとわーるが文化祭に出店するって話はもう聞いたんだよな?そのために毎年特別メニューを考えてるんだと。去年もオージえらい悩んでたよな?」
「へぇ!特別メニュー!」
私は大路先輩の方を向いた。特別メニューなんて素敵な響きだ。
「そう、文化祭限定の。で、今年はどうするんだ?」
内斗先輩も問いかけるように大路先輩を見る。2人分の視線を集めながら大路先輩は考えるように少しうつむいた。
「今年は……」
そういうと、先輩は私ににっこりと笑って、楽しそうに言った。
「ひまわりちゃんに考えてもらおうかな」
「え」
言葉の意味が理解出来ずに固まること数秒。
「ええぇええーーー!?」
ようやく理解して私は叫び声をあげた。
「オージ、おい、そんなこと任せて大丈夫なのか?」
「そうですよ!私、お菓子作ったことなんてないですよ!」
内斗先輩と私でふたりして異議の声を上げる。それでも、大路先輩は落ち着いた様子で首を横に振った。
「大丈夫。ひまわりちゃんならできるよ。このバイトを始めてから、ひまわりちゃんがずっとお菓子について勉強してるのを、僕は知ってるから」
「そうなのか?」
内斗先輩は意外そうに私に訊く。たしかに私はお菓子について勉強していたけれど、それを大路先輩が知っているのは私にとっても意外だった。
「勉強なんてそんな、大げさなことしてませんよ。ただ、お菓子とか材料とかについて気になったらネットで調べるくらいで」
私がそう言っても、大路先輩は『それで充分だ』とばかりに微笑みながらうなずいた。
「コンセプトさえ決めてくれれば、実現可能なレシピには僕が整える。やってくれるかい?」
大路先輩の問いかけに、私は悩んだ。明らかに荷が勝つ仕事ではある。それでも、何か私にしかできないことでえとわーるの役に立ちたいとはずっと思っていた。お菓子の勉強だって、いつか店の役に立てばいいと思ってしていたことだ。まだ充分だとは思えないけれど、人生において本番というものはいつも準備が整ってない時に来るものらしい。それに、大路先輩が私を信頼してくれている。何より、自分でケーキを創るだなんて楽しそうじゃない?
「やります!」
私はそう答えた。
「うがーー……」
それから数日後、ひまわりちゃんは、机に突っ伏して動物みたいなうめき声をあげていた。ここ何日かはバイトが終わったあと1時間程度、残業のような形で新作企画に取り組んでもらっている。
「苦戦してるみたいだね」
そう言いながら僕はひまわりちゃんの前に紅茶の入ったティーカップを置いた。黒木のコーヒーと違って、普通にティーバッグを使っていれたものだ。レシピの参考になるようにとケーキを2つ食べた甘さを洗い流せるように、砂糖は入れていない。
「せんぱい…もう頭の中ごちゃごちゃで」
若干涙目になりながらひまわりちゃんが顔を上げた。目の前の紙には苦闘の跡が残っている。どんなケーキにするか、絵に描いて教えてくれるようにと僕は指示していた。
「そっか、じゃあ、僕が先輩としてひとつアドバイスをしよう」
その言葉に、ひまわりちゃんの目に光が戻る。僕はものを創るときに、一番大切なことを伝えることにした。それだけだ、他意は無いと自分に言い聞かせながら。
「何か新しいものを作ろうとするときは、誰からでも好かれるようなものを作ろうとしたらダメなんだ。そんなことは土台無理なんだから。誰かひとり、大切な人のことを考えながら作ってごらん。きっとうまくいくから」
それでも、胸の奥がざわつくのは抑えられなかった。
(チョコレート……いや、それだと合わないな。ピールを使う?それとも……)
「ねえ、前々から気になってたことがあるんだけど」
養生テープの片端を持つ萌の声に我に帰る。いつのまにかレシピ作りのことを考えていたらしい。今は放課後だけれど教室に残って文化祭の準備をしている。私はえとわーるに行っても良かったのだけれど、バイトに集中しすぎてクラスのことが疎かになってはいけないという大路先輩の配慮だ。レシピ作りに関する先輩のアドバイスは、正直言って観念的すぎてあまり役に立たなかった。それでも不思議なことに、大まかなテーマ、方向性は固まってきた。……おっと、いけない、萌に何か質問されていたんだった。
「何?そんな改まって」
「……アオイって、大路先輩と黒木先輩、どっちが好きなの?」
「…………え?」
予想していなかった角度の質問に固まる。これがもし、「アオイって大路先輩のことが好きなの?」という質問だったら、たぶんうまくはぐらかすことができたはずだ。
「いや、てっきり大路先輩のことが好きなんだと思ってたんだけど、夏あたりから黒木先輩とずいぶん……アオイ!」
突然緊迫感を増した萌の声に、私は自分が泣いていることに気づいた。
「え、ああ、ごめん。すぐ止めるから」
そう言って私は涙を指で拭う。けれど、涙はあとから溢れてくる。萌は狼狽えているけど、それ以上に私自身が動揺していた。
「ちが、違うの。私、本当は、本当に、大路先輩のこと、好き…好きだったの。好きだったのに。いつのまにか内斗……黒木先輩が、黒木先輩のことがどんどん好きにッ……」
息がつまり、言葉が継げなくなった私の頭を萌が抱き寄せる。自分のものではない体温を感じながら私はしゃくり上げるように泣いていた。
「やれやれ、泣くことかなぁ。別に恋人って訳でもないんだから、想い続けるにせよ乗り換えるにせよ好きにすればいいのに。……自分に嘘がつけないっていうのも、難儀な性格だねぇ」
萌は呆れたようにそう言ったけれど、その声は暖かかった。
萌のおかげで数分後には私は泣き止んでいて、その後は普通に時間いっぱいまで文化祭の準備を手伝うことができた。日も短くなっていて、もうすっかり暗くなった校門をでる私に、横から誰かが声をかけた。
「久しぶりね、ひまわりちゃん」
「真里さん!?なんで日本に」
真里さんは、大路先輩のお姉さんだ。今はフランスでパティシエの修行をしているはずなのだけど。
「ちょっとばかり、旗色の悪い弟の応援にね」
先輩の応援?なんのことだろう。もしかして私のレシピ作りが行き詰まっていることを、先輩が真里さんに相談したのだろうか。
「いま、話せる?ジュースの一本くらいおごれるけど」
ジュースがそれほど魅力的という訳ではないけれど、私は真里さんに甘えることにした。今は落ち着いているけれど、少し誰かと話したい気分だった。遠すぎず、近すぎない距離にいる真里さんはそれにぴったりのような気がした。確かにトラブルメーカーではあるけれど、なんだかんだ言って私は真里さんのことを嫌いではないのだ。
炭酸は避けた。まだあたたかい飲み物には早い気がした。だから私は桃のジュースを選んだ。真里さんは合わせて缶コーヒーを買う。ガコッと自販機の取り出し口に落ちる音がする。日本にはベンチが少なすぎるとぼやきながら、真里さんは手頃なガードレールに寄りかかった。プルトップを引き、缶に口をつける。
「やっぱり味が落ちるね。黒木くんのコーヒーが恋しいなぁ」
私は、眉間に皺を寄せながら半目で真里さんの方をみた。ほとんどにらんでいるようなものである。仕方ないことだ。この人は『ケーキ屋さんではコーヒーは出さない』という理由で黒木先輩のことをクビにしかけたのだから。
「何?その目は。……って言える立場でもないか。ありがとうね、日向さん。あの時私を止めてくれて。まだちゃんとお礼を言えてなかったから」
そう言って真里さんは少しうつむいた。
「あの子たちだけだったら、諦めて私の言葉を受け入れてしまっていたと思う。や、私だって私なりにえとわーるのことを考えての話だったんだけど、でも、視野狭窄だったかなって。あなたがいてくれたからあの子たちは今でも一緒にいられるの」
言い終わると、真里さんは私をまっすぐ見つめた。
「今、悩んでることがあるんでしょう?避けようがないような二者択一を迫られても、どっちも諦めないのが私の知ってるあなたなんだけど、違った?」
小さく首を傾げる真里さん。私は目を大きく開いた。その言葉は、私が気づかなかった道を照らしてくれたように思えた。
「ありがとうございます、真里さん!」
お辞儀をして、駆け出す。いま掴んだこの閃きを離さないうちに書き留めないと。真里さんはそんな私をガードレールに寄りかかったまま手を振って見送っていた。
「頑張って。ひまわりちゃん」
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