第2話 ティラミス(2)
「納得できない!!」
休み時間の教室で、私は目の前に座る萌相手に気炎を上げていた。
「なんでこんなことが受け入れられるの!王子は『真里の言ってることは正しいよ』『オーナーの意向には逆らえない』としか言わないし!黒木先輩は『王子が構わないならそれでいい』だし!」
萌は両手を組んでうつむいている。
「というか、萌はどうしてそんな落ち着いてるの?推しカプが引き離されたんだよ!いつもの勢いはどうしたの!」
「これが落ち着いて見えるなら、落ち着くのはそっちだよ、アオイ。青い炎は赤い火よりずっと熱いんだから」
萌の言葉に込められた殺気めいた何かに気勢を削がれて、私は席に腰を下ろした。よく見ると、萌の手は小さく震えている。
「……でも、黒木先輩の気持ちもわからないでもないの。知ってる?えとわーるがアルバイトを募集したのは、アオイの時が初めてだって。」
「え?でも先輩が……」
「さて、どこから話したものか……」
そういうと、萌は語りが熱を帯びる直前特有の深呼吸をした。
——もともとえとわーるは家族経営のお店。大路先輩が高校に入学するまでは、つまりお姉さんが北高校に在学してる間は、大路先輩のお姉さんが、オーナーと店長とチーフパティシエを兼任してたの。それが去年、お姉さんが高校卒業を機にフランスに修行にでてからは、大路先輩が店を守ることになった。大路先輩もがんばっていたらしくて、お姉さんがいなくなっても店はわずかに売り上げを減らしたくらいだったそう。でも、やっぱりしわ寄せは出てくる。えとわーるの経営に力を注ぎすぎて、学校の方が疎かになった。勉強も追いつかないし、クラスでも孤立してたんだって。あの大路先輩が。それで、見かねた黒木先輩が大路先輩に言ったの。『俺を雇え』って。きっかけは、林間学校だったかな。いや、何があったとかじゃなくて、行かなかったの、大路先輩が。
始めはレジ打ちくらいしかやることがなかった黒木先輩だけど、大路先輩が店内でもケーキを食べられるようにして、ウェイターみたいな仕事もするようになった。黒木先輩も店のために何かできることはないかって考えて、コーヒーの淹れ方を勉強し始めたの。——
「それで、今に至るというわけ。なかば強引にバイトになったんだから、改めていらないと言われれば反論するのも難しいんじゃないかな」
そう言って萌は言葉を切った。
「……それ、どこからが萌の二次創作?」
「思うでしょ?100パー実話」
そう言って萌はもう一度息を深く吸い込み
「だがら゛尊゛い゛の゛ぉおぉ!!」
そう言って突っ伏して泣き出した。
「そんなの、そんなの一緒にいなきゃダメなやつじゃん」
知らず知らずのうちに、私は手を強く握っていた。
「え゛っぐ。でも、私たちに何ができるの?お姉さんを暗殺するくらいしか思いつかないよ」
「うん、だから、何か考える。2人が一緒にいられる方法を」
決意を込めて、私は言った。
「あ、もちろん暗殺以外でね」
2日後の夜。
「先輩!」
「あれ?ひまわりちゃん。もう帰ったんじゃなかったの?」
「一度帰りました」
条例に抵触するすれすれの時間、私はえとわーるに戻っていた。大路先輩が、私が手に持つ荷物を見て疑問の声を上げる。
「それは?」
私は無言でレジカウンターにそれを乗せる。そしてもうひとつ、A4サイズの紙を出した。プリントアウトしたco◯kpadのとあるレシピだ。
「先輩、私にできるのはここまでです。あとは、先輩たちの問題ですから。先輩がこれでもダメだと言うのなら、私は諦めるしかないです」
うつむく私を先輩が見つめる。
「でも……私は諦めたくありません!先輩たちは、一緒にいなきゃダメなんです」
先輩は黙ったまま私に背を向けて、スマホを取り出した。
「もしもし。僕から電話するのは珍しいかな?……そのきいきいいってる音は何?ぶらんこ?なんでぶらんこ?まあいいや。黒木、僕が構わないならそれでいいって言ったんだって?なら僕も言うよ。全然構わなくない。僕には君が必要だ」
私は息を呑んだ。
「大丈夫、作戦は日向が考えた。とびきり冴えてるぞ!きっと黒木も喜ぶ!」
電話を切ると大路先輩はちらりとこちらを見て、店の奥に消えた。戻ってきた黒木先輩の手には、古いノートが開いて持たれていた。
「父さんのレシピだ。こっちの方がいいでしょ?」
そう言って先輩は微笑んだ。
「まさか滞在中に2回も客席に座ることになるなんてね」
真里さんは笑いながら座っているが、どこか怪しむような色が声に表れている。
「来月からの新メニューにしたいんだけど、姉さんに試食してもらおうと思ってね」
そんなお姉さんを前にして、大路先輩は白々しいくらい明るく言った。私からしてみればこれは大きな賭けなので、緊張を隠すのがやっとだというのに。
先輩が『それ』をテーブルに乗せる。
「ティラミス!これ、お父さんのレシピでしょ?」
まだフォークを入れてさえいないのにそれがわかるのかと、私は内心舌を巻いた。大路先輩は笑って頷く。
「じゃあ、いただきます」
真里さんがフォークでティラミスをすくい上げ、口に運ぶ。店内に無言の時間が流れる。半分くらい食べ進めたところで、真里さんがフォークを置いた。
「……これ、いくらで売るつもり?」
真里さんの冷たい声色に私はびくっと震えた。
「マスカルポーネにいいヤツを使いすぎ。これじゃ利益は出ないでしょ。美味しいものを作ることは大切だけど、ちゃんと損益分岐点を考えないと」
言われてみるとその通りだ。メニューに採用されることを最優先に、美味しく作ることだけに注力して作ったけれど、その分高級な材料を使っていた。何か打開策はないか、大路先輩に目配せするも、大路先輩は気づかなかった。真里さんは一息おいて続けた。
「まあ、試作で背伸びするのは良くあることね。マスカルポーネは2グレードくらい下げて、まとまった注文を入れなさい。そうすれば、十分に商品にできるはずだから。……美味しいよ、杏里」
最後の真里さんの言葉は温かかった。私は胸を撫で下ろした。余裕そうに見えた大路先輩も、同じくらい胸を撫で下ろしたようだった。
「じゃあ、正式にメニューに採用してもいいね?」
「ええ、もちろん」
その言葉を聞いて、大路先輩は店の奥に手で合図をする。すると、エプロンをつけた黒木先輩が店の奥から現れた。
「はじめまして。今日採用になりました。アルバイトの黒木です」
「彼のエスプレッソが無ければ、このティラミスの味は出せないんだ」
わざとらしくお辞儀する黒木先輩。胸を張る大路先輩。真里さんは目を丸くして、黒木先輩を見る。黒木先輩は「なにか?」とばかりに小首を傾げる。大路先輩を見る。大路先輩はにっこりと笑う。もう一度黒木先輩を見る。そして、真里さんは堪え切れないように吹き出し、火がついたように笑い出した。
「あはははははは!」
お腹を抱えながら、テーブルをたたかんばかりの勢いで。
「……頭を固くするために留学してるわけじゃないでしょうに。私は」
目尻に溜まった涙を拭きながら、真里さんは呟いた。それから黒木先輩の方を向く。
「ねえ、エスプレッソがあるということは、カプチーノはいただけるかしら?喉が乾いちゃった」
私は真里さんの意図がつかみ切れず困惑した。その間にも、黒木先輩は粛々とキッチンに戻り、コーヒーを淹れていた。少したって、先輩が戻ってくる。
「!?」
その手に持っているものは確かにカプチーノだった。けれど、多い。それは、シリアルが入っていないのがむしろ不思議なくらいのサイズのカフェオレボウルに注がれていた。
「いただきます」
真里さんは目の前に置かれたそれを、平然と、当然のように両手で持ち上げた。飲んで、飲み干した。それから今度は大路先輩の方に向き直って言う。
「アンリ、こんなに美味しいコーヒーをティラミスだけに使うなんてもったいないでしょう?ちゃんとドリンクメニューとして出しなさい」
「え、でも姉さん、pâtisserieはCaféじゃないって……」
さすがに困惑の色が隠せない大路先輩に、真里さんはさも当たり前のように言う。
「あれ、いつからここがpâtisserieになったの?看板にも書いてあるでしょう。えとわーるは、昔もこれからも『お菓子屋さん』だよ」
「ふふっ、気まぐれだね。姉さんらしいよ」
大路先輩は肩をすくめながら首を振った。それから黒木先輩に向かって右手をあげる。黒木先輩は、一瞬遅れで理解して、その右手に自分の右手のひらをぶつけた。店内にぱぁんっという小気味よい音が響く。私の作戦は成功したのだ。
「……それにしてもお腹がたぷたぷになった。夕飯が入るかなぁ」
「姉さん、パジャマはここに置いておくからね。年頃なんだから、いつまでも下着で歩き回らないでよ」
「あー、ごめんうっかりしてた」
浴室の扉を挟んで、僕は姉さんに小言をいう。
「今日はびっくりしたよ。アンリが私の、というか女の子の言うことにNOって言うなんてあんまりなかったよね」
脱衣所を出ようとする僕に姉さんが声をかけたので、僕は振り返った。
「あのね、何を他人事みたいに言ってるのかな?元はといえば姉さんのせいじゃないか」
「私の?なんのことだろう」
とぼけたように姉さんが言うので、僕は大きなため息をついた。
「忘れたの?僕が3歳の時にいきなり『私がアンリを王子様にする!』って宣言して、それから丸々一年、王子になる特訓を僕にさせたんじゃないか。それ以来、未だに王子癖が抜けないんだから」
そう言って僕はあの頃を思い出す。女の子をダンスに誘うやり方や、野良犬との戦い方、歩き方、話し方、テーブルマナー。およそ6歳児が思いつく王子様に必要なありとあらゆる行動を、一年かけて叩き込まれた。さすがに乗馬は無理だった。気まぐれな姉さんが、よくまあ一年も続いたものだ。三つ子の魂百までというが、あれ以来僕は『王子様』になったのだ。
「え、そんなことあったっけ?私はてっきり……」
今度はとぼけるまでもなく、本当に忘れていた声で姉さんが言った。しかし、最後の言葉が意味深だ。
「てっきり?」
「なんでもない。でも、悪くないんじゃないの?ずいぶん女の子に人気だったじゃない」
からかうような、笑いを含んだ声で姉さんが言う。僕は、それを聞いて少しうつむいた。
「……そんなことないよ。誰からも好かれると、一番好かれたい人の一番にはなれなかったりして」
「あぁ、ひまわりちゃんか」
「……ノーコメント」
ばっさりと要約した姉さんに、僕はコメントを避けた。
「なら、いいんじゃないの?もう王子様なんてやめて。アンリの人生なんだもの。アンリの好きなように生きなさい」
言い終わると、湯船から上がる水音がした。
「……努力はしてみる」
「黒木先輩?どうしたんですか、難しい顔して」
そろそろバイトも終わりの時間、ほうきを持ったひまわりちゃんが黒木に話しかけた。確かに黒木はエスプレッソマシーンを見つめながら眉間にしわを寄せていた。黒木はひまわりちゃんには応えずに、こちらを向いて言った。
「なぁ、オージ。このエスプレッソマシーン買い換えよう」
「な!なんでですかせっかく買ったのに」
突然の爆弾発言にひまわりちゃんは驚愕と悲しみ、それと少しの不安が混ざった抗議の声を上げた。僕も概ね同意見だ。何かこのマシーンに問題でもあったのだろうか?黒木は頭をかきながら歯切れ悪くこたえた。
「いや……念願のエスプレッソマシーンが手に入ったのが嬉しくてよくこいつを撫でてるんだけど、日向が買ったと考えると、なんか、こう日向を撫でてるような気になってなぁ……微妙な気分になるんだ」
「なぁぁっ!?!?」
予想の斜め上を行く理由にひまわりちゃんの語彙力は吹っ飛んだ様子だった。顔も真っ赤になっている。僕は、さっきの黒木の3倍くらい深いシワを眉間に刻みながら黒木に釘を刺した。
「黒木、へんなこと言っても買い換えないからね。そもそもひまわりちゃんが自腹で買ってこなかったらエスプレッソマシーン導入の予定はなかったんだから」
「わかってる、わかってるよ」
そういうと黒木は頭をふるふると振って仕事の片付けに戻った。ひまわりちゃんはやり場のない感情に頬を膨らましたまま、ほうきを片付けに行った。
「……それにしても、こんなものをいきなり買うなんて。ひと月のバイト代よりも高いのに。よっぽど黒木が辞めるのを止めたかったんだなぁ……」
エスプレッソマシーンを眺めながら、僕はつぶやいた。
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