第2話 ティラミス(1)

「アボカド……」

「アボガドがどうかしたか?」

 北高生に人気のお菓子屋さん えとわーるの客の入りには、山がふたつある。ひとつ目は放課後すぐにくる生徒たち、もう一つは、部活が終わって練習の疲れを癒しにくる生徒たち。彼女たちが帰ればお客さんはだいぶ落ち着き、こうやってたわいもない雑談をする余裕ができる。

「アボガドじゃなくて、アボカドですよ、アボカド」

「……で、そのアボカドがどうかしたのか?」

 私が訂正すると黒木先輩は少しむっとした様子で言い直した。

「や、アボカドってフルーツらしいんですよ。確かに言われてみればそうだなぁって」

「アボカドが?アボカドは野菜だろ。サラダか寿司か、刺身くらいでしか食べないぞ?」

「その言い方だと、もはや海産物めいてますね……。でも、アボカドって木の実じゃないですか。それに、アボカドのアイスとかあるんですって。」

「アイス?アボカドの?」

「先輩知ってます?アボカドのアイス」

「うーん、父さんのレシピにはなかったと思うな。夏に向けての新メニューにいいかもしれないね」

 話を振られた大路先輩が、困ったように笑いながら答えた。

「co◯kpadで調べますか」

「出てくるか?アボカドのアイス」

「その伏せ字は何か意味があるのかい……?」

 そんな話をしていると、お店のドアが開く音がした。

「いらっしゃいませ〜」

 女優のように綺麗な人だ。すらっとしたスタイルに腰まであるブロンドの長髪。右手にはキャリーバッグを引いている。

「久しぶり、アンリ」

 女性が輝くような笑顔で大路先輩を下の名前で呼んだ。

「マリー!」

 大路先輩は飛び上がるようにレジカウンターを出て、マリーと呼んだ女性と熱い抱擁を交わした。

(はあっ!?)

 それだけにとどまらず、女性、マリーが先輩の頬でチュッ、チュッと二回……

「い゛っっ!?」

 私に襟首を掴まれてしゃがみ込まさせられた黒木先輩が短く苦悶の声を上げる。

「(どういうことですかぁ!先輩にあんな彼女がいるなんて聞いてませんよ!!)」

 黒木先輩の肩を掴んで揺さぶりながら小声で詰問する。

「(知らねえよ!つーかオージに恋人なんていなかったはずだ!)」

 黒木先輩も小声で答える。

「(じゃああれはなんなんですか!どう見てもお似合いのカップルじゃないですかぁ!)」

「あれ?さっきまで他の店員さんがいなかった?」

 マリーさんが大路先輩に問いかける。それに応じて大路先輩もこちらを向く気配がした。

「黒木?ひまわりちゃん?なんで隠れてるの?」

「あっハイ!」

 私は、バネ仕掛けのように飛び上がる。黒木先輩はやれやれとばかりに頭を振りながら立ち上がった。

「あら、可愛らしい店員さん」

 そう言ってマリーさんが私の方に歩み寄る。

「はじめまして。私はマリー。いつもウチのアンリがお世話になっています」

「い、いえどちらかというとお世話になりっぱなしというか迷惑ばかりかけているというか……」

 私がしどろもどろになりながら返事をしていると、大路先輩がマリーさんを手で指しながら言った。

「この人は大路真里。このえとわーるのオーナーで、僕のお姉さんだ」

 …………はい?真里さんの顔を見つめると、真里さんはいたずらっぽい笑顔で小さく舌を出した。

 ・・・なるほど!

「お義姉様でしたか!!」

「調子に乗るな、漢字でボケるな、次はつっこまないからな!」

 手のひらを返した私に黒木先輩が突っ込んだ。

「ところで、今日は突然どうしたの?パティシエの修行は?」

「フランスは日本と違って休日が多いの。それで、なんとなくね」

「相変わらずきまぐれだね」

「それより、何か食べたいの」

「いいね、夕食は何にしようか」

「そうじゃなくて、お菓子が食べたい」

 穏やかな談笑が続いていた2人の間の空気が急速に張り詰める。

「どれでもいいのだけど」

「わかった。少し待ってて。黒木、ひまわりちゃん」

 そう言って先輩は私たちを連れてショーケースの向こうに戻った。

「あの、先輩。なんでこんなにピリピリしてるんですか?」

 私は隣にいる黒木先輩に尋ねた。黒木先輩も眉毛に力が入っている。

「バカ。それくらい聞かないでも分かれ。あの人はここのオーナーだって言ってただろ?オージの仕事ぶりを確かめるって言ってるんだよ」

 なるほど、そういうことか。黒木先輩は続ける。

「日向も注意した方がいいぞ?いま皿を割ったらその場でクビになるかも」

「こら、変なこと言ってプレッシャーをかけない」

 ショーケースを覗き込んだまま大路先輩が注意する。とはいうものの、黒木先輩のいうことももっとものような気がした。

「大丈夫、そんなことにはならないよ。ふたりとも僕の自慢のスタッフだ。おちついてやりさえすれば大丈夫だから」

 私の不安を見透かしたのか、大路先輩はそう言った。そして、選び出したケーキをお盆に乗せる。黒木先輩も、コーヒーが乗ったソーサーをお盆に乗せた。私はそれを、つまづかないよう慎重に歩きながら真里さんの座るテーブルに運んだ。

「季節のフルーツのタルトとおすすめのコーヒーになります」

「ありがとう」

 そう言って真里さんはフォークを取った。タルトを食べ進め、コーヒーを飲む。

「……うん、美味しい」

 店内の空気が緩んだ。

「このコーヒーは、あなたが?」

「はい。」

 カップを持って尋ねる真里さんに、黒木先輩が答えた。真里さんは大路先輩に向き直って、続けた。

「アンリ、彼は解雇しなさい」

「……え?」

 店の空気が、もう一度反転する。

「待って、マリーなんで」

「PâtisserieはCaféではないの。領分というものをわきまえなさい」

「でも」

「内装も、私がいた頃とはずいぶん変わったよね。本当にお菓子を売るお店?」

「あ……」

 大路先輩が反論に詰まる。私の頭に萌が言った『ほとんどは王子目当てだよね。私もそうだし』という言葉がよぎった。

「そんなこと……!」

 私の言葉を黒木先輩が右手を出して制する。

「先輩……」

「わかりました、オーナー。店長、これまでお世話になりました」

 そう言って黒木先輩は頭を下げた。

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