第1話 桜のシフォンケーキ(2)

「あれ…なんで無いの!?」

 放課後、バッグの中を見て私は声を上げた。ないのだ。えとわーるの制服が。採寸してから1週間、ほぼオーダメイドで作られたその制服が手に入ったのは、つい一昨日のことだった。可愛いエプロンドレスで、一目見ただけでお気に入りになったのに。……なぜ男性スタッフ2人で回してる店に女性用制服があったのか謎ではあるけれど。そんなことより制服はどこにいったのだろう。ずっとバッグに入れていたから、失くすはずもないのに。どうしよう、このままじゃ今日のバイトに行けない。すがる思いで職員室前の落し物置き場に来たものの、やはりここにもない。

「日向さん、だったよね?」

 しゃがみこんでショーケースを覗き込む私に誰かが声をかける。振り返る。柔らかそうな髪をツインテールにした女子生徒だ。制服のリボンの色からすると、2年生の先輩らしい。

「どうしたの?困ってるみたいだけど、何か落し物でもした?」

「あ、はいっ!バイトの制服を落しちゃったみたいで」

「……それなら、私見た覚えがあるよ」

「本当ですか!」

 思わぬ手がかりに飛び上がる。

「ええ、案内するからついてきて」

 そう言って、先輩は歩き出す。私は駆け出しそうになるのを必死で抑えた。

 昇降口まで着くと、もう二人、先輩の同級生が私たちを待っていたようだ。

「ふたりも探すのを手伝ってくれるって」

「あ、ありがとうございます!」

 私は腰が直角になるくらいお辞儀をした。私が不注意で落としただけなのに、こんなに力を貸してくれるなんて。

「いいよ。私たちだってやりたくてやってるんだから」


「ひまわりちゃん、遅いな」

 いつもどおり盛況な店内で、僕は落ち着きなく左右を見渡していた。

「単なる遅刻だろ。アイツどんくさいから」

「それでも連絡ひとつ無いなんて妙だよ」

 冷淡に言う黒木に僕は反論した。

「……やっぱり探しに行く」

「おい、店はどうすんだよ」

「星野さんを呼ぶ」

 星野さんは隣の家に住む女性で、僕ら姉弟の後見人だ。僕たちが学校に行っているときに店をみてもらっている。

「ああ、もう、わかったよ。俺も探しに行くから」

「うん、お願い」

 黒木がエプロンを外し、店の玄関に向かう。扉が開いた次の瞬間には、黒木の姿はもうなかった。


「……ぁっ」

 熱い。お腹に熱い感覚がある。本当に痛いと声というものは出ないらしい。後ろから2人に拘束されて、無防備なお腹に足跡が残るような蹴りを入れられた。蹴りを入れたのは、ツインテールの、大沢先輩だ。

 本当はもっと早くに疑うべきだったのだろう。制服が落ちていたのをみたと言って連れてこられたのは、えとわーると反対側にある河川敷だった。

「確か、この辺りに落ちてたと思うんだ」

 そう言って大沢先輩が草むらを指し示す。私は、草をかき分けるようにして探し始めた。

「……?先輩?どうしたんですか?」

 かき分ける手を先輩のうち一人が掴む。私が疑問を口にすると、それには答えずにもう一人の先輩が残った手を同じように掴んだ。2人に掴まれた私は、中腰から直立の姿勢にさせられる。

「ねえ、日向さん」

 顔を上げると、大沢先輩が自分のスクールバッグに手を入れていた。そして

「あなたが探してるものって、これ?」

 先輩が取り出したそれは、紛れもなくえとわーるの制服だった。

「なっ、それ!なんで先輩が!」

 思わず前のめりになるも、拘束されていて身動きが取れない。先輩は、顔に微笑みを浮かべたまま言った。

「可愛いよね、これ。……ねえ、この制服、私にくれない?」

「なっ…!」

 それがどういう意味かぐらい私にだって分かる。驚きに言葉を無くしていると、先輩が私のお腹に蹴りを入れた。

「……ぁっ」

「もう一度聞くね?この制服、ちょうだい?」

 受け身を取ることさえ許されないダメージは深くまで届き、一撃で私の息は上がっていた。

「はぁ、はぁっ。やだなぁ、先輩じゃあその制服は胸がキツイですよ」

「へぇ、気が利いたことも言えるんだ」

 そういうと先輩はもう一度同じように蹴りを入れた。

「うぐぅっ」

 気構えや身構えでどうこうできる問題じゃない。普通、こういう時の攻撃ってビンタとかじゃないだろうか。顔を狙わないのは、女子の情けだろうか。……いや、違うな。先輩は私が、隠そうと思えば隠せる場所を狙っているんだ。

「あのね、私はこの一年、ずっと王子のことを見てきたの。ファンクラブだって一桁だよ?それなのに、それなのになんでアンタみたいなぽっと出がこの制服を着てるの!!」

 ずっと笑みを浮かべていた先輩が初めて声を荒げた。

「えとわーるのバイトは今日で辞めなさい。そうすれば見逃してあげる、いいでしょ?」

 ……なんで私がえとわーるのバイトをしているのか、それは私にも謎だった。ほんの偶然に手に入れた立場だ。何か努力して得たわけじゃない。私よりも、本当にこれを望んでいる人がいるなら、その人が手に入れるべき立場ではないか?そうすれば、私ももう痛い思いをせずにすむ……

「…………だ」

「聞こえないよ?もっと大きな声で言って?」

 先輩が腰をかがめて私の口に耳を近づける。

「いやだ!!!!」

 私は叫んだ。突然の大音響に先輩が怯む。

「運命だとか偶然だとか、ふさわしいとかふさわしくないとか知らないよ!私はもうえとわーるの一員なんだ!私は、こんなことでそれを諦めたくない!」

 気圧されていた先輩が、落ち着きを取り戻し呆れたように首を振った。

「突然のことで、頭に血がのぼってるんだね。大丈夫、考える時間をあげるから」

 そういうと先輩は再びスクールバッグに手を突っ込んだ。今度とりだしたのは、裁縫セットに入っている裁ちばさみだ。

「動かないでね?私だって、あなたを殺したいわけではないから」

 そう言って、先輩は私の前髪を乱暴に鷲掴みにした。

「この長さでも、伸びるには半年くらいかかるかな。その間、ゆっくり考えていいよ」

 金属がこすれあう音を立ててハサミが大きく開く。頭皮に冷たい感触。思わず目を閉じる。こんな時、物語の王子様なら助けてくれるのに


「ひなたっ!!」

 声が聞こえた。

 目を開ける。息を切らした黒木先輩の姿がそこにはあった。駆け寄ってくる黒木先輩。後ろの2人の動揺が腕を通して伝わってくる。

「ウチのバイトに何してんだ!」

 黒木先輩が詰め寄る。

「ち、近寄らないで!」

 ツインテールの先輩が、裁ちばさみを両手で持って黒木先輩に向ける。しかし、黒木先輩は止まらず、そのまま近づいて裁ちばさみの刃を左手で握った。

「!?!?」

 ツインテールの先輩が、驚きで固まる。黒木先輩は右手を大きく振りかぶって

「やめなよ」

 一瞬、全てが停止する。張り上げたわけではないのに果てまで通る絶対零度めいた声。大路先輩が、砂利の道を一歩ずつこちらに歩いてきていた。そして、黒木先輩の右肩に手を置く。

「黒木、君の手は美味しいコーヒーを淹れられる手だ。女の子を殴っていい手じゃない」

「けど」

 大路先輩は黒木先輩の反論を無視して、伏し目がちな視線を大沢先輩に向けた。

「王子……これは、その……」

 大沢先輩は、私を嬲っていた時の余裕など見る影もなく震えていた。

「大丈夫、何も言わなくてもわかるよ」

 先輩がビクッと震える。両手から力が抜け、だらりと下がった。大路先輩の右手が上がる。そして

「寂しい思いをさせてしまって、ごめんね」

 大沢先輩の頬に優しく触れた。


 どうして先輩が謝ってるの?


 それから、先輩の顔が、あの女の顔に近づいて。


 唇が触れ合った。


 数秒か、あるいは数日か。それがどれだけの時間続いたかわからない。けれど、ツインテールの先輩が膝から崩れ落ちてその時間は終わった。

「これで、許してくれるかな?」

「あ、、あ…」

 先輩は、正常な言葉を発する機能を失っているようだった。大路先輩は、その先輩に目もくれずに、私の方を、私を通りこして後ろの2人を見ながら言った。

「君たちもするかい?」

 背中に冷たいものが走った。拘束していた手の力が抜ける。私は、よろめくように一歩離れ2人の間から抜け出した。黒木先輩が私の肩を抱き、間に割って入るようにしてかばう。2人は、首をぶんぶんと横に振っていた。

「そう。じゃあ、僕たちは帰るから。もうこんなことしちゃだめだよ」

 そう言って、先輩は彼女たちに背を向けて私に向き直った。

「大丈夫?歩ける?」

「はい、大丈夫です」

 背後から3人分の足音が離れていくのが聞こえる。

「辛いようなら、黒木に肩を借りるといい」

「はい、でも本当に大丈夫です」

 そして、私たち3人はえとわーるに向かって歩き始めた。その間、一連の出来事が消化しきれずにお腹の中をぐるぐる回っていた。


「おい、お前の家はこっちじゃないだろう」

 ぶらんこに座る私を見下ろしながら黒木先輩が言った。

「先輩、ついてきてたんですか」

 あの後、バイトは普段通りすすんだ。どさくさに紛れて投げ捨てられていた私の制服は、運良くそれほど汚れておらず、草を払うだけで着ることができた。店に戻った大路先輩は、いつもどおりに笑顔を振りまいていた。あんなことがあったのに。

「ぶらんこに乗るとか、小学生かよ」

「考えごとするときには動き続けるってポリシーなんです」

 先輩は少し黙り込んで、隣のぶらんこに腰を下ろした。鎖がこすれあって音を立てる。

「考えごと……大路のことか」

「先輩、大路先輩って、あんな人なんですか?」

 あまり大きくない公園を、わずかな街灯が照らしている。

「あんなって、どんな?」

「それは……恋人じゃない人とも平気でキスするような」

「絶対に違う。俺の知る限りでは」

 黒木先輩の語気が静かに強くなった。

「じゃあ、なんで」

「さあな。俺があいつについて勘違いしてたのか、それか、変わらなきゃいけない理由ができたのか」

 黒木先輩が噛みしめるように言う。それから、私たちの間に沈黙が流れた。

「そうだ。まだ、ちゃんとお礼が言えてませんでしたね。ありがとうございます。助けてくれて」

「助けたのは大路だろ。俺は何もできてない」

 私が首を横に振る。

「いえ、黒木先輩が来てくれてなかったら、大路先輩も間に合わなかったと思います。それに……」

「それに?」

 先輩が、怪訝そうにこちらを見る。私は、少しうつむきながら続けた。

「嬉しかったんです。黒木先輩が私のことを『ウチのバイト』って言ってくれて」

「あれはその場の勢いだ」

「ひどい!!」

 そう言って、私は吹き出す。黒木先輩もつられたのか少し笑った。


 翌日。日も暮れて、北高の生徒のお客さんの最後の1人も帰っていった。あとは、駅から帰る人や何かの拍子に思い立ってケーキを買いにくる人がまばらに来るくらいだろう。今日は誕生日ケーキの予約もなかったはずだ。徐々に明日の準備に移っていこう。

「先輩」

 店内を一通り掃き終わったひまわりちゃんが僕に声をかける。

「どうかした?」

「なんであんなことしたんですか」

 それが昨日のことだとはわかった。ひまわりちゃんはうつむいている。

「『王子様』だからかな。女の子を傷つけるわけにはいかないんだ」

「……じゃあ、私がキスして欲しいって言ったらキスしてくれるんですか?」

「ぶーーーっ!!!」

 予想外の角度からの攻撃に盛大に吹き出す。サラリーマンの接客をしている黒木が訝しげにこちらを見た。

「えっとだな……」

 ひまわりちゃんの方に向き直ると、向こうもこちらを見ていた。視線が絡まる。

「大人をからかうもんじゃありません」

 腰に手を当てながら、諭すように言う。ひまわりちゃんは不満げに返事をした。

「大人って……確かに先輩は先輩ですけど、1歳違いじゃないですか」

「うー」

 反論に窮する。これはえとわーるのパワーバランスが揺らいだかもしれない。どうやらはぐらかすことはできないと悟って、答えを真面目に考える。

「……キスは、できないよ。大事なことだからね」

「よかった。私が言いたいのもそういうことです」

 僕の返事を聞いて、ひまわりちゃんは安心したように言った。その言葉に込められた意味が分からず、少し首をかしげてひまわりちゃんを見る。

「キスは大事なことだから、もうあんな風には使わないでください」

 ひまわりちゃんはそう言って、ほうきを片付けに行った。

「……仕方ないな。女の子の頼みは聞かないとね」

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