第九話 風呂があるなら大丈夫

   

 そのまま少しの間、しんみりとしてしまう俺。

 いや俺だけではない。香織かおり真理まりも何も言わず、黙ったままだった。

 しばらくは、このまま余韻に浸るかのように、静寂が室内を支配するのだろう。

 そう俺は思ったのだが、予想に反して。

 ガチャガチャとか、ガサゴソとか、真理の方から物音が聞こえてきた。

「……ん? いったい何をやって……」

 疑問を口にしながら、俺がそちらへ振り向くと。

「何って、ただ着替えてただけよ?」

 洋服タンスからシャツを取り出す手を止めて、下着姿の真理が、平然と返してきた。


「……!」

 いやはや、何と言うべきか。

 鎧姿ではわからなかったが、こうして見ると、真理はスタイルが良い。胸の膨らみも腰のくびれも、過不足なく適度な感じだ。まあ人によっては「巨乳好き」とか「貧乳好き」とかもいるのだろうが、俺――偏った趣味ではないと自負している――から見れば、真理の体つきのバランスはパーフェクトだ。

 香織の裸も下着姿も見たことはないが――だから憶測に過ぎないが――、おそらく姉妹ともに同じくらいではないだろうか。さすが双子だ。

 ちなみに『下着姿』という言い方は曖昧だが、それなりの面積を覆ってくれるインナーシャツではなく、今の真理は肌色率が高い状態だった。わかりやすく言うならば、ブラジャーとパンティーだけ、という格好だ。十代女性の瑞々しい素肌と水色の下着の組み合わせは、芸術的な美しさを感じさせるほどだった。


 ……と記してしまうと、女性の半裸をジロジロ観察していたように思われるかもしれない。だが、むしろ俺の視線は、真理のブラジャーとパンティーそのものに釘付けになっていた。

 本当か嘘かは知らないが、女性のパンティーは男性下着よりも伸びる素材で出来ていると聞く。しかし、だからと言って、十年前の幼女用パンティーが今でも着られるとは考えられない。そもそも目の前のパンティーとブラジャーはどう見てもセットであり、十年前の真理は、まだブラジャーが必要な年齢ではなかった。

 要するに、俺が言いたいのは「真理が現在着用している下着は、この世界に彼女が持ち込んだものではなく、ここに元から存在しているものだ」ということ。

 俺は勝手に「中世ヨーロッパ風のファンタジー世界では、下着事情は、俺たちの世界とは大きく異なるのだろう」と考えていたのだが……。

「ああ、ブラジャーもパンティーも変わらないんだなあ……」

 感動すら覚えて、頭の中の言葉が、素直に口から出てしまった。

 それが引き金になったかのように、

「マサハルお兄ちゃんのエッチ!」

 突然、視界が真っ暗になった。

 後ろから抱きついてきた香織が、その手で俺の両目を覆ったのだ。

「いや、そういう意味じゃなくて、この世界に関する考察を……」

「言い訳、ダメ! 絶対!」

 香織はグッと力を入れて、俺の目を押さえつける。

「真理お姉ちゃんの着替え、マサハルお兄ちゃんは見ちゃいけません!」

「あら、私は気にしないわよ。マサハルにだったら……」

「ダメです! 真理お姉ちゃんも気にしてください!」

「まあ、これに関しては香織の方が正しいだろうけど……」

「ほら! わかってるなら、ちゃんと目は閉じといてください!」

 香織は手のひら全体で俺の視界を遮っており、直接的に触れているのは目やまぶたではなく、目の周りという感じだ。サミングのように指でグリグリと眼球を押しているわけではないから、俺の方にも、別に痛みはない。その点は心配ないのだが……。

 問題は、背中の感触だった。

 香織は手だけに力を入れるというより、全身にも力を入れてしまっていたのだ。テレビゲームのレースゲームでコーナリングの際に自分の体も傾けてしまう人と同じで、無意識の行為なのだろうが……。

 結果、必然的に。

 香織は俺の背中に、やわらかな胸の膨らみを押し当てる状況になっていた。

「……」

 洋服越しではあるが、十分に伝わってくる。

 それに、視界が真っ暗だからこそ。

 たった今目にした真理の半裸姿が、あらためて俺の脳裏に浮かぶ。

 その映像の中の、真理の胸の膨らみと。

 背中から感触で伝わる、香織の胸の膨らみと。

 同じものである以上、この状態では、かえって意識してしまう……!


 そんな感じで、脳内の視覚と背中の感触で、おっぱいのサンドイッチ状態だったわけだが。

「きゃあっ!」

 突然、耳から入ってきた真理の悲鳴。

「えっ、何? 何が起こった?」

「ウッカさんが来ました」

 状況のわからぬ俺に、香織が解説してくれた。

 まあ『解説』という意味ではありがたいが、密着した状態でこれだと、耳に息を吹きかけられる感触というオマケ付き。

 良い意味でも悪い意味でもゾクっとして、一瞬ブルッと体が震えてしまった。こうした反応、香織にも――俺の背中に胸を押し当てている彼女にも――当然、伝わっているよなあ。なんだか恥ずかしい。

「着替え中よ! 覗かないで!」

 真理の叫びと同時にドスンという音がしたのは、ウッカに向かって何か投げつけたのだろう。

「酷いなあ、マリィの姉御。あっしと姉御の仲じゃないですか。今さら……」

「今までだって、いつも言ってきたでしょ! 覗き厳禁って!」

「あっしとは女同士なのに……。あっしがダメで、マサハルお兄さんはOKなんですか?」

「都合のいい時だけ『女』にならないで! あんたの目つき、いやらしいのよ! 女の子の目つきじゃないわ!」

 真理に続いて、香織もウッカに言葉を投げかける。

「マサハルお兄ちゃんも、見てません! ちゃんと私が、カバーしてますから!」

 三人の女性の会話を聞きながら、ふと考えてしまう。

 俺の前で平気で着替え始めた真理に対して、俺は「この世界では下着姿を恥ずかしいと思う感覚はないのだろう」と思ったのだが。

 どうやら、異世界云々の問題ではなかったらしい。真理の個人的な感覚だったようだ。

 俺に見られるのは平気なのに、ウッカに見られるのは嫌だという真理。彼女の羞恥心は、一体どういう基準になっているのだろう?


「あっしは別に、マリィの姉御を覗きに来たわけではなく……」

 少しウッカの声が遠くなったのは、部屋の中を見えない位置に移動したのだろうか。

 相変わらず視界を遮られた状態で、そう俺は推測する。背中から伝わる感触も続いているので、そちらに意識を集中しないためにも、何でもいいから他のことに頭を使っていた方が良さそうだ。

「じゃあ何しに来たの?」

「伝言があるんですよ。夕食の準備、もう少しかかりそうだから、先に風呂に入っちゃってください、って」

「……風呂? 風呂があるのか!」

 女性陣の会話に混ざるつもりはなかったのに、思わず俺は叫んでしまった。

「ええ、もちろんありますよ。マサハルお兄さん、うちをいったい何だと思ってたんですか?」

「ああ、すまん。この世界のこと、まだよくわかってなかったから……」

 正直に返す俺。

 別にハッチ家の生活水準に関して何か含むところがあるわけではなく、異世界全般に関する誤解だった。先ほどのブラジャーやパンティーの件と同様、俺は「中世ヨーロッパ風のファンタジー世界ならば、シャワーは存在しても風呂はないのだろう」という偏見を持っていたのだ。

「そうか、風呂があるのか……。ちょっとホッとしたよ」

 やはり日本人ならば、浴びるだけのシャワーではなく、ホットなお湯に浸かりたいものだ。

 しみじみと思う俺だったが、その気持ちは、口調にも表れていたのだろう。

「でしたら、マサハルお兄さんからどうぞ」

 ウッカの声は、とてもあたたかく聞こえた。


 真理と香織を部屋に残して、俺はウッカの案内で風呂場へと向かう。

 浴室は一階の奥にあり、脱衣場の先に風呂場という、ごくごくシンプルな構造。これに関しては元の世界と同じなわけだが、明らかに違う点もあった。

 まだ服を着たまま、ガラッと風呂場の扉を開けただけで、

「おお! 広い!」

 俺は大声で叫んでしまったのだ。当然のように、風呂場では声もよく響く。

「そういえば、マリィの姉御も、最初そんなような反応でしたねえ」

 ただし広いといっても、旅館やホテルの大浴場ほどではない。浴槽も洗い場も、実家の風呂の二倍くらいの大きさだ。だが、そもそも風呂は一人で入るものだから、それが『二倍』である時点で、どれだけゆったり出来ることか……。

 そういえば、真理の部屋のベッドも「ダブルベッドか?」と思うほどだった。もしかしたら、この世界の『一人用』は何でも『二人用』くらいの大きさなのかもしれない。

 淡いピンク色の浴槽には、すでにお湯が張ってあった。

「一応、使い方を教えておきますね。お湯の温度は、ここで調節できますから」

 ウッカが俺の手を引いて、浴槽の右隅にある器具のところへ。考えようによっては「お風呂で女の子と二人きり、しかも手を握られた!」という状況なわけだが、ウッカ相手だと、特にドキドキしたりはしない。外見的には、ウッカだって十分に魅力的な女性のはずなのに、少し不思議だ。

「お湯の温度を上げたい時は赤いスイッチ。下げたい時は青いスイッチに触れてください」

 ウッカの説明を聞く限り、まるっきり、元の世界の給湯パネル。

「これって……。ガスとか電気とかってわけじゃないよな?」

「何ですか、それ? ……ああ、あっちの世界の技術ですね。もちろん違います、これも魔法の応用ですよ。普通に、火炎魔法フレイムと氷冷魔法アイスを組み込んだ器具です」

 続いて、シャワーの説明。洗い場にはシャワーが一つ設置されているが、そこにも赤と青のボタンがあり、押せばお湯の温度が変わるのだという。

「ありがとう。それだけ聞けば、大丈夫そうだな……」

 二人で脱衣場に戻ったところで、

「じゃあ、あっしはこれで」

 さらにウッカは、脱衣場からも出ていく。

「マリィの姉御が入るなら、あっしも見たいですけど……。男の裸には、興味ないですからね」

 冗談なのか本音なのか、少しわかりにくい言葉を残して、ウッカは姿を消した。


 一人になった俺は、服を脱いで、再び風呂場へ。

 かけ湯程度に、軽くシャワーを浴びた後。

「ふう……」

 湯船に浸かって、思いっきり手足を伸ばしていた。

 湯加減も完璧で、温度調節の説明など必要なかったくらいだ。この広さのお風呂に一人で入っているというだけで、何だか少し贅沢な気分になってくる。

 そのまま腕も脚もユラユラと、お湯の中でたゆたうに任せて、何も考えずにリラックス。異世界に来てしまったことも、これからの心配も、ひとまず忘れよう。

「とりあえず異世界は異世界だけど、風呂があるなら、それだけで大丈夫って思えてくるよなあ」

 小声のつもりの独り言も、風呂場では大きく聞こえた。


 そんな感じで。

 お湯の心地良さに浸って、しばらく時を過ごしていたのだが……。

「真理お姉ちゃん。本当に、いいのかなあ?」

「お姉ちゃんに任せなさい! まだ香織は、この世界のこと、よくわかってないでしょう?」

 空耳だろうか。香織と真理の声が聞こえてきたような気がする。

「……ん?」

 俺は首の向きを変えて、脱衣場と風呂場を仕切るガラスの扉に目を向けた。

 その曇りガラスを通して、ぼんやりと人影が二つ。

 しかも、肌色の人影だ。

「まさか……」

 俺の嫌な予感が言葉になるより早く、ガラス戸がガラッと開く。

 そして入ってきたのは、

「マサハル! 私たちも入るわね!」

「……お邪魔します」

 すっぽんぽんの真理と香織だった!

   

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