第八話 ようやく揃う一足の靴
十年前から変わらぬ若さを保っているという、ステファニー・ハッチ。
どんな魔法が存在する世界なのか、俺にはわからないが……。この世界の魔法使いであるウッカまでもが「ちょっと怖いくらい」と言うくらいだ。若い外見を固定する魔法があるのだとしても、ありふれているわけではなく、秘術の
魔法かどうかは、ともかくとして。とりあえず、見た目ほどは歳が離れていないと理解して、あらためてウッカ父――カーク――に視線を向けると。
俺と目が合ったカークは、少し悲しげな声で呟いた。
「面目ない。逆に私は、年齢以上に老けて見られるからなあ……」
「ああ、それも。娘のあっしから見ても同意ですね。あまりに急激に老けたから、まるで母さんに若さを吸われてるみたいですよ。ハハハ……!」
「まあ、ウッカったら。ホホホ……」
冗談として笑い飛ばす母娘だったが。
若さを吸われるって……。それ、魔法やモンスターの存在するファンタジー世界では、シャレにならないのでは……?
「ところで、マリィ。マサハルとカオリには、どこまで事情を話したのかね?」
もう年齢の話題は終わり。そう言わんばかりの態度で、カークが
「事情って……?」
「ほら、この世界に来た時の話とか、その後の経緯とか……。ここまでの道すがら、ある程度は語って聞かせたのだろう?」
「えっと、それは……」
真理が一瞬言葉に詰まった隙に、横からウッカが助け舟を出す。
「それに関しては、まだ一切、話してませんね。まあ、他にも説明するべき話がありましたし……」
「俺や
俺も、そう言っておく。矢継ぎ早に質問した、というほどでもなかったが、まあ俺たちのせいにしておいた方が無難だろう。
「そうか。では、あらためて、順序立てて最初から話したらどうだ?」
「そうね。えーっと、まず……」
カークに向かって頷いてから。
真理は俺と香織の方を向いて、語り始めた。
もはや幼少期の記憶なんて曖昧な部分もあるだろうに、いくつかの出来事は、強烈な印象と共に、しっかりと心に刻まれているらしい。
例えば、十年前に真理を――そして今回は俺と香織を――こちらの世界に引きずり込んだ、あの空間の歪み。あれだけは絶対に忘れられないという。
「いつか同じものが現れたら、それに飛び込めば元の世界に戻れるかもしれない……。そう思うこともあったわ」
「マリィの姉御、そんな乱暴なこと考えてたのですか? ダメですよ、まったく……。召喚の
「こらこら、二人とも。いきなり最初から、話が脱線しているではないか」
カークの軌道修正で、真理は、この世界に来た時の話に戻す。
「私が、あの歪みを通ってきた先は……」
俺たちの場合と同じく、意識を失っていた真理。気が付いた時には、不気味な森の中だったという。
「もう、びっくりしたわ。だって、川で遊んでいたのに、いきなり森でしょう? 一緒に遊んでいたマサハルや香織も見当たらないし……」
「真理お姉ちゃんの言う『森』って、もしかして……?」
話の腰を折る香織に対して、真理は迷惑そうな顔もせず、むしろ笑顔で応じる。
「そう! 先に種明かしすると、あの『回復の森』! 全く同じ地点ってわけじゃないけど、でも同じ森だったの!」
「わあ、すごい偶然!」
いやいや、偶然ではないだろう。
心の中で香織にツッコミを入れながら、俺は正面のウッカに眼を向ける。
目が合ったウッカは、求められている役割を理解したらしく、
「あそこは、特別な森でしてね」
と、説明を始めた。
そもそも、あの森が『回復の森』と呼ばれるのは、奥に不思議な泉――『回復の泉』――が湧いているからなのだという。青く澄んだ湧き水で、冒険者が飲めば、体力や魔力が回復する。冒険者だけではなく、街の一般市民が口にしたら怪我や病気が治った、という話もあるらしい。
「たぶん泉の水を吸って育つからなのでしょうが、森の樹々も元気ですしねえ」
ああ、なるほど。俺が最初に「ここは異世界だ」と考える根拠となった、妙に生きが良い緑たち。あれは「異世界だから」ではなく、『回復の森』限定の現象だったのか。
「森の植物だけじゃないわ! モンスターも、他より元気なのよ!」
「その分、経験値も報奨金も稼げますから、あっしたちのように『回復の森』に足繁く通う冒険者も結構いまして……」
おそらく真理の場合は、それだけではないのだろう。自分の出現ポイントが『回復の森』だったことから、いつか他の人間も出てくるかもしれない、という淡い期待があったに違いない。そして期待通りに、俺と香織が現れたわけだ。
一応、今の説明で『回復の森』の特別感は理解できたが、だからといって、召喚現象と明確に結びついた特別性ではなさそうだ。
そんなことを俺が考えていたら、
「……十年前には、あっしの両親も、そうした冒険者の一組だったわけです」
「だから私は、おじさんとおばさんに助けてもらえたの!」
と、真理が話を戻すように、ウッカが上手く誘導していた。
俺は黙って、正面の二人――カークとステファニー――を見比べる。
香織は俺よりも明らかに、声に出して反応していた。
「お二人も冒険者なのですね!」
「うむ。もう引退してしまったがね」
「こう見えても私、昔は結構やり手の魔法使いだったのですよ。ホホホ……」
何がどう『こう見えても』なのかわからないが、ステファニーの笑い声、ちょっと怖くなってきた。『結構やり手の魔法使い』ということは、本当に魔法で配偶者から何か吸い取っているのでは……?
「助けられた私は、事情を説明して……。行くところのなかった私を、おじさんとおばさんが、実の娘のように育ててくれたのよ」
ここで真理は姿勢を正して、カークとステファニーの方に向き直り、
「本当に感謝しています。ありがとう、おじさん、おばさん」
ペコリとお辞儀する。
「あらあら、今さら……」
「私たちは、冒険者として当然のことをしたまでだよ」
「拾った孤児の世話をするのも、冒険仕事のうちですからね」
この世界の常識に疎い俺でも、さすがに「それは謙遜だろう」と思う。みんながみんな、そこまでするわけでもあるまい。この二人は、懐が広いのだろう。
右も左もわからぬ異世界に流された真理。彼女と出くわしたのがカークとステファニーだったのは、不幸中の幸いだ。俺も心の中で感謝しながら、あらためて二人に視線を向けると……。
「さてと。私たちは、そろそろ夕食の準備を始めましょうか」
ステファニーが立ち上がり、横のウッカにチラッと視線を送る。
「ああ、そうですね。今夜は、カオリさんとマサハルお兄さんの歓迎会だ。食材も買い込んできましたし、豪勢な料理を用意しないと!」
「それなら、私も……」
ウッカに続いて、真理も立ち上がるが、
「あなたは手伝わなくて結構よ」
ステファニーが、右手を前に突き出して制止した。
カークも、妻の言葉に頷いている。
「そうだぞ。マリィには、マサハルとカオリの相手があるだろう。まずは、部屋に案内してはどうかね? だいたい、まだ着替えてもいないじゃないか」
「あら、そういえばそうね。やだわ、マリィったら。それにウッカも……」
家に帰っても、冒険者の格好のままだった真理とウッカ。ダブダブの黒いローブを着たウッカは、幼稚園児のスモックのようなものだと思えば、まあ家の中でも違和感はない。だが、いかにも戦士然とした真理の赤鎧は、室内では完全に浮いていた。
ただし、俺は「浮いて見えるのは自分が元の世界の常識に捉われているから」と考えて、自分を納得させていたのだが……。
この世界でも、やはり家に帰ったら鎧は脱ぐのが当たり前らしい。
ウッカの黒ローブを「スモックのようなもの」と思ったのは、あながち間違いでもなかったようだ。彼女はローブ姿のまま、母親の料理を手伝い始めていた。
一方、真理は、
「そうね。着替えもあるし、じゃあ私の部屋に行きましょう!」
と、俺たち二人を二階へ連れていく。
一段一段が高めで、踏みしめればミシッミシッと音が鳴る、木製の階段。そこを上がってすぐのところにある部屋が、真理の私室らしい。
「ここよ! さあ、入って!」
中は、結構な広さだった。
パッと頭に浮かんだのが、大学生の一人暮らしのワンルーム。そう、京都で俺が暮らしている部屋と、ちょうど同じくらいの規模だ。
ただし、内装は殺風景な感じ。壁も天井も白い部屋の中には、淡い黄色のカーテンがついた窓と、同じくクリーム色のベッド。ベッドは大きめで、一瞬「ダブルベッドか?」と思ってしまうほどだった。
家具は他に、小さな木製のテーブルと椅子が一組。全身を映せる鏡が一枚と、洋服タンスらしき大型の棚と、小物入れを大きくしたような小型の棚。それだけだった。
あまり「女の子の部屋」という感じはしない。おかげで、俺は緊張せずに済むわけだが。
「適当に座ってね。椅子は一つしかないけど、ベッドに座っちゃっていいから」
そう言って真理は、俺たちに背を向けて洋服タンスの方へ。
おい、まさか俺がいる前で着替えるつもりじゃなかろうな……?
俺が内心で心配していると、
「あっ!」
香織が大声を上げた。
「どうしたの、香織?」
真理は立ち止まって、香織に向き直る。
俺も香織の方に視線を向けると……。
「真理お姉ちゃん、あれって……」
香織は、少し手を震わせながら、ベッドを指し示していた。いや正確には『ベッドを』ではなく、その枕元だ。ざっと室内を見回した時には見落としていたが、枕元には写真立てが置いてあったのだ。
「おい、これは……」
中の写真に気づいて、俺も声が出てしまう。
そこに写っているのは、小さい頃の真理と香織と俺だった。
「懐かしいでしょう?」
少し恥ずかしそうな真理の声だが、顔に浮かぶ笑顔は、写真の中のものと同じだ。後に離れ離れになるとも知らずに、三人で肩を組んで笑っていた、幼少期の俺たち……。
考えてみれば。
そもそも写真自体、ファンタジー世界には似つかわしくない気がする。だから写真立てを見た時点で、真理が持ち込んだ写真だと気づくべきだった。
もっと言えば、ウッカが「写真で拝見した」と口にした時点で、ピンと来ても不思議ではなかったのだ。
そして。
そこには『真理が持ち込んだもの』が、もう一つあった。
「ああ、こんなところに……」
呟きながら、歩み寄る香織。
まるでお供え物のように、写真に添えられていたのは、小さな赤い靴。十年前のあの日、まだ幼かった真理が履いていた――そして真理と一緒に異世界へとやってきた――片方だけの靴だった。
「真理お姉ちゃん……」
嬉しそうにも悲しそうにも見える複雑な表情で、香織は、小さな赤い靴と真理とを見比べる。続いて、自分のブレザーのポケットに手を突っ込み、同じ赤い靴を取り出した。
「あっ!」
俺は小さく叫んでしまう。
そう言えば香織は、川原では「真理お姉ちゃんの日ですから」と言って、残された靴を握りしめていた。そのまま空間の歪みに捕まって、こちらに来たわけだから、当然、靴も持ったままだったのだ。それを彼女は、いつのまにか、ブレザーのポケットの中にしまっていたらしい。
香織は、自分が持ってきた方を、真理が履いてきた片靴の横に置く。ずっと枕元に置かれていた片靴は、窓から差し込む日光の影響で、少し色褪せていた。
単体では目立たない変色具合も、二つ並べるとハッキリしてしまう。この差こそが、十年という歳月を意味しているのだろう。
「そうか……。十年ぶりに、一足の靴が、ようやく揃ったんだな」
感慨にかられて、そう俺は呟いていた。
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