第七話 元に戻れる可能性

   

「でも、もう必要ないわ! 二人の方から、私の世界に来てくれたんですもの!」

 俺の左手を握る真理まりの右手に、ギュッと力が入る。おそらく反対側でも同じように、香織かおりの手を強く握り締めているのだろう。

 なるほど、俺たちと会うために、今まで真理がケチケチと金を貯めていたのだとしたら……。

 ふと、組合ギルド――冒険者組合ジエス支部――で耳にした言葉を思い出す。食堂ホールにいた冒険者の一人が、真理の「二人は私の故郷から来た」に反応して「召喚に成功したのか!」と言っていたではないか!

 それって、つまり……。

「もしかして、真理お姉ちゃんが貯金を切り崩して、私たちをこの世界に呼んだの?」

 まるで俺の思考を読んだかのような、香織の質問。

 だが真理は、苦笑いを浮かべて、首を左右に振る。

「ねえ、香織。お姉ちゃんの話、ちゃんと聞いてた? 私は元々、マサハルたちの世界に帰るつもりで、お金を貯めてたのよ」

 言われてみれば、確かに真理は、そう言っていた。自分が帰還するのと俺たちを呼び寄せるのは、『再会』という部分は同じだが、それ以外は大違いだ。


 モンスターに襲われたり、真理と再会したり、魔法や魔道具を目にしたり……。衝撃的なことが続いたので、今の今まで、頭の中から抜け落ちていたのだが。

 そう、帰還だ! 俺だって、帰れるものならば帰りたい!

 この世界で十年も暮らしてきた真理には悪いが、ここは本来、俺たちがいるべき世界ではないはずだ。ホラー映画で真っ先に殺されるモブの「こんな場所にいられるか! 先に帰らせてもらう!」という気持ちが、今ならば少し理解できるくらいだった。ただし、俺の場合は「一人で先に」ではなく「真理や香織と一緒に三人で」なわけだが。

「なあ、真理。金さえあれば、元の世界に戻れるのか?」

 お願いだから否定しないでくれよ、と内心ビクビクしながら、俺は尋ねてみた。

 真理は、ちょっと複雑そうな顔で返す。

「うん、まあね。簡単じゃないと思うけど、王都まで行けば……」

「その辺りの事情は、詳しく話すと、長くなるでしょうねえ」

 今まで何度も親切な補足解説をしてくれたウッカが、今回は逆に話を止める方向性で、会話に加わってきた。

「そういう話は、身を落ち着けてからにしませんか? カオリさんもマサハルお兄さんも、急に色々、頭に詰め込んでも混乱するでしょうし……」

 ウッカの「身を落ち着けて」というのは、どっちの意味なのだろう? 「歩きながらではなく座って」という意味なのか、あるいは「この世界に腰を据えて」という意味なのか。

 出来れば俺は、この世界に馴染んだり、生活をセッティングしたりするより早く、元の世界に戻りたいのだが。


 結局。

 真理とウッカは、歩きながら「お金で帰還」についてザッと説明してくれた。

 ここから遠く離れた王都には、大勢の優秀な魔法使いが住んでいる。『大魔導士インヴォ・カーレ』と呼ばれる、召喚関係の魔法に長けた者もいるらしい。

「魔法に疎いカオリさんとマサハルお兄さんには、ちょっと難しい話になるでしょうが……」

 召喚関係の説明は、自称『大魔法使いウッカ』である彼女の独壇場だった。

 そもそも召喚魔法とは、遠く離れた場所や別の世界から、物体や生き物を呼び寄せるものだ。その際、空間にポータルを開けて、そこを通すことになるので……。

「そのポータルを通って、逆に何かを送り込むことも、理論的には可能なわけですよ」

「要するに、その魔法さえ使えれば、俺たちを元の世界へ送り返すことも出来るんだな?」

「そう慌てないでください、マサハルお兄さん。はたから見たら、あっしに迫ってるように見えますよ。あっしだって、外見的には美少女ですからね」

 確かに、顔を近づけ過ぎた。これでは、女であるウッカにしてみれば、男に口説かれたり襲われたりするような恐怖感があったのかもしれない。

「ああ、すまん……」

「バカじゃないの、ウッカ。あんたは『少女』なだけで『美少女』じゃないでしょ」

 俺の謝罪を打ち消す勢いで、真理が言葉を被せてきた。しかも手を強く引っ張って、俺をウッカから大きく離す。

「まあ、ともかく。可能ではありますが、簡単ではありませんね。失敗して『空間の狭間』をさまようことになったら大変ですし、だからこそ『大魔導士インヴォ・カーレ』くらいにしか頼めないのですが……」

「高名な魔法使いだけあって、仕事の依頼料も高額なのよ。特に難しい魔法が絡むと、とんでもない金額になるみたい」

 魔法のシステム的な話は終わったと判断して、説明を引き継ぐ真理。そもそも俺には『魔法のシステム的な話』は、よく理解できなかったのだが。

「なるほど。そのために真理は、お金を貯めてきたのか」

「そうなの! これでわかったでしょう、もう節約の必要なんてない、って」

 ……え?

 いやいや、その理屈は少しおかしいような……。どこがどうおかしいのか、俺が口にするより早く、香織が言葉にしてくれた。

「真理お姉ちゃん、元の世界に帰りたくないの?」

「何言ってんの、香織」

 キョトンとした顔の真理。

「もう帰る意味なんて、ないじゃないの。どうして今さら、元の世界に帰りたいの? マサハルたちが来てくれたから、ここで三人一緒に暮らせるのに!」

 明るく告げる真理だったが。

 真理を挟んで、俺は香織と顔を見合わせる。香織の顔には、不安の色が浮かんでいた。きっと俺も、似たような表情になっていたに違いない。


 そういえば。

 慎重に真理の発言を思い返してみれば。

 真理は「マサハルたちの世界に帰るつもりだったのよ!」とか「私の世界に来てくれたんですもの!」とか言っていた。

 そう、『マサハルたちの世界』と『私の世界』だ。元の世界を『マサハルたちの世界』と呼ぶのは構わないが、この世界を『私の世界』と言うのは問題あるだろう。

 いや「問題ある』という言い方も、俺の傲慢かもしれない。考えてみれば、真理が来たのは、まだ小さかった頃だ。それから十年も暮らしてきたのだから、ここを真理が自分の世界だと認識してしまうのも、もう仕方がないのかもしれない。

 ある意味「生みの親より育ての親」の、世界版だ。

 先ほどの森の中で、真理が「小さい頃に三人で見たアニメの話」を持ち出した時、俺は勝手に「何らかの郷愁が真理の胸をよぎっているに違いない」と思ったものだったが、あれも俺の勘違いだったのだろう。あるいは、あくまでも真理は「三人一緒」という思い出を懐かしく感じただけであり、元の世界そのものに対する郷愁ではなかったに違いない。


 そんなことを俺が考えていると……。

「着いたわ!」

 嬉しそうな声と共に、真理が立ち止まる。

 目の前にあったのは、俺の実家と同じくらいの大きさの建物。真理や香織の生家とも同程度の規模だ。白い石造りの民家で、トタン板のような赤い屋根が載っているのが、ちょっとオシャレな感じ。時間的にもう少しすれば、ちょうど夕焼け空に溶け込むような色合いだろう。

 真理はバッと、俺や香織の手を放して、扉を開けて入っていく。

「ただいまー!」

「あら、今日は早かったのね」

「おや、お客さんかい?」

 真理の元気の良い挨拶に対して、中から返ってきたのは二つの声。

 入ってすぐの部屋は、リビング兼ダイニングだろうか。木製の大きなテーブルの周りには椅子がいくつか置かれており、その一つに、初老の男性が座っていた。白髪交じりの黒髪には、ロマンスグレーと言いたくなるようなカッコ良さがある。ちょっと歳が離れている気もするが、これがウッカの父親に違いない。

 そして、もう一人。部屋の奥の台所らしきスペースで水仕事をしているのは、ウッカと顔立ちも体つきも酷似した女性。ただし大人びた雰囲気が漂っているので、その点は大違い。たとえ年齢を重ねても、ウッカには、この色気は出せないだろう。まだ二十代に見えるから、ウッカの母親にしては若すぎる。おそらく、姉なのだろう。

 俺は勝手に、ウッカの家族構成を「父・母・ウッカ」だと思っていたが、そうではなく「父・姉・ウッカ」だったようだ。

 香織と一緒に入り口に立っていた俺は、

「さあ、入って、入って」

 というウッカの声に押されるようにして、真理に続いて、家に入っていく。

「『お客』じゃないわ! この二人は……」

 真理は俺たちの説明をしようとしたみたいだが、部屋の中の二人は、最後まで言わせなかった。彼らは俺たちの顔を確認すると、パッと表情を明るくしたのだ。

「おお、マサハルとカオリか!」

「あらまあ、妹さんとお兄さんね! いつもマリィが話していた……」

 ふと、ウッカとの初対面を思い出す。

 真理と瓜二つの香織はともかく、どうしてハッチ家の人間は、面識ないはずの俺の顔まで見知っているのだろう……? そういえば、ウッカは「写真で拝見した」とか言っていたような……?


 ウッカ姉は水仕事を切り上げて、ウッカ父の隣に座った。いや、まだ「父と姉」に決まったわけではないが、とりあえず暫定的に、そう呼んでおく。

 二人の隣にウッカが腰を下ろすと、真理は三人の正面に座った。そして俺と香織の方を向き、

「さあ、二人とも! 立ってないで、座って!」

 自分の両側の椅子を、左右それぞれの手でポン、ポンと叩く。

 俺は一瞬、香織と顔を見合わせてから、真理の右隣へ。

 同じく香織は、左隣に……と思いきや。なぜか香織は、真理の隣ではなく、俺の右隣に腰を下ろした。

「えっ?」

「えっ?」

「なるほど」

 香織を見つめて驚きの声を上げる俺、俺よりは小声だがやはり驚く真理、一人だけ納得の意を示すウッカ。

 香織は「聞こえません」と言わんばかりの澄まし顔で、俺と目を合わせようともせず、真っ直ぐ前を向いている。

 一瞬その場が静まり返るが、それをとりなすかのように、ウッカ父が口を開いた。

「えーっと……。マサハルとカオリでいいのだよね?」

「はい、そうです。俺はマサハル、こっちは香織です」

「香織です。姉がお世話になっております」

 礼儀正しく、ペコリと挨拶する香織。ウッカに対して名乗った時と同じだ。

 続いて、ウッカが家族を紹介する。

「こちらが、あっしの父、カーク。そして……」

 そこまでは予想通りだったのだが。

「……こちらが母のステファニーです」

「ええっ、お母様なのですか! お姉様じゃなくて?」

 大声で叫んだのは香織だ。俺も驚いたが、俺が声を上げるより早かった。

 先ほどまでの澄まし顔も崩れており、目を丸くして、大きく開いた口には手を当てている。

「ね? びっくりするわよね!」

 俺の左側から――香織とは反対側から――、真理の面白そうな声。彼女の笑顔を確認した後、正面に視線を向ければ……。

 若妻ゲットならば果報者のはずなのに、ウッカ父――カーク――は、ちょっと困ったような顔をしていた。これだけ歳が離れていたら、この世界でも年下趣味ロリコンと呼ばれるのだろうか。この世界の常識は、まだ俺にはわからないが。

「よく間違えられるのですよ。ホホホ……」

 口元に手を当てながら笑うステファニーの様子は、どこか上品そうにも見える。

「おばさん、昔から全く変わってないものね。私が来た時とおんなじ!」

「ああ、それは娘のあっしから見ても、そう思いますよ。ちょっと怖いくらいだ」

 真理とウッカの発言に対して。

「……魔法かな?」

 香織がボソッと呟いたのを、隣にいた俺だけは聞き逃さなかった。

   

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