第六話 異世界の倹約家
八百屋のオヤジの発言を聞いて、俺は森での会話を思い出す。サッと後ろを振り返ると、案の定ウッカはニヤニヤしながら、小さく頷くような仕草を見せていた。
森の中で、鎧の汚れを消すように
こうなると、真理が『ブラッディ・マリィ』と呼ばれる真の理由も理解できた気がする。「赤い鎧がモンスターの血の色を連想させるから」というよりも「そのモンスターの血をいつまでも鎧につけたままだから」という意味なのだろう。なるほど、ずっと返り血が残っているならば『ブラッディ』――血まみれ――となるわけだ。
なお森の時は、真理は照れ隠しでウッカを小突いていたのだが……。少しだけ心配になって、俺は真理に目を向ける。
「あら、そんなんじゃないわよ」
眉間にしわを寄せながら、否定する真理。ここまでは既視感ある態度だが、問題は、その先。冒険者でも仲間でもない屋台のオヤジまで、叩いたりしないよな? 大丈夫だよな? そもそも、今の真理は両手が塞がっているし……。
そう考える俺の隣で、真理は手ではなく口で応酬していた。
「そんなこと言ってると、あんたの店からは、もう何も買ってあげないからね!」
「おいおい、どうせブラッディ・マリィは、いつも大したもん買わねえだろ? 間違っても上客とは言えねえよなあ」
売り言葉に買い言葉ではなく、八百屋のオヤジは、純粋に事実を述べたらしい。
「あっしたちがこの店で買うのは、せいぜいが、冒険に持っていく果物くらいですからねえ」
後ろでウッカが、小声で補足。
その間に、オヤジはさらに口撃する。
「ケチで有名だからなあ、ブラッディ・マリィは」
「あら、そんなこと言っていいのかしら? 私が節約していたのは、昨日までの話だわ。ブラッディ・マリィは、倹約家から浪費家にジョブチェンジしたのよ!」
「はあ? とても信じられんな。口では何とでも言えるが……」
「じゃあ、見てなさい。手始めに……。この店にある美味しそうな果物、全部いただこうかしら」
真理が気前の良い注文を口にすると、
「へい、まいど!」
オヤジの態度が豹変した。
ホクホク顔で、揉み手までする始末。
さっそく袋に詰めようとしたところで、俺の背後から大声が飛ぶ。
「ちょっと待った!」
ウッカの叫び声だ。
「今の注文、キャンセルです!」
と、八百屋に向かって言ってから。
「ダメですよ、マリィの姉御。そんなに買っても食べきれませんから。腐らせちまうだけでしょう。ちゃんと、人数分にしないと」
「あら、そうね。じゃあ『全部』じゃなくて『六人でギリギリ食べきれるくらいの量』ってことで、どうかしら?」
おそらく六人というのは、ここにいる四人と、ウッカの両親の分なのだろう。最初に真理は、ウッカのことを「私がお世話になってるハッチ家の娘さん」と紹介していたし、俺たちは今そのハッチ家に向かっているのだから。
屋台の果物全部から六人分に、注文は大きくスケールダウンしたにもかかわらず、
「へい、まいど!」
八百屋のオヤジは、お得意様を相手にした商人のような態度を続けている。
それを見て、俺は思った。
今までの真理は、よっぽどケチな客だったのだろうなあ、と。
八百屋の露店では結局、果物の他に野菜も少々、買い込んで。
大きな袋をウッカに持たせた状態で、俺たちは、再び大通りを歩き始めた。
数歩進んだところで、真理が左右に首を振りながら、両側の俺たち――俺と
「二人とも、喉乾いてない?」
別に「喉カラカラ」というほどではないが……。言われてみれば、そんな気にもなってきた。何しろ俺も香織も。この世界に来てから、まだ何も口にしていないのだ。
こんなことなら、先ほどの
「そうだな……」
「うん、何か飲みたいかも」
真理を挟んで反対側では、香織が、俺よりもハッキリとした意思表示。
「わかったわ! じゃあ、こっち!」
明るく告げた真理は、相変わらず俺たちの手を引っ張りながら、緑の屋根のある屋台――少し先の左側にある店――へと向かう。
「おお、ブラッディ・マリィ! 今日は多いな。新しい仲間かい?」
「そんなところね。おじさん、いつものやつ、四つちょうだい」
露天商と軽く言葉を交わして、ジュースらしきものを四人分、購入した。
陶器の容器に入った、緑色の液体だ。使い捨ての紙コップではないから、ここで飲んで、飲み終わったら返すシステムなのだろう。
一時的に真理は俺と香織から手を放し、ウッカは荷物を足元に置いて、俺たちはジュースを手にする。
「こんなところで何だけど……。二人の歓迎の意味を込めて! 乾杯!」
道端で乾杯の音頭を取る真理。これが当たり前の習慣なのか、この世界でもちょっと恥ずかしい行動なのか、正直、俺にはよくわからない。
それよりも、今は喉を潤すことだ。得体の知れないものを飲むのは、少し勇気がいることだが、喉の渇きに負けて、グイッと飲んでみると……。
「おいしい!」
真っ先に反応したのは香織だった。俺としても、まあ同じような感想になる。
爽やかな甘みのあるジュースだった。砂糖の甘みではなく、濃厚果汁の味でもなく、かといって薄めたような味でもない。上品な味の果物、という感じだろうか。
「色も緑だし、これってメロンか?」
「マサハル正解! この地方の名産、ジエス・メロンよ。そのまま食べても美味しいけど、ジュースにピッタリって言われてるの!」
ふむ。
単純に「ジュースが美味しい」という以上に、俺は何だか安心してしまった。
異世界で初めて口にしたものが、元の世界と同じような果物だったのだから。つまり異世界であっても、食に関しては、それほど異なることはないだろう、と思えたのだ。
「帰ったら夕食だけど、おやつがてら、どうかしら?」
飲み物の次は、食べ物だった。
真理の『おやつ』という言葉から、俺は、甘いお菓子を思い浮かべたのだが……。彼女に手を引かれて向かった先の屋台には、串焼きが並んでいた。
パッと見た感じは焼き鳥だが、一つ一つの肉の塊がデカイ。結構ガッツリ食うようだ。
肉が四切れずつ刺さった串を、それぞれ一本ずつ渡される。
「じゃあ……。いただきます」
俺以上に恐る恐るといった感じで眺めていた香織が、俺より先にかぶりついた。
香織に続いて、俺も食べてみる。
「これは……」
焼き鳥のタレのようなものはなく、軽く塩胡椒をまぶしただけで、素材の味を活かしているのだろう。しかし、不思議な味だ。
見た目とは違ってアッサリしているが、鳥のササミとも違う。むしろ、エビやカニのような味と歯ごたえだ。
あらためて俺は、マジマジと肉を見つめる。茶色に焼かれた塊は、どう見ても甲殻類の中身とは思えない。やはり外見は、鳥や獣の肉だ。
「さっぱりしてるのね。真理お姉ちゃん、これは何のお肉?」
ぺろっと食べてしまった香織が問うが、真理は首を横に振った。
「名前を言ってもわからないだろうから、今は、やめておきましょう。実際に出くわした時に、ちゃんと説明してあげるわ」
俺はガバッと振り返って、ウッカに視線を向ける。補足説明の担当役みたいな彼女も、黙ったまま肩をすくめて、小さく首を横に振るだけだった。
……ああ、そういうことか。
真理の「実際に出くわした時に」という言葉から、俺は察していた。狩人や漁師でもなく冒険者である彼女が出くわすものといったら、モンスターしかないだろう。
ジュースを飲んだ時の感想は、俺の頭の中から吹き飛んでいた。前言撤回、異世界は食に関しても異世界な部分があるらしい。
飲み食いはそれだけだったが、他にもチラホラ、露店で食材の買い物をしながら、大通りを進む。
真理に手を引かれる形で、俺と香織は歩き、さらにその後ろからウッカが続く。
そうやって歩くうちに……。
「真理お姉ちゃんって、こっちではケチだったの?」
小首を傾げて、わずかに見上げるような目線で、質問をぶつける香織。
うむ。そう聞きたくなる気持ちは、俺にも理解できた。
何しろ、最初の八百屋での会話だけではない。ジュース屋と串焼き屋では何も言われなかったが、その後の露店のいくつかでは、ちょっと買い物をしただけで「ブラッディ・マリィが散財とは珍しいな!」とか「そんなに買ってくれるなんて、どういう風の吹き回しだい?」とか言われていたのだ。
よほど今まで、財布の紐が固かったのだろう。
「そうじゃないわ。『ケチ』じゃなくて『倹約家』よ」
少し眉を八の字にして、真理は妹の質問に答えた。
「頑張って節約してきたのよ、お金を貯めなきゃいけない目的があったから」
「……目的?」
つい俺が聞き返してしまったのは「こういうファンタジー世界は科学技術が遅れているのだろう」という意識があったからかもしれない。
こうして街の中を少し歩くだけでも、いかにも中世ヨーロッパ風と感じるし、ならば当然、テレビもパソコンも携帯電話も存在しないはず。そんな状態で現代っ子の俺たちが金を稼いでも、大したことは出来ないと思ってしまったのだ。
「そう、遠大な目的!」
こちらを向いた真理の顔は、パッと明るくなっていた。
首を左右に振って、俺と香織を交互に見比べながら、真理は言葉を続ける。
「マサハルと香織! 二人に会いたかったからこそ、お金を貯めてきたの! 冒険者として稼いだお金で、私は、マサハルたちの世界に帰るつもりだったのよ!」
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