第五話 ブラッディ・マリィ
実際に足を踏み入れてみると、
外装と同じく内壁や天井は白く、対照的に、
空気が淀むのを防ぐためか、天井には大型のファンが設置されている。非常にゆっくりと回っており、細めの羽が四枚ついているのが見てわかるくらいだった。
ただし、その天井は奥まで続いているわけではない。奥の方にある食堂ホールは、開放的な構造――二階分の高さの吹き抜け――となっているようだ。
いや本当に『食堂ホール』なのか定かではないが、俺は、そう思ってしまった。いくつもの長いテーブルが並んでいて、たくさんの人々――おそらく冒険者――が、そこで様々な料理を飲み食いしていたのだから。
どうやら、俺だけではなく
「二人とも、そっちじゃないわ」
いつのまにか彼女は俺の手を放して、手前右側にある窓口へと一人で歩き始めていた。銀行や役所の受付カウンターを小さくしたような感じだから、これは『窓口』で間違いないだろう。
実際、
「あっしたちにとって一番大切な、
と、後ろからウッカの説明が入った。
「ああ、そうやって教えてくれると、色々と助かる」
俺は軽くウッカに礼を述べて、そして香織は、小さく頭を下げることで「私もです」という意思表示をして。
俺と香織は、二人並んで、真理に続いた。
ウッカの話によれば、窓口は冒険者の対応を一手に引き受ける場所のはずだが、その割には
「今日も森のモンスターを狩ってきたわ」
「どれどれ……」
「はい、これが証拠」
真理は鎧の胸元に手を突っ込み、そこからペンダントを引き出すと、突き出すようにして受付嬢へ見せつける。
ちなみに、真理の相手をしている受付嬢。若い頃は『看板娘のお姉さん』だったのかもしれないが、とても今では『お姉さん』と呼べる存在ではない。フード付きの緑色のローブを着込んだ老婆であり、俺は小さい頃に読んだ絵本を思い出した。子供向けの童話に出てくる、悪い魔女のイメージそのものだ。
「あのペンダントは、冒険記章と言いましてね。冒険者ならば誰でも持っているアイテムですが、なんとその日討伐したモンスターついて自動的に記録されるのです。便利なシステムでしょう?」
またもやウッカの親切な説明。俺や香織に示すため、ウッカもローブの中からペンダントを出してみせたが、確かに、真理のものと全く同じに見えた。
「へえ、凄いな。それも魔法の力なのか?」
ウッカが少し自慢げなので、俺は、そう返しておく。心の中では「漫画やアニメのようなファンタジー世界ならば、そういうこともあるだろう」と普通に納得していたのだが。
するとウッカは、肩をすくめてみせた。
「さあ、どうでしょう? 仕組みや原理までは、あっしにはわかりませんが……。まあ確かに、おそらくは、記録魔法レコードの応用なのでしょうね」
確かなのか、おそらくなのか、いったいどっちなんだ。心の中で軽くツッコミを入れながら、俺は真理の方へ――窓口のやりとりの方へ――視線を戻した。
真理は受付の老婆から、この世界のお金らしきものを受け取っており、俺の後ろでは、
「ああやって、モンスターを狩ると報奨金が出るのです。どんなモンスターでもね」
「へえ。害獣駆除みたいなものかしら」
「そうですよ、カオリさん。あっしたち冒険者にとっちゃあ、小遣い稼ぎみたいなものですが……」
ウッカの補足説明に対して、いちいち香織が丁寧に反応していた。もしかすると、俺がウッカの対応を切り上げたから、代わりに香織がやってくれているのかもしれない。
少し後ろのことを考えながら窓口を見ていたら、そこの老婆と目が合ってしまった。老婆は続いて、ジロリと香織の方も一瞥してから、ゆっくりと視線を真理に戻して尋ねる。
「こちらの二人組は……?」
「南にある『回復の森』で、
「そうかい。見たところ、冒険者ではなさそうだけど……」
老婆は再び、俺と香織に目を向けた。先ほどよりも胡散臭そうに、上から下まで、俺たちを見定めている。
上はシャツで下はジーンズという俺のラフな格好は、この世界でも別に浮いてはいないだろう。細かい素材はともかく、似たような服装の人々は、大通りを歩く中にも結構いたと思う。
だが、香織の方は少し事情が異なる。しっとりとした茶色のブレザーに身を包まれた彼女は、とてもファンタジー世界の住人には見えなかった。庶民の私服にしては、高校の制服はきちんとし過ぎているし、かといって貴族――おそらくこの世界に存在するであろう偉い人々――の着物とも違うのだろう。
「……いったい『回復の森』で何をしていたのかねえ?」
俺に視線を向ける老婆の言葉は、質問の形式になっていたものの、別に答えを期待していたわけではないはずだ。だが、彼女の問いかけに、真理が嬉しそうに飛びついた。
「私と同じで、あそこに飛ばされてきたのよ!」
「飛ばされてきた? それって、つまり……」
「そう! 二人は、私の故郷から来てくれたの! 私の幼馴染よ!」
よほど嬉しかったのだろう。
真理の言葉は、それまで以上の大声であり、
料理を飲み食いしていた冒険者たちが、こちらを見てザワザワ騒いでいる。何と言っているのか、正確には聞き取れなかったが……。断片的な言葉は、いくつか耳に入ってきた。
「ブラッディ・マリィの仲間か?」
「……ってことは、召喚に成功したのか!」
ブラッディ・マリィ? 召喚?
ちょっと気になるワードだ。こういう時のための解説役だと思って、俺は後ろを振り返る。
「なあ、ウッカ。『ブラッディ・マリィ』というのは……」
「もちろんマリィの姉御のことですよ、マサハルお兄さん。あっしの『大魔法使いウッカ』みたいに、冒険者には二つ名がありますからね。まあ、あっしの場合は自称なんですけど」
少し照れたように、ヘヘヘッと笑うウッカ。
いや、それが真理の呼び名だというくらいは、俺にもわかる。ウッカが『マリィの姉御』と呼んでいた時点で、ここでは真理はマリィと呼ばれているのだろうと理解していた。
問題は『ブラッディ』の部分だ。「血まみれの」とか「血塗られた」とか、そんな意味だと思うが、女の子の二つ名にしては、随分と物騒な感じではないか。
だがそれ以上、質問を続けることは出来なかった。
背中から、真理にガバッと抱きつかれたのだ。
「終わったわ! 行きましょう!」
またギュッと――戦士の腕力で思いっきり――抱きしめられるのかと思ったが、真理はサッと俺を放してくれた。代わりに、右手で俺の手を取って、反対側の左手では香織の右手を掴む。
「さあ、二人を家に案内するわ!」
そのまま歩き出すので、俺と香織も、手を引かれる形で真理に続いたが……。
後ろで、何やらウッカが呟いている。
「今度はマリィの姉御が、両手に花ですね」
待て待て。
それって、男一人が女二人に挟まれる場合の比喩なんじゃないのか? 今の状態だと……。俺も『花』扱いなのか?
街に入る時、ウッカから「
あるいは「三人で腕を組むのとは違って、手を繋ぐ程度ならば大丈夫」ということなのか。
どちらにせよ、俺の方から手を放すつもりはなかった。真理の手の
とりあえず、少しだけ歩きにくい状態なので、気をつけないといけない。通行人とぶつからないよう、俺が周囲に目を配り始めたところで。
「真理お姉ちゃんって、何か血なまぐさいことでもしてるの?」
香織が突然、妙な質問を口にした。
もしかすると、香織も俺と同じく『ブラッディ・マリィ』という言葉が引っ掛かっていたのかもしれない。
「あら、何か気になることでもあった? 私は普通に、冒険者として暮らしているだけよ」
「でも真理お姉ちゃん、こっちでは『ブラッディ・マリィ』と呼ばれてるって……」
ああ、やっぱりそうだ。しかも香織は、二つ名を口にする時に、恐る恐るという感じになっていた。『ブラッディ』という言葉に、俺以上に過激なイメージを
対照的に、
「ああ、それ! お姉ちゃんの通り名、かっこいいでしょ?」
真理は『ブラッディ・マリィ』という異名に反応して、顔を輝かせた。
もしも俺たちの世界で女子高生がこんな態度を示したら、中二病と言われることだろう。だが、こちらの世界では、むしろ標準的な反応なのかもしれない。剣や魔法でモンスターと戦うことが常識、という世界なのだから。
この世界に染まっていない香織は、素直に同意は出来ないようだが、それでも姉を否定するような言葉は口にしなかった。
「ああ、うん。確かに、かっこいい……のかな? でも……」
「そうでしょう! それに……」
真理は得意げな顔で、堂々と胸を張って、自分の鎧を強調する。
「……ほら、この赤い鎧! これがモンスターの血の色を連想させるから、そういう二つ名になったのよ!」
「いやいや、それだけじゃないでしょう。マリィの姉御は……」
俺たちの背後で、苦笑するウッカの声も聞こえるが。
それをかき消すかのように、近くの屋台から、大きな声が飛んできた。
「よう、ブラッディ・マリィ!」
そちらに顔を向けると、声の主は、白いシャツを着た痩せ気味の男。三十代か四十代くらいで、短い頭髪に巻かれたねじり鉢巻が、いかにも露天商といった雰囲気を醸し出している。男の前には野菜や果物が並んでいるので、俺たちの世界でいえば、八百屋に相当するのだろう。
「珍しいなあ。ブラッディ・マリィが、そんなに鎧を小綺麗にしてるなんて……。それじゃ『ブラッディ・マリィ』の名が泣くぜ」
続いて八百屋のオヤジは、チラッと俺に視線を向けて、
「なんでえ、男連れじゃねえか。なるほど、それで……。いつもの返り血が恥ずかしい、ってことか。勇ましいブラッディ・マリィも、根は女なんだなあ」
顔をニヤケさせながら、一人で納得したかのように「うん、うん」と頷いてみせるのだった。
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