第四話 香織の想い
俺たちの周囲には、依然として、生き生きと葉を広げた樹々ばかり。ある意味退屈な――同じ景色にしか見えない――緑の森を歩きながら……。
「ところで、
右の耳から聞こえてくる、妹の質問。
「ああ、これね。違うわ、私が染めるわけないじゃない。自然に赤くなったのよ」
左の耳から聞こえてくる、姉の回答。
双子の姉妹は、俺を間に挟んだ状態で、二人の会話を続けていた。
「自然に……?」
と聞き返すことで、俺も加わってみる。真理の赤い長髪は、一目見た時から気になっていたのだ。
「そう、自然に。この世界に来て二、三年くらいの時だったかしら? はっきりとは覚えてないけど……。この世界のルールだったみたい」
「えっ!」
姉の言葉を聞いて、バッと
香織にしてみれば、いずれ自分の黒髪も変色してしまうのではないか、と心配になったのだろう。
彼女の黒髪には、青みがかった艶やかさがあって、俺から見ればチャームポイント。香織自身も、自慢に思っているはずだ。
「あら、大丈夫よ。香織の髪は、変わらないはずだわ」
「カオリお嬢さんは、もう年齢的に変色期を過ぎてますからね」
後ろから、補足するようなウッカの声。
「変色期……?」
「どういう意味だ?」
聞き返す香織と俺に対して、さらなる説明を繰り出したのは真理だった。
「この世界の人々って、最初は黒い髪なの。それが十歳にも満たない頃に、違う色に変わってしまうの!」
真理の『この世界の人々』という言葉は、一見『この異世界で生まれた人々』とも思えるが、そうではないはず。少なくとも真理は違うのに、同じ現象に取り込まれたわけだから。
つまり、遺伝的な話ではなく、環境的な問題なのだろう。
ただし「この世界で何年か暮らすと」という話でもないらしい。それならば真理には、異世界人より遅れて変化が訪れるはずだが、彼女の『この世界に来て二、三年くらい』とかウッカの『変色期』とかの発言から考えて、真理も異世界人と同じような年齢で変色したと思われる。
それに、全員が全員、派手な髪色に変わるわけでもないのだろう。再確認のため背後を一瞥したが、ウッカの髪は、真理ほど目立つ色ではない。真っ黒ではなく少し茶髪っぽいとはいえ、日本人でもおかしくない程度の色。染めているのではなく地毛と判断されるくらいの『少し茶髪』だ。
そうやって俺が考え込む間にも、真理は嬉々として話を続けていた。
「ほら、小さい頃に見たアニメを思い出して! ファンタジーな世界観だと、カラフルな髪の色のキャラクター、たくさん出て来たわよね? あれもこういう仕組みだったのかな、って妙に納得したものだわ」
そう語る真理の瞳は、少し潤んでいるように、俺には見えてしまった。
彼女の言う『小さい頃に見たアニメ』というのは、当然、俺たちの世界での思い出だ。
何らかの郷愁が、真理の胸をよぎっているに違いない。
そして。
真理とは対照的に、ずっと元の世界で暮らして成長した香織が、今ここにいる。美しい黒髪を保ったままの、双子の妹として。
そんな香織を前にして、姉の真理は、何を思うのか……。
色々と考えてしまった俺は、その気持ちが顔に出ていたらしい。
「やだわ、マサハル。そんな目で見ないでよ」
わずかに眉をひそませながら、真理は「何でもないわ」という口調で告げる。
「最初はビックリしたけど……。今は気に
「赤は、マリィの姉御のイメージカラーですもんね」
真理に被せるようにして補足する、ウッカの発言に紛れて。
はたして真理の言葉は本心だったのか、あるいは取り繕っただけなのか。ちょっと俺には判断できなかった。
そうやって話しながら、しばらく歩くうちに。
あたたかい光が見えてきた。
鬱蒼とした――生い茂った葉に日差しを遮られた――暗い森から、ようやく明るい日差しの
いざ森の出口に辿り着くと、目の前には、広々とした草原地帯が広がっていた。草の緑を割るようにして、舗装されていない茶色い土の道が、一本続いている。その道の先に見えるのは……。
「あれが……街?」
「そうよ、香織。私たちが暮らす街、ジエス。そして香織とマサハルにとっても、今日からの
真理は嬉しそうな声で、俺と香織に笑顔を向ける。
彼女に対して、軽く微笑み返してから。
俺は、あらためてジエスの街に目をやって、歩き続けた。
少し前に「ここはファンタジーの世界だ!」と思ったように。
高層ビルなんて、ジエスの街には一つも存在していない。平屋あるいは二階建てが多く、せいぜい三階建てか四階建てくらいまでだろう。パッと見た感じでは、街の入り口にある白い建物が、最も大きな建造物のようだ。
それらの建物は、近代的な鉄筋コンクリートなどではなく、石造りが基本らしい。木造建築の家屋も、ちらほら存在している。
それくらいの状況は、街に入る前の段階でも見て取れた。
「これが、この世界の街……」
自分でも驚いたことに、俺の口から出た独り言には、感嘆したような響きが混じっていた。
「街ん中は、それじゃ歩きにくいでしょう。そろそろ、腕を放したらどうです?」
そろそろ街に入ろうかというタイミングで、後ろからウッカのアドバイス。
真理と香織が『抱きん子ちゃん人形』状態のこの状況は、森の中でも歩きやすいとは言えなかった。
だが、森の樹々は、あくまでも動かないオブジェだ。一方、街に入れば、通りを往来する人々がいる。
特に入り口から続く大通りでは、縁日の屋台のような露店が道の両側に並んでいることもあって、ちょっとしたお祭りのような賑わいを見せていた。うん、あの中を今の三人合体のような状況で進んでいくのは、さすがに至難の技だろう。
「あら、そうね。たまにはウッカも、いいこと言うわね」
「『たまには』は余計ですよ、マリィの姉御」
ようやく真理は俺の左腕を解放し、それでも俺に寄り添うようにして、左側を並んで歩く。
対照的に、右側にいた香織は、俺から離れて二人の――俺と真理の――後ろに回り込んだようだ。
チラッと振り返って確認すると、香織の顔には遠慮のような色が浮かんでいる。俺と目が合うと、少し恥ずかしそうに、控えめな笑顔を見せた。
おとなしい香織らしい表情だと言ってしまえば、それまでだが……。俺が香織の心情を『遠慮』と推察したのは、先ほどまでの腕の感触が、一つの根拠になっていたからだ。
香織は最初ギュッと強く握っていたのに――反対側に真理が加わった時には力を強めたくらいだったのに――、髪色の話のあたりから、急に力を弱めていたのだ。
その変化は、まるで、十年の
最初は俺も、特に何もわかっていなかったが……。三人で寄り添って歩く間に、色々と「もしかして」と頭に浮かんできた考えがある。
まず第一に。
ここまで香織が腕を組んで来たのは、姉の存在を意識した
最近の香織は、小さかった頃とは違って、あまりベタベタしなくなっていた。ただし『最近』と言っても、俺の大学入学後は遠距離だから、香織が中学生で俺が高校生の時期の話だが。
ところが、この異世界に来て、真理と再会して。
三人一緒だった子供時代を思い出してしまい、自然と無邪気に『小さかった頃』のような振る舞いをしてしまったのではないか。
あるいは。
無邪気さとは逆に、姉に俺を独占させまいという『女』としての対抗心があったのか。
どちらにせよ、真理の存在があったからこそ、ということになるだろう。
そして。
もしも後者であるならば、真理の話を聞いて「私はずっと一緒だったのだから、少しくらい譲らなきゃ」という心変わりがあった、と考えることで『遠慮』っぽい挙動にも辻褄が合うのだが……。
一方、俺は俺で。
実は少し、内心ではドキドキしていた。
先ほども述べたように、こんなに香織と密着したのは、本当に久しぶりだったからだ。
特に、鎧越しだった左側の真理とは違い、右側の香織は、制服のブレザー越し。だから俺の右腕には、やわらかな感触が――いかにも『若い女性』という体つきの感触が――、ダイレクトに伝わっていたのだ。
正直これは、嬉しいというより、少し困るくらいだった。
まさか自分が、香織を『女』として意識する日が来ようとは……。俺にとっての真理と香織は、どちらも異性というより、大切な『妹』だったはずなのに。
そんなことを考えているうちに、俺たちは街の中へ。
単純な物珍しさから、とりあえず、俺は通りの露店に目を向けたのだが、
「マリィの姉御。いつものように、まずは
「そうね。だったら……」
少しキョロキョロと周りを見回してから、真理は近くの建物へ向かって歩き出した。俺の手を引いて。
今の今まで香織について――『女』として意識してしまった件について――考えていただけに、今度は真理のことを妙に意識してしまう。
腕を組むなら鎧越しだが、手を握るとなると、生の
「見知らぬ場所で『待ってて』ってわけにもいかないから。マサハルと香織も、一緒に来てちょうだい」
「ああ、その方がいいですね」
一瞬振り返って俺たちに告げる真理と、相変わらず後ろから声だけ投げてくるウッカ。
二人の言葉の通り、俺も香織も、真理に連れられて、その建物へ。
これが彼らの言うところの『
近代的ではないファンタジー世界には不釣り合いなほど、整然とした幾何学的な直方体。ただの白壁にも、立派とか豪華とかの言葉を使いたくなる印象があった。
広々とした玄関口には、ゆったりと横長の石段も設置されている。二段か三段くらいは一度に上れそうなそれを、きちんと一段ずつ踏みしめていく真理に従って……。
「さあ、お二人も。ここが
説明的なウッカの言葉にも押されるようにして、俺たちも石段を上り、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます