第三話 両手に花の開始です
「じゃあ、ウッカ。次は、私の鎧もお願いね」
鎧の前面を強調するかのように、わざとらしく、シャキンと背筋を伸ばして。
戦士と魔法使い。今までも一緒に怪物退治をしてきたならば、返り血の浄化も、二人の間ではルーチンワークのはず。
そんな俺の予想に反して、
「あれ? マリィの姉御、珍しいですね。いつもの返り血、今さら気にするなんて……」
ウッカの口から出たのは、意外そうな声。すぐにそれは、軽い冗談口調に変わる。
「ああ、わかった! マサハルお兄さんの前だからですね! 乙女心ってやつだ」
「やめて。そんなんじゃないわよ」
眉間にしわを寄せながら返した真理は、ウッカを軽く、トンと小突いた。
ちょっとした照れ隠しの行動。
そう見えたのだが……。
突かれたウッカの方は、ドンと突き飛ばされたかのように、派手に吹っ飛んでいった!
「あいたたた……」
ウッカは近くの大木に背中を打ち付けてしまい、その部分をさすりながら、体を起こしている。
いやはや、すごい威力だ。
異世界の戦士の
俺でもそう思うくらいなのだから、
これでは香織は、先ほどの怪物熊と同じくらい、真理を怖がるのではないか。真理だって、再会したばかりの妹から恐怖の対象と思われたら、なんとも可哀想だ……。
心配した俺が、チラッと香織の様子を見てみると。
香織の顔に浮かんでいるのは、純粋な驚愕の表情。
ああ、恐れではなく驚きなら、まだマシだろう。
……などと考えていたら。
「ちょっと、ウッカ! 大げさに飛んでくの、やめなさい!」
ウッカを叱りつける真理の声。
なるほど、そういうことか。いち早く理解した俺は、香織に説明する意味を兼ねて、真理とウッカに確認の質問をぶつける。
「……ということは、つまり。今のは真理に押されたからじゃなくて、それに合わせてウッカが、自分で勝手に後方へジャンプしたってことか?」
時々バトル漫画で出てくる「自ら後ろへ飛んで、攻撃の衝撃を受け流す」ってやつだ。今回は『受け流す』必要もなかったと思うのだが。
「そうだよな。さすがに、ありえない勢いだったもんな」
念押しのように付け足す俺。ここまで言えば、香織にも事情は伝わるだろう。
真理とウッカは、俺の発言に頷いてくれた。
「そういうこと」
「どうです、あっしの動き? 阿吽の呼吸で、息の合った連携だったでしょう?」
ウッカは、何やら誇らしげだ。
俺には、いったい彼女が何をアピールしたかったのか、よくわからないが……。その点はウッカ自身、説明不足を感じたらしい。
「マリィの姉御の凄さを示す、あっしと姉御のコンビ芸。マサハルお兄さんとカオリお嬢さんにも、ぜひ『姉御は凄いぜ!』って、思ってもらいたかったのです!」
芸なのか、今のは?
「でも、それで自分が痛い目にあうようでは本末転倒……」
香織の小さな呟き。
俺とは少し違うが、やはり腑に落ちないようだ。
「いえいえ、これくらい。むしろマリィの姉御に押されて怪我するなら、あっしとしては、痛みも気持ち
一方ウッカは、本心から嬉しそうな表情だ。
人それをマゾという。そんな言葉が、俺の頭に浮かぶ。
香織は香織で、
「やだ、怖い」
ウッカから隠れるようにして、トコトコと俺の右側に回り込み、俺の右腕にしがみついてきた。制服のブレザーがしわになるくらい、ギュッと力を込めている。
……先ほどの怪物熊よりも恐れているように感じるが、俺の気のせいだろうか?
「だから言ったでしょ、こいつには気をつけなさい、って」
軽く笑いながら、真理が香織に優しく語りかける。今まで微笑ましく様子を見守っていました、という雰囲気の
「まあ、でも……」
真理としては、ウッカをフォローする意図もあるようで、
「変態だけど、怖くはないから安心して。変態だけど」
と、ウッカの「酷いなあ」という呟きを無視しながら、言葉を続ける。
「とりあえず、注意して接すれば大丈夫よ。変態ってこと除けば、結構こいつ親切なやつだから」
「いやいや、マリィの姉御。変態連呼は、ちょっとやめてくださいよ。出会ったばかりのお二人に、変な印象を持たれちまう」
「それは大丈夫だよ、ウッカ」
少し馴れ馴れしいかとも思ったが、あえて俺は親しみを込めて『ウッカさん』ではなく『ウッカ』と呼びかけてみた。これでウッカが「失礼な!」という態度を見せるようなら『ウッカさん』呼びに変えよう、と考えて。
「ウッカが親切なのは、もう十分わかったから。ほら、俺のシャツの汚れを、魔法で取り除いてくれたじゃないか。感謝してるよ、ありがとう」
「ああ、マサハルお兄さん! マサハルお兄さんは、あっしの味方ですね!」
ウッカは「同志を得たり」という顔で、
「あっしは別に、変態なんかじゃありませんよね。例えば、綺麗なお姉さんを見るのは好き、撫でて触って、舌でペロペロ舐め回したい……。どれも、ごく普通の感覚でしょう」
……え?
「視覚・触覚・ペロペロ覚。どれも男の本能みたいなもの。同じ男だから、あっしの気持ち、マサハルお兄さんには理解できますよね?」
待て待て待て。
そんな発言、同意を求められても困る。
そもそも『ペロペロ覚』って何だ? 味覚じゃないのか? 食べるのと舐めるのは違うという、変態ゆえのこだわりか? ……とか。
だいたい『同じ男だから』もおかしいだろう。『
頭の中でプカプカと、色々ツッコミが思い浮かぶ。浮かび過ぎて、すぐには言葉に出ないくらいだ。俺の脳内は、ツッコミの
香織は香織で、ウッカが何か言う度に「やだ、怖い」が増していくようで。
俺の右腕へのギュッという力が、一段階ずつアップしていく。
腕の感触からわかる俺とは違うが、双子の姉である真理は、香織の態度を見るだけで察したらしい。
「こら、やめなさい。香織が怖がってるでしょ」
軽くコツンとウッカの頭を小突いて、その気持ち悪い発言をストップさせた。
「……ええ? やだなあ、もう。場を和ますための、ちょっとしたジョークじゃないですか」
ああ、冗談だったのか。それなら良かった。ウッカの目は、冗談を言っている者の目ではなかった気もするのだが。
「そのジョーク、滑ってるからね。むしろ逆効果だから。それよりウッカ、あんた何か忘れてないかしら?」
もう一度、わざとらしく胸をそらせて、鎧の前面を強調する真理。
今度はウッカも、おかしな茶々を入れることはなく、
「はいはい。マリィの姉御も、マサハルお兄さんと同じく、キレイキレイしましょうね」
とだけ言ってから。
先ほどと同じ指の仕草で、魔法を唱える。
「大いなる光の精霊よ! 我が祈りに従いて、
俺の場合と同じく。
真理は魔法の光に包まれて。
「これで平気!」
光が収まれば、嬉しそうな真理の声が聞こえる。
鎧は美しい赤色で、怪物熊の血も鮮やかな赤色。だから少しわかりにくいが、不浄な体液は消え去ったようだ。
「もう汚す心配もないわ!」
真理は両手を広げて、俺たち二人の方へ。
なるほど、香織が俺にしがみついている今ならば、二人まとめて抱きしめることも出来るだろう。
……と思ったのだが。
「さあ行きましょう!」
真理は俺たち二人にガバッと抱きつくのではなく、俺の左腕に、両手を回してきた。
いや『回してきた』なんて穏やかなもんじゃない。絞り込むような、ねじり切るような勢いで、ぎゅうぎゅう抱え込んでいる。
ちょっと痛い。これってまるで、柔道技? プロレス技?
タップしようにも、反対側の右腕は、香織に押さえられているし。でも、わざわざ「痛いからやめて」って、口に出して頼むほど強く『痛い』わけでもないし……。
そもそも、俺が何か言うより早く、
「えっ、どこへ?」
すかさず香織が、真理の言葉に反応して問いかけた。
「もちろん街よ! 街へ行くの!」
「……街?」
「そう! だって、こんな場所にいても意味ないでしょう?」
俺を挟んで、左右で姉妹の会話が始まった感じ。
「マサハルと香織の歓迎会をするの! あと、いろんな説明とか!」
これ以上の話は街で。
そう言わんばかりに、俺の腕を引っ張って、真理は歩き出す。
引きずられるようにして、俺と香織も続く。
この状態では歩きづらいだろうに、なぜか香織は、俺の右腕を手放すどころか、逆に力を込めているような感じだ。
「羨ましいなあ、マサハルお兄さん。まさに、両手に花だ」
そう言って、ウッカは俺たち三人の後ろからついてくる。
両手に花。
彼女の言葉を聞きながら、俺の頭の中では、『花』とは全く違うものが浮かんでいた。
昔々、家の物置で発見したビニール人形。両親が子供の頃に流行したという黒いオモチャ。
大木にしがみつく人間を模した形状で、両腕や両脚で丸い輪を形作っていて、確か『抱きん子ちゃん人形』という名前だったかな? ちょうど持ち主の腕にスポンとはまり込むのが、娯楽の少ない時代の人々にウケたらしい。
そんな『抱きん子ちゃん人形』が、左右に一つずつ、俺の腕にくっついている。……これが、俺の脳内イメージだった。
ともかく。
こうして俺たち四人は、街へと向かって歩き出した。
ようやく、この場所から――得体の知れぬ森の中の一地点から――移動というわけだ。
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