第二話 見た目は女、中身は……

   

「あっ!」

 香織かおりを見て、思わず飛び出したという感じの、小さな叫び声。それが女戦士の、香織に対する返事だった。

 全身鎧のヘッドパーツに覆われて、赤い女戦士の顔立ちは見づらいのだが、それでも注意深く見直せば。

 わずかにタレ気味な瞳も、すらりとした鼻筋も、少しだけ小ぶりな唇も……。とにかく何もかもが、香織とそっくり。

 髪の色こそ違えど、もう間違いないだろう。この女戦士こそが、香織の双子の姉、つまり十年前に行方不明になった真理まりなのだ!

「香織だわ……。それに、マサハル……?」

 真理の顔が、クシャクシャになる。喜びの笑顔だが、泣き顔にも見えるほどの『クシャクシャ』だった。


「香織! マサハル!」

 もう一度、俺たちの名前を口にしてから。

 真理は両手を広げて、俺たちの方へ駆け寄る。

「真理お姉ちゃん!」

 双子ゆえなのか、それとも、誰でもそうなるのか。全く同じポーズで腕を広げて、香織は一歩、前に踏み出したのだが……。

「マサハル! 会いたかったわ!」

 真理が最初に抱きついてきたのは、香織ではなく俺の方。

 密着したことで、彼女の髪の香りが、ふわっと俺の鼻先をかすめた。真理が『女』であることを、強く意識してしまう。

 同時に。

 ゴリゴリして痛い。

 二つの胸の膨らみが。

 ……いや、別に真理が貧乳だなんて言うつもりはない。そうではなくて。

 何せ真理は鎧姿。本来やわらかなバストがある辺りには、胸部装甲としか言いようがない、強固な鉄板プレート。

 一応は、鎧も女性用なのだろう。バスト部分は、隠し武器でも入っているかと思えるくらいに、湾曲して盛り上がっている。だが、だからこそタチが悪い。固く突き出た形状が、ひたすら俺の胸部を圧迫するのだ。

 いや「そちらに神経を集中すれば気恥ずかしさどころではない」というのは、これはこれで好都合かもしれないが。

「あの、真理さん……?」

 俺の呼びかける声は、ついつい他人行儀なものになってしまった。

 無理もない。十年ぶりの再会なのだ。

 真理は真理で、別の意味で『十年』という歳月を感じていたらしい。

「マサハル! すっかり大きくなって!」


 そう、真理の言う通り。

 俺たち三人は、もう大きくなったのだ。

 香織に対しても、大きくなってからは、こんなふうにハグしたことはないくらいだ。

 小さい頃には――それこそ真理がいなくなった時には――、香織を慰める意味で、俺の方から抱きしめたこともあったのだが……。

 いやいやいや。

 今の俺は、真理の腕の中。この状態で香織について思い浮かべるのは、さすがに失礼。双子とはいえ、香織と真理は、全く別の女性なのだから。

 ……などと、香織のことを考えたところで、ようやく俺は、言うべきセリフを形に出来た。

「なあ、真理。俺なんかじゃなくて、実の妹の相手をしてやれよ。香織のこと、放っておいていいのか?」

 あんなに「真理お姉ちゃんに会いたい」と言っていた香織。彼女は今、俺と抱擁する『真理お姉ちゃん』を見て、何を思うのだろうか。

 俺の角度からでは、ちょうど真理の頭に遮られる形になり、香織の表情は見えないのだが……。

「あら、そうね」

 俺が拍子抜けするくらいに、あっさりと真理は俺から離れた。

 そして香織に向かって、足を進める。

「香織! あなたは変わらないわね!」

 おいおい。

 心の中で、ツッコミを入れてしまう俺。

 香織だって俺と同じく、十年で大きく成長したはずだぞ……?

 真理の目には、いったい何が映っているのやら。

「いつも鏡で見てた通りの姿だわ!」

 いつも……?

 鏡で……?

 彼女の言葉で、ますます俺は混乱する。だが少しのタイムラグの後、ようやく理解できた。

 どうやら真理は、この十年の間、自分の姿を見る度に「双子なのだから、きっと香織も、こんな感じになっているはず」と思っていたらしい。


 一方、香織は香織で、戸惑ってしまったのか。

 真理が香織に向かって踏み出したのと同じ分だけ、後ずさりしていくのだ。

 会いたがっていたはずの姉に対して示す、明らかな拒絶の意思。

 それを見て、真理の顔は曇る。

「どうしたの? お姉ちゃんの胸に、飛び込んできてくれないの? もしかして、私が先にマサハルの方へ行ったから……。香織ったら、ヤキモチ焼いちゃった?」

 子供っぽさの混じる口調で、諭すように告げる真理に対して、

「だって、あれ……」

 香織は、真理ではなく俺の方を指し示す。

 その時。

 ガサゴソと音を立てて、生い茂る緑をかき分けながら、もう一人その場に現れた。

「マリィの姉御! あっしを置いてかないでくださいよ……」

 困ったような情けないような声で呟く、小柄で丸顔の少女。短髪でボーイッシュな雰囲気も漂わせているが、その立派な胸の膨らみを見れば『少女』であることは間違いない。

 彼女が着ているのは、ダブダブの黒いローブ。海外ドラマか何かで見た僧服のイメージだが、その『ダブダブ』具合は、裾を引きずるほどだった。こんな森の中では、さぞや汚れてしまうに違いない。

 短髪少女は、俺の姿が視界に入った途端、

「うわっ、血だらけじゃないですか! 間に合わなかったんですかい?」

 目を丸くしてから、真理の方へと、問いただすような視線を向けた。


「そんなわけないでしょ! その目は節穴? ほら、あれは……」

 真理の返事を耳にしながら。

 俺は、どこか他人事のようにこの場を眺めている自分に気づいた。

 考えてみれば。

 待ち望んでいたはずの、真理との再会。この十年の間、何度も思い描いてきたはずの再会。

 想像では、真理を一目見ただけで涙が出るほど、感動の再会になる予定だった。

 しかし今。

 感激するどころか、自分は当事者ではないという感覚まである。

 意外と、こんなものなのだろうか。

 あまりにも妙な……。

 そう、妙に現実感がないのだ。

 現実感がない理由は、おそらく……。


 日本とは違うと感じられる、深い森の中。

 遭遇したのは、実在の生き物とは思えぬような、二足歩行の熊の化け物。

 颯爽と現れた真理は、ゲームや漫画で見るような、戦士然とした鎧姿。

 それだけではない。

 新たに出現した少女の格好も、「海外ドラマで見たような」と表現すれば外国説に合致するのだろうが、それよりむしろ「ファンタジー映画で見たような」という方がしっくりくる感じ。

 そう、ファンタジー映画の雰囲気だ。

 つまり。

 ここは異国ではない。異世界なのだ。

 俺たちは、ファンタジー映画のような世界に来てしまったのだ。


「ああ、わかりました。マリィの姉御の、いつもの返り血。あっちのお兄さんの服にも、ついちゃったんですね」

 黒ローブの少女がこちらを見ているので、俺は考え込むのをやめて、意識を現実に集中する。

 服についた返り血。

 その言葉で、ようやく俺は気づいた。

 真理の鎧は赤いのでわかりにくいが、怪物熊を斬り殺した時、返り血を浴びていたようだ。だから彼女が俺とハグした際に、その返り血が、俺の服にも移ってしまったのだ!

 顔を下に向けると、俺のシャツは、赤い液体でベトベト。まるで絵の具を撒き散らしたかのようだった。その赤色が、動物の血とは思えぬくらいに鮮やかなのも、異世界の怪物の血だからだろうか。

 なるほど、真理と抱き合えばこうなるというなら、香織が躊躇したのもわかる気がする。高校の制服であるブレザーは汚したくないだろうし、何よりも『異世界の怪物の血』は、香織から見れば恐怖の象徴に違いない。

「あれ? よく見ると……。お兄さん、もしかして、マサハルさんですかい?」

 名前を呼ばれて、俺は顔を上げる。

 この少女、なぜか俺のことを知っているらしい。もしかすると、俺や香織や真理と同じく、俺たちの世界から来た人間なのか? 元の世界で俺と面識があったのか?

「ええっと……。どこかでお会いしましたっけ?」

 見るからに年下の少女に向かって、俺は、必要以上に丁寧な言葉遣いで尋ねてしまった。

 すると彼女は笑って、

「いやいや、あっしは、ただ写真で拝見しただけで……。昔の面影が少し残ってるな、って思っただけです」

「紹介するわ。こいつはウッカ。私がお世話になってるハッチ家の娘さんよ」

「どうも。今ご紹介にあずかりました、ウッカ・ハッチです。以後お見知り置きを」

 真理に促される形で、自己紹介。

 ならば、俺も。

「どうも。マサハルだ、よろしく」

 親しみを込める意味で、なるべく砕けた口調で名乗る。

 これが引き金になったかのように、今まで黙っていた香織も、会話に参加してくる。

「香織です。姉がお世話になっております」

 礼儀正しく、ペコリと挨拶する香織。

 ウッカは顔をニヤつかせて、

「へっへっへ……。どうぞよろしく」

 俺への対応とは異なり、香織には握手をしようと、手を差し伸べたのだが……。

「やめなさい!」

 ウッカの手を、真理がピシャリとはたき落とした。

「マリィの姉御、厳しいなあ。ただの握手じゃないですか」

「あんたの手つき、いやらしいのよ」

 続いて真理は、俺と香織の方を見ながら、

「二人とも――特に香織は――気をつけてね。このウッカ、外見は女の子だけど、その心根こころねはスケベ親父だから」

「うわっ、そんな紹介の仕方あります? せめて『見た目は女、中身は男、その名は大魔法使いウッカ!』くらい言ってくださいよ」

 冗談っぽく笑ったウッカは、自分の発言で、何か思い出したらしい。

「そうそう。魔法使いといえば……」

 彼女は、あらためて俺と目を合わせて。

「マサハルお兄さんの汚れ、キレイキレイしないといけませんね」

「……えっ? 今ここで洗濯するの? 服を脱がせるってこと?」

 俺より早く、香織がウッカの言葉に反応する。いったい何を想像したのやら。

「いやいや、違いますよ、お嬢さん。その必要はないのです。だってあっしは、大魔法使いウッカ。だから、こうして……」

 右手の人差し指をクルクルと回しながら、ウッカは宣言した。

「大いなる光の精霊よ! 我が祈りに従いて、の者の残せし未練を消し去りたまえ! ピュアリー!」


 彼女が唱えたのは、魔法の呪文だったのだろう。

 一瞬の光に包まれた後、俺のシャツに付着していた真っ赤なベトベトは、きれいさっぱり消えていた。

「わあっ、凄い!」

 純粋に感激した声を発する香織。当事者である俺よりも、喜んでいるように聞こえる。

「そうでしょう? 今のが、このウッカ様ご自慢の、浄化魔法ピュアリー。アンデッド系モンスターに対する攻撃魔法ですが、この通り、モンスターの死骸や体液を分解することも出来るのです」

 そう言って。

 ローブの裾をズルズル引きずりながら、その土汚れは気にせずに、ウッカは「えっへん」と胸を張るのだった。

   

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